餅と日本人「餅正月」と「餅なし正月」の民俗文化論

January 05 [Sun], 2014, 0:00

「餅正月」と「餅なし正月」の民俗文化論

餅と日本人
日本の民俗文化において餅はいかなる意義をもっているのだろうか。元旦に雑煮を食べない地方もある。餅正月と餅なし正月。餅にまつわる風習に日本人のこころと文化を探る。なぜ正月に餅を食べるのか。元旦に雑煮を食べない地方もある。餅正月と餅なし正月。

日本に古来から伝わる食べ物で、もち米を蒸して臼〔うす〕で粘り気が出るまでついて、適度な大きさに形を整えた食品です。独特の粘りと伸びがある食感が特徴で、焼くと膨らみ、煮るととろけます。古くから、正月や節句、季節の行事や祝い事のようなめでたい日に食べる物として現在まで伝えられてきました。今でもその習慣は日本各地に残っています。



日本人の行事に欠かせない食物
餅はもともと正月や祝い事などの「ハレの日」のための特別な食べ物でした。 また、節分や桃の節句、端午の節句などの節句ごとに餅が作られ供えられたり、七夕やお盆、お彼岸などの季節の区切りにも食べられます。

このように餅は日本人の生活・行事に欠かせない存在として現在まで伝えられています。 最近では季節や行事に関係なく日常的に餅を食べる事ができます。また、保存の利く袋詰め商品が簡単に入手できることから災害時の非常食として常備する家庭も多くあります。

新年を迎える際に鏡餅を飾る風習は、紀元前、垂仁天皇の時代、「元日、荒魂の大神に紅白の餅を祭れば幸福が訪れる」と言われていたことに由来するといわれております。鏡餅は、丸く平らで鏡の形に似ていることからこの名がついたと言われています。鏡は、古くは円形で祭具として用いられ、特別な霊力を持つものと考えられていたそうです。

正月は家に歳神様をお迎えし、祝う行事です。歳神とは1年の初めにやってきて、その年の作物が豊かに実るように、また、家族みんなが元気で暮らせる約束をしてくれる神様です。正月に門松〔かどまつ〕やしめ飾り、鏡餅を飾ったりするのは、すべて歳神様を心から歓迎するための準備です。

そこでお餅が神様に供えられます。実はこの注連縄(しめなわ)ももち稲からとれる藁なんです。もち稲の藁は油分が多いので腐りにくく、加工品としてもよく使われています。お正月にはもち稲全部を生かして神様をおむかえしていたんですね。



餅つきは正月だけ?
現在は餅つきといえばお正月ですが、餅つきは正月だけの行事ではなかったんです。1983年、ある秋田県の一軒の農家ではなんと年に37回も餅つきが行われていました。3月3日、桃の節句の菱餅、春の彼岸のぼたもち、秋の彼岸のおはぎなど、(仏教の影響をかなり受けていますが)すべてハレの(非日常の・祝い事の)行事の日のためのお餅であることがわかります。

つまり、自分達の力ではどうすることもできない災いを避けるために、ハレの日に、神様に無事をお願いする。そして願いを叶えてもらえるように、お供えをして神様を喜ばせる。そのお供えがお餅なんですね。お正月の場合は豊穣・家内安全を歳神様に願い、鏡餅などの供え物をして、神様をもてなした、ということになります。

稲作の伝来と共に伝わった
餅は縄文時代の後期に稲作の伝来とともに東南アジアから伝わったと考えられています。その当時の米は赤色に近く、比較的餅になりやすい米だったようです。餅が季節・行事ごとに供えられ食されるようになったのは、「鏡餅」が誕生した平安時代からの事です。この頃から餅は祭事・仏事の供え物として慶事に欠かせない食べ物となりました。室町時代には茶道の発達と共に茶道菓子としても用いられました。現在でも昔からの名残で正月や節句、季節の変わり目に餅を食べる習慣があり、縁起の良い食べ物として伝えられています。

