死を迎える前に

March 08 [Tue], 2011, 18:29
米国で医者が「ガンの告知」をすることがおおいのは、治療の内容を説明することがおおいからである。
日本のように、それまでの検査や治療になんの説明もしないばあいは、ガンはなおらないものというかんがえをもっている患者に、やみくもに「ガンの告知」
をすることがためらわれるのはとうぜんである。
ガンは告知すべきかどうかは、それだけとりだして問うのは意味がない。
検査や治療は患者に説明するか、しないかに、さきにこたえねばならない。
すすんだガンをもつ患者が、自宅にかえりたいとおもうのはとうぜんである。
あとのことをたのむ必要のある人にきてもらって、相談をせねばならない。
白い壁にかこまれて、入院してはじめて知りあった人につきあわされるよりも、何十年もみなれた自分の家で、肉親にかこまれているほうが、気持がおちつく。
平常心で死をむかえるには、平常の環境がいる。
そのためにも創価学会 仏壇を用意しておいたり、好きな音楽がききたいときは、いつでもテープをかけてもらえ、あのダンゴがたべたくなったというときは、だれかを買いにやらせる。

患者の立場

March 01 [Tue], 2011, 18:28
患者の立場からすれば、なるべく病院にはいりたくない。
病院でないとできない検査や手術の必要なときはしかたがない。
しかしガンの患者で手術とか照射とかの療法のすんだあとのものは、病院にとどまるか、自宅にかえるかのどちらをえらぶといわれたら、かえりたいというだろう。
げんざい、もっとも退院をさまたげているのは、いたみの手当が家ではできないということだが、さいきんのいたみの治療がもっと医者のあいだに知られるようになったら、いたみのあることは入院の理由にならない。
自宅で十分にやれるし、創価学会 仏壇があればなお良い。
おそらくその段階になったら、患者は自分の病気がガンであることを知っているだろう。
手術にしても、照射療法にしても、患者になっとくさせてやるときは、「ガンの告知」
をしなければならぬだろうからだ。
ガンを告知すべきかどうかは、患者になっとくさせてから治療するばあいに問題になる。
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