平成29年12月17日、流山史跡ガイドウォーキング(秋編)

December 17 [Mon], 2018, 0:00

流山史跡ガイドウォーキング(秋編)

文化会館から白狐稲荷・茂侶神社・三輪野山貝塚を巡る
平成29年12月17日、公民館とNPO法人流山史跡ガイドの会との協働で流山史跡ガイドウォーキング(秋編)が開催されました。この催しは、史跡巡りを通して市民の皆さんが流山の特色や歴史を再発見、再認識することにより、地元への愛着・郷土愛を深めていただけるよう平成21年からスタートしたものです。

今年度は、春と秋に2回実施しました。天候にも恵まれ、10代から80代まで30人の老若男女が参加されました。10人ずつ3班に分かれ、それぞれの班にガイドの会の方々が付き添い史跡を巡りました。



今回のコースは、文化会館をスタートして、1.大杉神社、2.今上落、3.白狐稲荷、4.流山本町北部の自然堤防、5.花輪城跡、6.茂侶神社、7.三輪野山貝塚を巡りました。参加者はそれぞれ動きやすい服装で約4キロの道のりを、3時間ほどかけてゆっくりと歩きました。

参加者の中には、4キロもの道のりを歩くことに不安を覚える方もいましたが、堤防から見える富士山の景色やガイドの会の分かりやすい説明を聞きながら最後まで楽しそうに参加されました。



「史跡の説明を聞きながら、自分の足で見て知ることができ、有意義でした」、「普段素通りしている場所が史跡だったと初めて知り、知識を得られました」、「次回もぜひ参加したいです」など、好評のうちに史跡ガイドウォーキングを終えました。

文化会館では、年2回の史跡ガイドウォーキングのほかにも、郷土史検定など市内の歴史を親しみながら勉強できる講座を実施しています。郷土史検定は、広報ながれやまや市ホームページで紹介しています。



茂侶神社

千葉県流山市三輪野山619
東葛観光歴史事典に文が残っているので電化する。流山の三輪野山にある茂呂神社は、『古事記』や『日本書紀』に書かれた神話と、神社に伝わる物事とが似ていて、何か神秘的な感じの神社である。

西暦一世紀ごろ、景行天皇の御代に東国に派遣された御諸別王(みもろわけおう)の子孫の上毛野君(かみつけのきみ)や下毛野君(しもつけのきみ)の一族が、この地に来て丘陵一帯の姿が大和の三輪山に似ていたので「三輪の山」と呼んで住み着き、やがて故郷の三輪神社の分霊として茂呂神社を造った、と言われる。



また、大和王朝が統一された三、四世紀ごろ、すでに米作りをしていた人々がこの辺りにもやって来て農耕生活を始めた。茂呂神社の裏手の低地は一帯に湖のような湿地で、その低地に突き出た台地先端の山、つまり端の山に祠を作った。やがてそこは「御端の山」と呼ばれ、ミワノヤマになったのではないか、とも言われている。

この神社は『延喜式神名帳』にその名が見られる、いわゆる『式内社』と言われ、延喜式とは、平安中期の律令の施行細則のこと。全50巻からなる。その中の巻第九(神祇)に国群別に神社名が記されていて、その神名帳に載っている神社を式内社という。



下総国内の式内社は11社あるが、葛飾郡内のものは、船橋の船橋大明神と流山の三輪野山茂呂神社の2社だけである。この式内社説については異論があり、博物館友の会の『流山研究』第5号で相原正義氏は、「茂呂神社考」を載せて「三輪野山の茂呂神社と式内社はどこでつながったのだろうか」と疑問を投げかけている。

鳥居を過ぎた左手に「万葉歌碑」が建っている。さらに参道を進むと次の鳥居があり、突き当たりが社殿である。祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)で、古くは地名にちなんで「三輪神社」と呼んでいたが、後に古文書や由緒書などによって再び茂呂神社となった。



万葉歌碑に刻まれた歌は『鳰鳥(にほどり)の 葛飾早稲を 饗(にへ)すとも その愛(かな)しきを 外(と)に立てめやも』この歌は、『万葉集』巻十四東歌(3386番)で、意味は「今夜は初物の早稲米を神に捧げる新嘗の晩である、門を閉ざして神の恩恵に感謝し、男女とも清浄であるべき晩だが私はあの人が恋しい、もし今夜あの人が訪れたら、この寒い外になんか立たせておかないでしょう」である。