江戸時代の煤払いと餅つき


江戸時代の餅つき
誰もかもが忙しいと相場が決まっている年の暮れ。江戸庶民もまた、いろいろやることがあって忙しかったようだ。『東都歳事記』からは、その季節独特の江戸の暮らしが見えてきて面白い。

餅つきは、現代なら町内のイベントにもなるだろうが、この時代は当たり前の光景だ。でも、何でまた路上なんかで餅をついているのだろう。人の多い埃っぽい大通りで、大きな釜まで出してわざわざやらなくてもよさそうなものだが…。

往来のなかで餅をつくには訳がある。それがビジネスであったことだ。暮れも押し迫ってくると、江戸の町には「餅つき屋」なる職人?が数多く出現するのだ。だから営業していることを知らしめるために往来でやる必要があった。「餅つき屋」と書いてしまったが、現実には職業としては成立しない。だから、筆者が便宜上つけた名称であることをお断りしておく。
 
この餅つき風景は、表通りに面している商家が、餅つき屋に依頼して、ついてもらっているところだと考えられる。店先で景気づけに餅をつくという意味もあったのかもしれない。

では、どんな人がこの餅つき屋をやったのか。それは舂米屋(つきまいや) だと思われる。今のお米屋さんのことだ。舂米屋の年末の仕事として、従業員が出張したと思えば想像しやすい。かなりの需要があったはずたから、普段は別の仕事をやっていて、ちゃっかりバイトをやった人も相当いたのではないだろうか。

餅つき屋のイメージを紹介すると、きっぷのいい二人組みで、一人は杵を担ぎ、もう一人は臼を担ぐといった風体である。注文に応じて担いで移動する商売である。かなりたいへんな仕事だ。それに誰でも餅をつけるものでもない。筆者の経験から言わせてもらうと、力も必要だが、コツを要するものだ。それに二人の呼吸が合わないと話しにならない。だからこそ、餅つき屋が登場したのだろう。

時節柄、門松売りもやってくる。馬の背に松を乗せて運んでいる人、担ぐ人…。大店(おおだな)の立派な門松は、鳶(とび)職が商売した。鳶は町火消も兼ねていた関係から、鳶の親方は大店や大家に顔がきき、門松設置の特権があった。当時の門松は、松を束ねて軒先に立て掛けた。まるで打ち上げ花火のようなデザインだ。

庶民は、松の枝を一本家の入口につける程度であったかもしれないが、門松を飾る文化は、しっかり根付いている。大名も商人も長屋の住民も、すす払いをして大掃除。神棚をきれいにして、門松を飾り、新年を迎える運びとなる。



正月を迎える為の餅つき

1.もち米を研いで、一晩水につけておく 。

2.ザルに上げ、蒸し器で蒸す。

3.蒸し上がったもち米を臼〔うす〕に入れ、杵を使って米をつぶし、水を加えて練る。

4.水を入れて硬さを調整(合取〔あいどり〕)しながら餅をつき、時々餅を返してまんべんなくつくと完成です。

餅つきは昔から正月を迎える大切な段取りのひとつとして、年の暮れの数日間に行われます。 ただし、12月29日は「苦」に通じる、26日は「ろくなことがない」と言われ、その二日間だけは餅をついたり購入するのを避ける風習があります。



雑煮文化が伝えられてきた、本州、四国・九州を結ぶ列島型の食文化を

・すまし文化圏
・赤味噌仕立文化圏
・白味噌文化圏
・小豆汁文化圏
・角餅文化圏
・丸餅文化圏
などの視点から分析された、大変興味深い分布図です。



丸餅と角餅の分岐ライン
石川県金沢→岐阜県高山→岐阜県関ヶ原→三重県四日市→和歌山県新宮を結ぶライン。
丸餅、古風。京都の文化を受けた土地。
角餅、江戸生まれの新風。江戸の文化を受けた土地。

味噌仕立
古風。京都の文化を受けた土地。山間部や日本海側は赤味噌を使う。江戸の文化を一切受け入れなかった土地。
彦根は丸餅なのにすましの家が多いのは、半周の井伊家が遠州出身のため。

すまし仕立
醤油や塩で味付けする。
角餅を食べる東日本一帯と近畿、越前、山陰、四国の一部を除く西日本。西日本ですまし仕立の地域は、参勤交代で江戸の文化を取り入れ、古風の丸餅と融合させた。鹿児島では角餅を用いる家が多い。

このほか広島で雑煮に牡蠣が入ってなかったらがっかりされるとの声もあり、ホントなの?とみやん?



