クリシュナムルティの言葉1

2008年02月11日(月) 4時00分
by;Jiddu Krishnamurti
抜粋;

あなたの知っている全てのものに対して、明日を待たず今すぐ死ねるだろうか?  
・過去に対して完全に死ぬ。既知のものからの自由
・次の日を新しく始める。
蓄積することなく生きる、という行為の中で常に学んでいく。

・混乱の中に生きなさい。それと戦ってはいけない。全ての不幸を自覚しながらそれと共に生きる。葛藤なしに
<あるがままのもの>と共に生きることができればそれから自由になる。

・脳が完全に静まったとき、何が起こるかみてみなさい。
・脳が完全に目覚めている時、心は静まる。その時、分裂も区別も二元性もない。

・知性と感情に根源的な変化がなければならない。
・<これ>から<あれ>へ移り変わるという変化を捨てなくてはいけない

・繰り返すことができるのは誤りだけであり、
<学ぶこと>は常に新たな行為。
・常に過去から脱皮しながら自分を見る

見ることは、思考、記憶、葛藤、観念の性質を理解すること。この全てを全体の過程としてみること。
・特定のことをそれ以外のことから切り離して解決しようとする為、葛藤は増大し出口がなくなる。




気づきは何かへの集中ではない。意志の行為ではない。
完全な注意深さ
・どんな選択もなく気づく
・取り除きたい、逃れたい、代わりのものをみつけたいといった願望のない静かな心でのみ見る。

・怒りや孤独は自己中心的な活動をする<私>という心によって作り出されたもの。心が中心を持たずに見つめるとき、そこに淋しさはなく、心は自由自在に働く。

・言葉は幻想に導くだけ。
幻想がなければ残るのは何か?
あるがままのもの
・ある瞬間においては<あるがままのもの>は恐怖や絶望かもしれない。
・しかしそれは絶え間なく変化する。
・<あるがままのもの>から逃げることが恐怖
・<あるがままのもの>を理解すれば<あるべきもの>(観念、虚構)を持つ必要がどこにあろう?
・<あるがままのもの>が恐怖によって破壊されない時、それが真理。
・恐怖を理解すること(じっと耳を傾ける)が恐怖を終わらせる。
・恐怖は闇であり、闇の中でものを見ることは絶対にできない。
・恐怖とは未知のものについて考えること。
・恐怖は思考に他ならない。 
・思考がつくり出すものは実在するものではない。
・持続するもの(思考)がある限り、新しいものは何ひとつない。
・思考を超越することは思考の正体を知ること。

感情が起こるとき、それを名づけなければ、その感情と同一化することはない。
・名づけることによって、それは強められ持続性を与えられる。
・思考によるイメージを持たずに観察することは、その中で過去が終息している行為。
・全存在(感情、知性、耳、目・・・・)で怒りに気づく時、怒りはない。
・不注意(特定のものをみること)が怒り。
・注意深くなろうと練習することが不注意。
・最も重要なのは自分の不注意に気づくこと。
・全存在で怒りを見る時、怒りと私の間に分離(葛藤)はない
 
憎しみに注意を全てそそぎ、憎しみについて学び、しかもその知識を蓄積しない時だけ、憎しみが終わる。

・<私>がなくならなければならないことを<私>が自らが見るとき、<私>は終わる。
・至高のものは、あなたや他人の信念、意見、結論とは無関係で、幻想の中に生きている曇った心で真理を理解することも、洞察することも不可能。

・<経験したもの><あるべきもの><未来にあるもの>を完全に否定したとき、その<空>の中に創造が起こる

・束縛するもの(信念、不信)がない時、見ることができる。

・神・・・我々が崇拝する幻想。
・信じているものと<あるがままのもの>は別。

・依存がなく、満足もなく、追求もなく、要求もない時、愛がある。


『urgency of change』(自己の変容)1970

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クリシュナムルティの教え;私は彼の思想は仏教にほぼ同じだと理解しています。(日本で勘違いされている仏教や儀式ではなく、仏陀の悟った真理とである。 そして彼の<注意>は仏教の瞑想(座禅、ヴィパッサナ・・・)に近い。ただ彼は指導者を仰いだり、教団に属することを批判し、ただ1人、己の心をみつめることだとする。余分なものを徹底的に削ぎ落とした、美しく、厳しい思想。凡人にとっては困難で孤独な道を示している。);

(参;wikipedia)
教えの中心となる主題は「あるがままの全体的知覚」。
常に新しい実在を知るには記憶、信念などの条件づけは足かせである。
記憶は固定的な反応パターンを形成し、ありのままに捉える妨げとなる。
恐怖とは「未知なるものへの恐れ」というより「既知なるものを失うことへの恐れ」だと指摘する。孤独も屈辱も自分が愛着しているもの、記憶として価値ありと思っているものを失うことへの恐れである。
時間から離れ、真理を理解するにはどうしたらよいのか?。精神活動が終わったときに限りない創造が生まれ、自我が終わったとき絶対の自由が生まれる
クリシュナムルティは真理に到るための訓練方法は説いていないが、完全に受動的な自己凝視である。精神によって凝視するのではなく、精神を凝視すること。観念に目を向けず、観念を生み出す思考の過程そのものを理解することである。精神の働きの全体を見つめることで自我を支配しているものを理解するのである。ただし自我を支配したり終わらせたりする実体があると考えてはならない。 思考は部分しか見ないので、思考すればするほど問題は細分化され、複雑になる。理論を探求するのではなく事実を見つめること、部分ではなく全体を見つめること。


ジッドゥ・クリシュナムルティとは・・・・参;追記

ミャンマーの巨大な寝釈迦仏に新年の祈願

2008年01月11日(金) 3時05分


最近あまり報道されないけど、今、ミャンマーの情勢はどうなっているのだろう?
僧侶への弾圧はあるのだろうか?
ミャンマーは敬虔な仏教徒が多いが、この辺り、東南アジアの仏像はなんとも・・・・・軽い感じがしてしまう・・・・・
寺院内もパチンコ屋みたいな電飾されていたり、重厚な大乗の仏教芸術とは異なります。

タンカ選

2007年12月16日(日) 4時38分
チャクラサンバラ ヤブユム

ツォンカパ 




文殊

Peaceful Bardo Deities

仏壇

2007年12月16日(日) 4時22分

シャーマン

2007年12月15日(土) 9時43分
ネチュン
ドルジェシュグデン


タンカ4憤怒尊

2007年12月14日(金) 3時57分
パンデンラモ

マハーカーラ

ラフラ

ヤ−マンタカ

チティパティ

タンカ3ブッダ

2007年12月14日(金) 3時53分
仏陀


阿弥陀

観音

薬師

タンカ2 大タンカ

2007年12月14日(金) 2時57分
デプン寺  ショトン祭


セラ寺

ガンデン寺


タシルンポ寺


ツルプ寺

仏像:仏教芸術5 チベット

2007年12月13日(木) 4時20分
ジョウォ・サキャムニ(ジョカンの本尊)


タシルンポ寺

マイトレーヤ(ラダック、ティクセ)

ツルプ寺






寺3

2007年12月12日(水) 4時39分
サムイエ

タシルンポ

ギャンツェ

サキヤ