茂呂神社の行事にヂンガラ餅神事という奇祭がある。毎年1月8日(※最近は最寄の日曜日)に八升の米でついた餅を取り合う勇ましい祭りで、市の無形文化財第2号に指定されている。当日、村人、氏子達は総出で神社に参拝し、八升の神酒、八升の餅(上三升、下五升)八種類の野菜の煮物を神前に供える。



神官や役員の掛け声で、供えた餅を拝殿の中に投げ出すと、氏子や若い衆が神衣一枚になって一斉に躍り出て「餅はどこだ、餅はどこだ」と上になり、下になりして揉み合い、引き合いちぎり合う、豊作祈願の行事である。

神前に供える物に八の字がつくのは豊城命(とよぎぼみこと)が御諸山(みもろやま)に登って東を向き、「八廻寺槍(やたびほこゆけし)、八廻撃刀(やたびたちかき)した」という故事から八を用いたという。



裸の若者たちが固い大餅を取り合い、壁にぶち当てて割るさまは、チカラモチ比べそのままだ、として「ヂンガラ餅」は「力餅」(力持ち)から来た呼び名ではないかという考え方もある。

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毎年12月16日深夜3時より行われる、鵜祭

December 16 [Sun], 2018, 0:00

毎年12月16日深夜3時より行われる、鵜祭

石川県能登半島、国重要無形民俗文化財
昔からこの地域に住む人々は大変信仰心が篤いと言われる。その証明のひとつには、長い歴史が刻まれた寺社が、数多くその姿を今も留めていることが挙げられる。能登ではもともと室町時代に浄土真宗が布教されたのをきっかけとして、たくさんの寺社仏閣が建立されてきたのだそうだ。そしてそれらの寺社の中でも、神社では能登一大きな規模を誇るのが、能登一之宮である『気多大社(けたたいしゃ)』だ。



羽咋市寺家町にあるこの大社は、海に面して鎮座し、『気多大社』と呼ばれる以外に『気多大明神』『気多大神宮』などとも敬い称されてきた。出雲国から来臨して能登半島を平定開発した、『大国主神(オオクニヌシノカミ、大己貴命)』が祭神となっていて、建立されてから2,100年あまりの時が経つ。

国の重要文化財にも指定される本殿に祀られている大国主神は、幾多の試練を乗り越えて恋を成就させた伝説があり、大社は縁結びの神様として大変人気があって、全国から女性を中心とした多くの参拝客が年間を通じて訪れるのだという。



さて、『気多大社』に伝わる祭りの中で『奇祭』の異名を持つのが『鵜祭(うまつり)』だ。 毎年12月16日の深夜3時より行われるこの祭りは、神前に放たれた鵜の動きで来年の吉凶を占うというもので、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

その由来は明らかではないが、大国主神が現在の七尾市鵜浦町の鹿島に来着した際、この地の御門主比古神が鵜を捕らえて捧げた故事によるとか、あるいは同地の櫛八玉神が鵜に化して海中の魚を捕って献上した故事によるとか伝えられている。



祭りは12月10日ごろに、その七尾市の鵜浦町で一羽の鵜を生け捕ることから始まる。捕えられた鵜は鵜籠に入れ、2泊3日かけて14日の夕方ごろ気多大社へと到着し、餌止めとなる。鵜は生け捕られた瞬間から『神』として『鵜様』と呼ばれるようになり、大社に至る道中では民衆が「鵜様を拝まずに新年は迎えられん」と手を合わせ、親しみを込めて迎えるのだそうだ。

いよいよ神事が行われる16日午前3時過ぎ。まず神社で祭典があり、祝詞奉上、撤饌が終わると、本殿内に灯された2本のロウソクだけを残して他は消灯された。七尾より鵜を捕獲し運んだ『鵜捕部(うとりべ)』によって鵜籠が本殿前方に運ばれ、神職との間に問答が取り交わされた後、「鵜籠を静かにおろし、籠をとりすて、鵜をその所に放てと宣り給う。」という言葉を合図に、鵜捕部は鵜籠の鵜を本殿に向かって放つ。