四ツ家の餅なし正月
四ツ家(現在の足立区青井1丁目、2丁目付近)にはお正月には餅を食べないという風習があります。これについては、四ツ家の村を開発した4軒の高橋(2軒)、鶴飼、市川の旧家を中心に伝えられています。この4名の者は、以前はいずれも武士でしたが、その身分を捨て、この地の開拓に従事したと伝えられています。

落ち武者となってこの地に落ち着いたのが年の暮れのことでしたので、餅の材料である餅米はもちろん、餅をつく余裕もなかったので、正月に餅の入らない芋雑煮ですませたということです。その後も、開拓当時の苦労をしのぶために、正月には餅を食べずに、芋雑煮でまにあわせてきたといいます。

江戸時代、この付近に将軍様がよく鷹狩にこられました。そうした時には道の手入れや、目障りなものにふたをしたり、厳しい注意がありました。中でも火の元には特にやかましかったのですが、たまたま将軍様が鷹狩にこられた正月にある家から火を出してしまい、村全体が厳しいおとがめをうけました。それ以来、お正月に火を使って餅を食べることを禁止したということです。



正月に餅を食べないとする家例も、足立区以外でも各地にみられます。稲作が広まる以前には、畑作を主にしていて、必ずしも餅を儀礼食として食べていなかった地域も多く、そうした習慣を伝えていたのではないかと考えられています。しかし、時代が下がり正月に餅を食べないということが珍しくなったため、その理由についての言い伝えがいろいろとされるようになったと考えられます。

先祖が戦に負けて落ち延びてきたのが大晦日で餅を搗く暇がなかったため、貧しかったためと伝えるところも他にありますが、足立区は実際に新田開発の歴史と家例とが結びついており、興味深い事例です。

もし餅つきをすると、火事が起きる、餅に血が混じるというような戒めを伝えるところもあります。このほか、区内では大鷲神社の氏子は鶏肉や卵を食べないといわれています。



ウチはジーサンに食わす時には掃除機を用意
雑煮やあんころもちなど、さまざまな形で食卓に上るが、気を付けなければならないのが喉詰まり。もちは形状が変化しやすく喉に張り付きやすいため窒息事故につながる可能性がある。雑煮など煮たもちは粘りが出て喉に詰まりやすくなるという。防止策については「一口大のサイズに切り、食べる際は、しっかりかむことが大切」と話す。

詰まった場合の応急手当は、背中をたたく方法と腹に手を当て抱え上げる方法があり、どちらもそれぞれ効果があるという。「両方とも試して、可能な限り応急手当を続けてほしい」としている。

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レイ
家の事が書かれてる。家は正月は10日まで食えない風習がある。食うと火事になると。
まぁ昔からだから守ってるけど。
敷地外ならOK
なんで友人宅で食べたりしてます。
November 03 [Sat], 2018, 7:33
プロフィール
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    ・神輿-田舎町にはこれが一番
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開発に取り残された街、なんて言いますけどね、コミュニティの強さ、田舎町の安心感、歴史財産まで、今の時代に一周遅れでトップになった感じです
TX沿線の新市街地に住む方たちも歴史情緒ある流山本町、今では一割もいないだろうと思われる流山先住民、昔からの生活をする住民として発信出来たらいいな、と思っています。
なお、神輿会に入りたい人については上に紹介はしますが審議にかけられます、個人として権力ないもので
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