チベット動乱中国の侵略

2008年03月18日(火) 20時06分
★チベット侵略
1949年、「中華人民共和国」建国以降,「チベットは中国の不可分の一部分」という主張に転じ、「解 放」としてチベットに侵攻。
1959年  チベット民族蜂起(チベット動乱・ラサ蜂起)
法王の身を案じた民衆がラサで一斉蜂起。約9万人のチベット人を殺害して鎮圧(3日間で1万人以上、1959年3月〜1960年10月の間に、中央チベットだけで87,000人のチベット人が殺されている。 )





ダライ・ラマ14世はインドに亡命、チベット亡命政府を樹立。


 
1965年 中共はチベット自治区を成立させ中国の一部にしてしまった。独立を訴えるデモは絶えなかった。
  そして、「文化大革命」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

大挙してラサに押し寄せる中国人民解放軍。

大自然の要塞に守られてきた「神の土地」 も悲劇の舞台となる。
1966年 ・紅衛兵ラサ進駐開始、民族の伝統、宗教はすべて弾圧、破壊され、チベット人の自由と尊厳は完全に奪われた。 

★チベット侵略の概要については参;追記↓
★チベット侵略の概要

1949年、「中華人民共和国」建国以降,「チベットは中国の不可分の一部分」という主張に転じ、「解放」としてチベットに侵攻。
1951年、人民解放軍は首都ラサに進駐、チベット解放を宣言。ダライ・ラマ14世、パンチェン・ラマ10世は北京へ赴き、
和平交渉を試みる。
1959年  チベット民族蜂起(チベット動乱・ラサ蜂起)
法王の身を案じた民衆がラサで一斉蜂起。約9万人のチベット人を殺害して鎮圧(3日間で1万人以上、1959年3月〜1960年10月の間に、中央チベットだけで87,000人のチベット人が殺されている。 )

ダライ・ラマ14世はインドに亡命、チベット亡命政府を樹立。
1965年 中共はチベット自治区を成立させ中国の一部にしてしまった。独立を訴えるデモは絶えなかった。
    そして、「文化大革命」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。1966年  ・紅衛兵ラサ進駐開始、民族の伝統、宗教はすべて弾圧、破壊された。 僧たちが批判集会に引きずり出され、拷問迫害を受ける
1980年 当時の共産党書記長 胡耀邦がチベットを訪問し、規制緩和と自由化措置が短期間行われが、その後のさらに厳しい抑圧へと後戻りした。
1986年 ラサなど対外開放、外国人の訪問可能となる
1987年  デプン僧院でデモ。セラ僧院でデモ。大規模デモが国際的に報道される。
1988年   ラサで大規模なデモ
1989年、1月 パンチェン・ラマ10世、シガツエ訪問中に謎の死。その数日前、中国のチベット支配は利益よりも多くの害をも   たらしたと中国政府を糾弾する演説をしていた。
   3月 ラサで大規模抗議デモ、中国がチベットに戒厳令を宣言、外界から遮断し武力で制圧した。(当時、暴動鎮圧を指   揮したのが今の中国の国家主席・胡錦濤だった)。取締り激化。
  10月 ダライラマ14世、ノーベル平和賞受賞
1990年 4月 中国、チベットへの戒厳令を解除。  ・ダライ・ラマ、亡命政府の民主的改革。
1995年 5月 チベットがパンチェン・ラマ10世の転生者を認定(6歳のゲドゥン・チューキ・ニマと両親は中国に連行され、行方不明となる・・・・・・・・・・)中国は別にギャルツェン・ノルブ少年をパンチェン・ラマ11世として認定
1997年  ダライ・ラマ、台湾を訪問。李登輝総統と会談
1998年  ニューデリーでチベット青年会議のメンバーが、死に至る断食を決行。*インド警察が断食を阻止
   ・ ラサのダプチ刑務所でデモ   ・インドではハンストメンバーのトゥプテン・ングドゥプ氏焼身自殺で抗議、火達磨になりながら、「ダライ・ラマ万歳!チベットは必ず勝利する!」と叫んだ。90%もの火傷を負った彼をは駆けつけたダライ・ラマ見舞われ、亡くなった。 

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