『鵜様』は本殿の灯火をしたって昇り、殿内の『案』と呼ばれる台に飛び乗るのだが、その速さによって、来年の吉凶を占うのだそうだ。さて今年はと言うと、籠から放たれた『鵜様』は約40秒足らずの短さで案へと飛び乗った。

「鵜様は迷わず案上に進まれた。来年は不況を乗り切るための勢いが生まれるでしょう。」と地元の長老より託宣が告げられた。その後、『鵜様』は取り押さえられて一之宮海浜に運ばれ、そのまま海へと放たれると、闇空へと飛び立ち、行方も知れず消え失せるのである。今年も鵜は静かな夜の海の闇に消えていった。



この吉凶占いについては、加賀藩の祖・前田利家が大いにこの行事を重んじ、1585年(天正13年)に鵜捕部へ鵜田二反を寄進している。その年の鵜祭りの鵜が例年以上に神前へとよく進んだことを聞いて、『国家之吉事、不可過之候』と喜んだとする書状が大社にも残っている。

さて、30年間この祭りを見てきた地元の崇敬者によれば、『鵜様』が案上に昇るのには平均5分程度はかかるそうだが、今年は過去見た中で最速とのこと。ここまで速いのは大変に珍しいことだと話していた。

世界的な経済不況が渦巻く中、『鵜様』の素早い動きのごとく、来年は新たに『勢い』のある世の中へと本当に移行していくのであれば、何とも心強い予見ではないか。『鵜様』、実にありがたし。



姉妹都市、石川県能登町
平成24(2012)年1月17日、流山市の市制45周年の節目に、姉妹都市の盟約を結びました。江戸時代には、加賀百万石で知られる前田家の所領に組み込まれ(一部を除く)、その頃には水運を生かした商業などで栄えていた能登町。合併前の旧内浦町には、古くからの酒造りの技を受け継ぎ、日本四大杜氏に数えられる「能登杜氏」が生まれ、時代が下るにつれその酒造技術を生かし全国で活躍するようになりました。

昭和初期には、白みりん発祥の地として醸造業がさかんであった旧流山町に、能登杜氏をはじめとした旧内浦町民が数多く移り住むようになりました。こうした繋がりから、昭和60年ころからは流山市民・旧内浦町民の間での交流が活発に行われるようになり、合併により能登町が誕生したのちも友好関係を醸成させてきました。
 
東日本大震災の発生により飲料水の確保が困難となった際には、能登町からいち早く「のと海洋深層水」が支援物資として届けられ、流山市民の大きな助けとなるなど、多方面で信頼関係を深めています。



平成24(2012)年1月17日、流山市の市制45周年の節目に、姉妹都市の盟約を結びました。能登町は、平成17(2005)年、能都町・柳田村・内浦町が合併して誕生しました。能登町は、平成17(2005)年、能都町・柳田村・内浦町が合併して誕生しました。
 
石川県の北部、日本海に突き出した能登半島に位置し、朝市で有名な輪島市に隣接しています。町の東〜南側は富山湾に面し、その海岸線の大半は能登半島国定公園に含まれます。九十九(つくも)湾などの景勝地を有する海岸と、陸地の約8割を占める丘陵地で構成される町域は、緑豊かな「里山・里海」の風景を今に残しています。

古くから漁業や商業で栄え、新鮮で多様な海の幸や、揚げ浜という伝統製法で作られる天然塩などが特産となっています。平成15(2003)年7月に能登空港が開港したことから、首都圏から約1時間でのアクセスが可能になり、観光や活性化の追い風となっています。

【町制施行】 平成17(2005)年※合併
【 人  口 】 19,776人(平成25年12月1日現在)
【 面  積 】 273.46平方キロメートル



里山里海の風土
平成23(2011)年6月には、「能登の里山里海」(能登町を含む4市4町)が、国連食糧農業機関(FAO)が定める「世界農業遺産」に認定されました。景観や伝統的な農林漁法、文化・祭礼などが評価されたもので、能登町では、農家民宿の集落でもある「春蘭の里」の豊かな里山景観などが該当しています。

