その143 分からなくても

July 30 [Sun], 2017, 16:59
「分からなくても」

マルコの福音書4:26-29
4:26 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。
4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」

 このイエスのたとえは、マルコによる福音書だけに記されているものです。

1、分からないことがある。

 4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。

農夫たちは種を蒔くことはしますが、そこから自分の力で芽を出させることはできません。それがいつ、どのようにして起こるかは分からないのです。同じように私たちも、神様のために福音の種を蒔き、何かを始めたとしても、それがいつ、どのような形で実を結ぶものになるかは分かりません。「夜は寝て、朝は起きる」という当たり前のことをして、「そうこうしているうちに」神様の業が起こり始めるのです。このイエスの言葉は、私たちには神様のなさることをすべて知ることはできず、分からないことがあることを教えています。二つのことが必要です。一つは神様に主権があるということを認めること。そして神様に委ねるということです。私たちの思いをはるかに超えた素晴らしいことをしてくださる神さまに期待しましょう。

2、順序がある。

 4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。

 神様の主権によってなる実ですが、すぐにできるわけではありません。イエスは苗、穂、そして実、というように、物事には順序があり、その順序にしたがって、神様の計画が実現すると教えられています。私たちはともすると、結果だけを早くみたがり、神様が進めておられるプロセスを無視したり、気づかなかったりするときがあります。しかし神様は確実にご自身の計画を進めておられるのです。
 ここでも二つのことを教えられます。一つは物事には「時間がかかる」ということ。そして神様の「秩序」があるということです。神様の国は気づかないうちに、と同時に時間をかけて順序だててすすめられます。私たちに求められるのは信仰です。

3.ときが来る。

 4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」

 いつ、どのようにして結ばれるか分からない実ですが、収穫の時は必ず来ます。神様が必ずそれを成し遂げてくださるのです。私たちに出来ること、いやしなければならないことは何でしょうか?それは種を蒔くこと、そして収穫のときに働くことです。芽を出させ、成長させ、実らせてくださるのは神様です。イエス様は十字架の御業によって、ご自身の命そのものを種とされました。この種には豊かな命があります。人の人生を変え、世界を変える力を持った命です。その種を蒔くならば、いつか必ず芽を出し、成長します。
 私たちの生活のなかで、この種を蒔く者となりましょう。福音を伝え、神様のために何かを始めましょう。目に見えることに一喜一憂することなく、神のときを信じて、たゆまず歩んでいきましょう。

今週の暗証聖句
まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。      ヨハネ 12:24

その142 真の和解

July 09 [Sun], 2017, 10:30
真の和解 
ヨセフの生涯F

創世記50:15-21
50:15 ヨセフの兄弟たちが、彼らの父が死んだのを見たとき、彼らは、「ヨセフはわれわれを恨んで、われわれが彼に犯したすべての悪の仕返しをするかもしれない」と言った。
50:16 そこで彼らはことづけしてヨセフに言った。「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました。
50:17 『ヨセフにこう言いなさい。あなたの兄弟たちは実に、あなたに悪いことをしたが、どうか、あなたの兄弟たちのそむきと彼らの罪を赦してやりなさい、と。』今、どうか、あなたの父の神のしもべたちのそむきを赦してください。」ヨセフは彼らのこのことばを聞いて泣いた。
50:18 彼の兄弟たちも来て、彼の前にひれ伏して言った。「私たちはあなたの奴隷です。」
50:19 ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。
50:20 あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。
50:21 ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」こうして彼は彼らを慰め、優しく語りかけた。

 ヨセフの兄弟たちは17年前にヨセフと再会し、受け入れられていたにも関わらず、心の底ではまだヨセフを恐れていました。「もしかしたら父ヤコブが死んだ後で、復讐されるかもしれない」と思っていたのです。そこで兄弟たちは父ヤコブの名を使って、自分たちの身の安全を保証してもらおうとしました。ヨセフはそれを知って、きっぱりと否定し、ここで完全な和解が成立します。

1、 赦しを確信できない人間の姿。
 この兄弟たちは自分が赦されたことを信じることができずに、20年近くも、「いつか弟に復讐されるのではないだろうか」と心配しながら過ごしていたことになります。とても愚かな姿に見えますが、実はクリスチャンの中にも、イエス・キリストを信じて何年も経ち、信仰生活を送っているのに、この赦しの確信を持てないまま何年も教会生活を送っている人がたくさんいるのです。「赦されていないのではないか」という不安を心のどこかに抱えたままで、それを隠しながら信仰を続けている人が実際におられるのです。それはこのヨセフの兄弟たちと同じ姿です。もし私達クリスチャンに赦されているという確信がないのなら、それは本当にむなしい、苦しい人生と言わなければなりません。
 聖書は一度イエス・キリストを自分の救い主として心の中に迎え入れたのならば、罪に定められることは決してないと教えています。全知全能の神が、赦すと宣言しておられることに、疑いを持つことは、神様の偉大な愛の力を信じることができないのと同じです。この十字架の御業を信じましょう。

2、神と人間の領域をわきまえる。
 ヨセフは人を罪に定めて、裁くことは神様の仕事であって、人間にはできないのだと理解していました。ですから「私が神の代わりでしょうか」と言ったのです。多くの人が人を赦すことができず、人を裁くことによって、自分自身を苦しめています。それは神様の領域と人間の領域をわきまえていないからです。ヨセフの姿は、自分がどんなにこの世の権力を持とうと、人間には犯すことのできない、神様の領域がちゃんとあるのだと知っていたことを教えています。それがヨセフの祝福の秘訣でした。
 もう一つ教えられるのはすべてのことを神様の計画と受けとめる姿勢です。ヨセフは自分の人生に起ったすべてのこと、特に苦しみが神様の計画であり、このように多くの家族が救われるためであったと確信していました。だからこそ、兄弟を恨むことがなかったのです。神様は私たち一人一人を大事に思っておられ、その行く道一つ一つに心を配っておられるのです。そのことを信じて、これからも信仰者の歩みを続けていきましょう。

3、真の和解。
 創世記で最初に起こった殺人はカインとアベルの兄弟間で起こりました。その後もイサクとイシュマエル、エサウとヤコブなど、兄弟間の苦悩と争いが一貫して描かれています。そして最後にヤコブと兄弟たちの真の和解で創世記が終わります。
 人間関係という最も難しい人生の苦しみ。特に近しい人ほど愛せなくなるという人間の弱さの解決を聖書は教えています。真の赦しと和解は人間の力によって出来ることではありません。神様の存在を認め、導かれていると分かった時に初めて出来ることなのです。それを教えているのがキリストの十字架です。真の赦しを受けた者として、真の赦しをする者とされましょう。

今週の暗証聖句
これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。2コリント5:18