祭りの王国
古から受け継がれた祭りが年間を通じてさかんに開催される能登半島。特に夏は祭りのシーズン、能登の祭りの主役はキリコと呼ばれる大きな奉燈です。能登町の「あばれ祭」は毎年7月、2日間にわたって繰り広げられ、高さ7メートルのキリコ40本以上が大松明の火の粉の中を乱舞する迫力を楽しめます。その昔、悪病が蔓延したときに盛大な祭礼をしたところ、神霊が病人たちを救ったのが始まりと伝えられていて、2基の神輿を海や川に投げ込むなど個性的な神事が、今も連綿と受け継がれています。

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毎年12月15・16日両日、防火祭(秋葉の火まつり)

December 15 [Sat], 2018, 0:00

毎年12月15・16日両日、防火祭

静岡県浜松市天竜区春野町領家841
浜松市の秋葉山本宮秋葉神社で『火まつり』が齋行されます。秋葉山は昔から、火防信仰を集めた霊山で、毎年12月15・16日両日には三尺坊が出現したといわれる地・秋葉寺と秋葉神社で火まつりが齋行されます。

秋葉山本宮秋葉神社(上社)で12月16日夜半に行われる防火祭(ひぶせのまつり)では、秘伝の弓の舞・剣の舞・火の舞の三舞の神事が古式豊かに壮厳華麗に繰り広げられます。3人の神職によって弓の舞、剣の舞に続いて松明を振りかざして舞う火の舞が舞殿で奉納されます。火の舞は、秋葉山本宮秋葉神社だけに伝承されたもの。



標高866mの秋葉山は、古くから火防信仰を集めてきた霊山で、参拝者が山へと向かう道が「秋葉街道」となった。今でも多くの参詣者が県内外から訪れている。16日夜半に行われる防火祭では、秘伝の弓・剣・火の三舞の神事が古式ゆかしく荘厳華麗に繰り広げられる。

秋葉総本殿可睡斎は、毎年12月15日の「秋葉の 火まつり・火防大祭」において、有縁無縁の皆様が、秋葉三尺坊大権現御真前にお参りされて、火防・火の用心の霊験あらたかな三尺坊様とのご縁を結んで、より大きなご加護とご利益を受け、幸せな暮らしをして頂きたいと願っております。



この日は大勢の皆様がお参りし、ご祈祷を受け、ご信者のご奉仕により、秋葉総本殿可睡斎最大の行事が行われ、大祭大祈祷・御輿渡御・松明道中・火渡りの各行事の他、深夜には秘法七十五膳御供式が行われます。

松明道中では、秋葉三尺坊大権現様の御神火を松明に移し、門前より御真殿への参道を行列し護摩壇に松明をおさめます。この松明道中に参加してお守りを頂き、無病息災と心願成就を祈願いたします。



護摩供養とは、バラモン教の火神アグニを供養する火祭に由来し魔を除き福を得るための供養のことです。可睡斎では、秋葉様より頂戴しました御神火が松明道中により護摩壇に灯され、護摩木奉納者の心願成就の為の護摩供養をお勤めいたします。

可睡斎独特の家型護摩木は、家の形をした護摩木で護摩壇の炎に供えることにより、身代りになって燃え火災から家を守る誠に有難い護摩木です。可睡斎の三徳祈祷は、煩悩の三毒の炎を仏の三徳により打ち消し、秋葉三尺坊様よるご加護とご利益頂き、正しい生活と世界の平和を祈る為に行われます。



三毒の炎とは貪瞋癡のことで、むさぼりの炎、怒りの炎、愚痴の炎です。これらの三つの煩悩の炎は、正しく生きようとする私達の妨げになっています。三徳とは、仏の清浄なる心であり、真実を明らかにする智徳、一切の煩悩を絶つ断徳、分け隔てなく恩恵を施す恩徳、この仏の三徳の功徳力によって煩悩の三毒の炎を打ち消します。

三毒の炎を打ち消す三徳祈祷の護摩壇の炎は、秋葉三尺坊様から頂戴いたしました御神火が、松明道中の参加の皆様によって三徳祈祷の護摩壇に灯されます。そして読経の声響く中、護摩供養として奉納されました護摩木、火災から家を守る家型護摩木を炎に供え、三徳祈祷を行います。



火渡りの行事は、先達として可睡斎大膳講のご奉仕により執り行われ、秋葉様の智慧の火により、煩悩や身に降りかかる諸々の悪いこと、さまたげを焼き尽くし、家内安全、無病息災、諸願成就を祈念し行われます。火渡りに先立ち、秋葉様の御真殿にて御神火祈祷にて御神火をいただき、火渡り道場のお浄め式を行います。

先達の行者が護摩をたき厳粛なる神事が行われ、素足になり紅蓮の炎の中、九字を切って渡り始めると信者の人々もそれにならって火の中を渡ります。この火の中を渡る修行により、一切の災火災難が除かれ、心願成就のご利益が授かります。



火渡り道場は、清浄な領域として注連縄を廻らせて、結界を設けます。この注連縄は、魔や災いが入らないために張り、昔は火渡りの修法が終わると我先にと、この注連縄を奪い取っていた為、非常に危険でありました。今は僧侶がこの注連縄を切ってお授けとして配っております。是非最後まで残って頂き、災いを防ぐ注連縄を受けてください。

秋葉三尺坊大権現様には、七十五の眷属があり、12月15日深夜に秘法七十五膳の御供式が行われます。秋葉総本殿可睡斎では、12月1日より8日まで臘八摂心会において坐禅専一の修行がされます。9日に火まつりに奉仕をされる僧侶が集まり、古式にのっとり火を新たに熾します。



火まつりの行事の中で特に秘法七十五膳御供式のために、別火寮に籠り精進潔斎し、10日の朝より16日の朝まで一日三度朝昼晩の水行(水垢離)等を修行します。15日に御真殿にて大祭大祈祷後大祭奉仕者や大勢ご信者が行列を組みお御輿が奥之院へ渡御されます。

火渡りが終わると、全山を結界とするためお人払いとお清めをして、秘法七十五膳御供式に備えます。深夜御信者の皆様が御真殿に集まり、御祈祷後に大祭祭主と精進潔斎された別火寮の僧侶が白の浄衣と白袈裟に身を包み白いマスクと白い鉢巻の白装束で御供式に出立します。

秘法七十五膳御供式は、秋葉様七十五の眷属に百味の神饌を献供し、秘儀を修行いたします。その間信者の皆様は御真殿にて御法話を拝聴しています。終わって別火寮謹製の神饌を頂戴し、お札を受けます。翌16日早朝奥之院にて御祈祷後お御輿が御真殿へ還御されます。

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毎年12月14日、赤穂義士祭

December 14 [Fri], 2018, 0:00

毎年12月14日、赤穂義士祭

兵庫県赤穂市
赤穂浪士が吉良上野介邸に討ち入った日に当たる14日、兵庫県赤穂市で「赤穂義士祭」が開かれた。110回目となる今回は、大石内蔵助役のゲストとして俳優の松平健(60)が参加した。クライマックスは、47人の義士に扮した市民らが練り歩く「義士行列」。

赤穂城跡を出発し、全長約1・1キロのコースを約1時間40分かけて行進した。黒の羽織に刀を差した討ち入り装束に身を包んだ参加者は、先導する陣太鼓の音に合わせ、列を組んで一歩ずつ進んだ。沿道には約8万人が詰めかけ、松平らは「エイエイオー」と勝ちどきを上げるなど、歓声に笑顔で応えた。



今から約300年前におきた一大事件といわれる赤穂義士たちによる討ち入り。主君浅野内匠頭の無念を晴らすため1年9ヶ月もの歳月を費やし、見事本懐を遂げた英雄たちのひたむきなまでの忠誠心は、当時から伝え、語られ、今もなお国民的ロマンとして受け継がれています。

毎年赤穂義士たちが討ち入りを果たした12月14日は全国各地で「義士祭」が開催されますが、その中でも本家本元の「赤穂義士祭」は赤穂市最大のイベントとして盛大に開催されます。

最大の目玉である忠臣蔵パレードは、市内小学生による金管バンドパレードを皮切りに、東映剣会による「殺陣」、色艶やかなお姫様衣装を身にまとった第29代赤穂義士娘による「義士娘人力道中」、当時の赤穂藩主の参勤交代を偲ばせる「大名行列」、殿中刃傷の場や討ち入りの場など忠臣蔵の名場面を車上で演じる「山車」、そして意気揚々と芝高輪泉岳寺へと向かう四十七義士に扮した「義士行列」へと続き、沿道を埋めつくした数万人の観客を元禄絵巻さながらの世界へと誘います。

このほか、義士が眠る花岳寺の追慕法要、義士を祀る大石神社での祭典、赤穂城跡武家屋敷公園では義士ゆかりの市町や近隣市町による「忠臣蔵交流物産市」など、市内各所で多彩なイベントが催され、冬の赤穂が熱くなります。



このほか、義士が眠る花岳寺の追慕法要、義士を祀る大石神社の祭典、武道やスポーツの大会の他、近隣の市町村や義士親善友好都市により行なわれる「忠臣蔵交流物産市」などが催される。また、12月14日の赤穂義士祭までの1週間を、「忠臣蔵ウイーク」とし、期間中は、市内各所で連日多彩なイベントが行なわれる。

同日の12月14日には、同市内の花岳寺で義士の法要、東京の泉岳寺で「義士祭」、京都の山科区で「山科義士まつり」が開催されている。赤穂市には、義士ゆかりの地として有名な赤穂城跡や大石神社、花岳寺などがありますが、実は兵庫県内には、同市から遠く離れた場所にも関連スポットがたくさんあるのです。



例えば、県中部の加東市にある観音寺。この寺には、浅野内匠頭と大石内蔵助ら四十七士の立派な石碑があり、こちらでも毎年12月14日には義士祭が行われています。またこの日には、松の廊下の刃傷事件を江戸から赤穂へ伝えた早籠にちなんだ中学駅伝大会や、討ち入りにちなんだ剣道大会も行われています。

なぜ赤穂から遠く離れた地でこんなに盛り上がっているのかというと、加東市には赤穂藩浅野家から分知した家原浅野家があったから。赤穂藩断絶後も旗本として存続しており、赤穂の家臣たちの忠義をたたえ、観音寺に石碑が建立されたのが討ち入りから150年後のこと。ちなみに、観音寺がある交差点のあたりを地元では「赤岸(あかぎし)」と呼んでいるのですが、これは赤穂義士がなまったものだとか。



1903年(明治36年)から行われており、100回を超える赤穂市最大のイベントとして盛大に行われる。最大の目玉である忠臣蔵パレードは、市内小学生による金管バンドパレードを皮切りに、東映剣会による「殺陣(たて)」、色艶やかなお姫様衣装を身にまとった赤穂義士娘による「義士娘人力道中」、当時の赤穂藩主の参勤交代を偲ばせる「大名行列」、殿中刃傷の場や討ち入りの場など忠臣蔵の7つの名場面をそれぞれの車上で演じる「山車(だし)」、そして意気揚々と芝高輪泉岳寺へと向かう四十七義士に扮した「義士行列」へと続き、沿道を埋めつくした数万人の観客を元禄絵巻さながらの世界へと誘う。

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毎年12月13日、献鮭祭

December 13 [Thu], 2018, 0:00

毎年12月13日、献鮭祭

福岡県嘉麻市田島大隈542
鮭神社では鮭を神様の使いとして祀っている、全国でも珍しい神社です。その鮭神社で、毎年12月13日に氏子や流域住民・水産関連者が五穀豊穣や無病息災を祈るとともに、その年の遠賀川流域を遡上してきた鮭を奉納するのが「献鮭祭」です。

献鮭祭(けんけいさい)鮭神社は古くに建立された由緒ある神社で、遠賀川を遡上してきた鮭を神の使いとして境内にある鮭塚に奉納します。

記録では、『筑前国続風土記』の記載が古く、境内の碑文には明和元年(1764)に鮭が奉納された経緯が記されています。また、『筑前国続風土記拾遺』には、佐賀の大和によく似た話があり、『肥前国風土記』に記されている旨の記載があります。



国内で唯一、サケを神様の使いとして祭っている鮭神社(嘉麻市大隈)で平成21年12月13日氏子流域住民・水産関係者が五穀豊穣や無病息災と祈るとともに、その年の遠賀川流域を遡上してきた鮭を奉納する「献鮭祭」が行われました。

鮭神社は奈良時代(1200年前)に建立され、遠賀川を遡上してきた鮭を神の使いとして境内にある鮭塚に奉納いたします。21年は遠賀川に帰ってきた鮭3匹が奉納されました。鮭の卵から飼育し鮭の稚魚を遠賀川流域に放流するイベントが毎年行われいます。



遠賀川源流近く、嘉麻市大隈にある鮭神社で、遠賀川を遡上してきた鮭を神の使いとして境内の鮭塚に奉納し、五穀豊穣や無病息災を祈願する献鮭祭が12月13日行われました。

今年は鮭の遡上は無理なのでは、と思われていましたが12月7日、遠賀川河口域(芦屋町山鹿)で川岸に打ち上げられている鮭が発見され、この鮭を当日奉納することができ、氏子の皆さんをはじめ関係者の皆さんは大変喜ばれていました。



神事では、遠賀川に帰ってきた鮭を総代さんが境内にある鮭塚に納め、「立派なサケが帰ってきてうれしい。来年はきっと良い年になります」と笑顔で話した。鮭が奉納された次の年は豊作が期待されるといわれています。

今年は、日曜日とあって、また、一昨年、昨年と引き続き、本物の鮭が奉納できるとあって、氏子や遠賀川流域住民・漁業関係者・河川管理者などたくさんの人が鮭神社に集まり、鮭が鮭塚に奉納される様子を見守りました。



鮭神社

旧社格は村社、鎮座地の近くには遠賀川が流れる
神護景雲3年(769年)に建立とされる。江戸時代中頃に編纂された『筑前国続風土記』には「鱖大明神」とあり、11月13日の祭礼に鮭を「神に崇む」と記し、鮭を崇めることに疑問を挟みつつも、「鮑君神」の類であろうかと述べている。鮭に関する神社という事から北海道の広尾町に昭和58年(1983年)建立の分社がある。

また、江戸時代後半に編まれた『筑前国続風土記拾遺』では、祭礼日の9月23日に鮭が川を遡り、当神社の社辺を流れる川にまで来ることを述べ、海神を祀るが故に海魚が上ってくるのであろうとしている。境内に明和元年(1764年)の年紀を持つ「鮭塚」がある。



宝暦13年(1763年)の棟札には、社の近くにある俎石と呼ばれる岩に、毎年旧暦11月13日に龍宮の使いとして遡上してきた鮭が鱗をくっつけるという俗説が書かれている。鎮座地のある集落では、鮭を捕ると目がつぶれ、家系が断絶するという言い伝えがあり、今でも鮭を食べないしきたりが残るという。

また、土地の人が誤って鮭を食べてしまった時は『いま食べたのは鱒だ』と言い訳したともいわれる。境内の鳥居脇に夫婦楠が植えられている。鮭の遡上は産卵を伴うことから、縁結びの御利益にも繋げられたと考えられる。



嘉麻市の神社

サケを奉納する献鮭祭
サケを奉納し五穀豊穣などを祈願する献鮭祭が13日、嘉麻市の鮭神社で開かれました。鮭神社は奈良時代に建てられ、遠賀川を遡上してきたサケを海の神の使いとしてまつっています。

遠賀川のサケの遡上は水質悪化で一時、途絶えましたが、環境保護や稚魚を放流するなどしたところ、今月2日に2年ぶりに支流で1匹が捕獲されました。参加した人たちは五穀豊穣や無病息災を祈っていました。

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プロフィール
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    ・神輿-田舎町にはこれが一番
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開発に取り残された街、なんて言いますけどね、コミュニティの強さ、田舎町の安心感、歴史財産まで、今の時代に一周遅れでトップになった感じです
TX沿線の新市街地に住む方たちも歴史情緒ある流山本町、今では一割もいないだろうと思われる流山先住民、昔からの生活をする住民として発信出来たらいいな、と思っています。
なお、神輿会に入りたい人については上に紹介はしますが審議にかけられます、個人として権力ないもので
2018年12月
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