およそ、50年ぶりに

January 13 [Tue], 2015, 20:38
時の流れというのは、予想もしない人物に再会する事が可能になるものである。

私が幼少、多分4,5歳だったと思うが、北九州のとある町の旅館の一室で私より2つか3つ下の少女と遊んだという記憶が残っていた。
後から知る事になるが、それはKという子で亡くなった父の姉の子、つまりいとこである。

それから盆正月に九州に帰省するのだが、その子に会う事はなく後々知ったのはその母親である父の姉は亡くなったと。
実は、その北九州の旅館にいたのは、その母親が危篤となり息を引き取るという状況であった。

ここからが少しややこしくなる。
当然、そのいとこであるKには父親がいる。
その父親の弟と、私の父親の妹が夫婦であった。
つまり、姉妹が兄弟と結婚という、なんとも珍しい状況。
ややこしいが、これを踏まえて。

Kとその父親は、我々の一族とは縁が切れたという関係もあり、盆正月の集まりに顔を出す事はなかった。
だが、弟と妹の夫婦は、もちろん関係ありなので当然顔を出し、Kの状況を伝え兄妹たちに安心を与えていた。

だが、多少変化があったのは、Kの父親が再婚する事に。
Kには妹がいて、小さな子供2人を育てるのはなかなか大変、再婚も仕方ない話。

これは、女性なら理解できると思うが、できるなら前妻の痕跡は残して欲しくない思いがある。
そういう事があったのかどうかは不明だが、遺骨や位牌、そして名前も。
平たく言うと、その亡くなった叔母は旧姓の私と同じ名字になった。

その後も、兄妹が集まるたびKの話が出るのだが、大変苦労をしていると。
ドラマではないが、継母とは上手くいっていないと,蒼蝿水
修学旅行の積立も、自分アルバイトしてといった話も。

そういう集まりにも、今は他人であるので呼ぶのも難しい。
みんなが、何かをと思っても何もできず、そして完全に忘れられないのは妹弟夫婦は、伯父叔母姪の関係であるため。
いや、むしろその関係が邪魔という思いも。

それから、長い月日が流れ、私の祖父母も亡くなった。
遺骨は、田舎の寺の納骨堂に長く安置され、そこには叔母の遺骨も。
私の父親の兄には男の子が生まれず、事実上跡継ぎの本流は私の父であり、その後は私に。
そういう意味もあって、父親が墓を建立。

ある事がきっかけとなり、納骨堂に安置されていた遺骨や位牌をすべて持ち帰る事になった。
私の祖父母、曾祖父母、叔母の遺骨も同じ墓に納める事に。
当然、墓石にもめいめいの名前を刻んで。

そのKの事は、長い月日が流れ私の中でもほぼ消えていた。
一度、その名前が出てきたのは、墓の花ミステリーとして。

ある日、まだ父親が生きていた頃だが、墓に行ってみると新しい花が供えられていて、お前行ったか?と。
いや行ってないと答えると、じゃ誰が?
誰か、間違って供えたのか、なんて話になっていた。

だが、後々知ったのは、どうもKじゃないかと。
墓の場所は、先ほど書いた妹弟夫婦つまり叔父叔母から聞いていたらしい。
それで、年数を経て自分の本当の母親の墓参という事だったのであろう。

また、年月が流れ、その妹弟夫婦の弟である伯父も亡くなった。
そして、情報としてだが、Kの父親も亡くなったらしい。
叔母とは時々連絡をとっていたようで、昨年私の父親が亡くなった事を知り香典も送ってくれた。

そして、話は先日のサイパン滞在中に。
別件で家人と電話で話していると、「13日に、Kちゃんが息子さんとお墓とお父さんに手を合わせに来るみたい」と。
その時は、どういうルートだとかは不明であったが、帰宅して色々聞くと当日は伊丹空港に息子2人で来るとの事。

ん?息子さんとなら総勢3人、運転手の私を含めると4人、我が家の軽自動車は4人乗り。
つまり、その幼少の頃に出会ったきりのいとこKと初対面の息子2人を乗せて、墓と実家に案内という完全アウェー状態かぁ。
しかも、空港で迎えって、双方わかるのか?

間に、母親が絡むと話がややこしくなるので、聞いていた携帯に思い切って電話。
ごぶさたしています、というのもおまぬけなくらい久しぶりになる。
ま、双方そんな感じで、伊丹空港到着便の確認。
で、「実は私、ボウズにしておりまして、案外目立っているかも」と案内。
「もちろん、携帯鳴らしても大丈夫ですが」とも。

さて、当日、伊丹空港の到着口で待っていると、私を見る女性。
やっぱ、ボウズってわかりやすいのか、その女性がKであった。
「お久しぶりって言っていいのかどうか」なんて挨拶をし、息子さんを紹介された。
とて真面目そうで、母親が苦労するとちゃんとした子供が育つようである。

4人で、小さいROOXに乗り込み一路お墓へ。
だが、当日はじゃじゃ降りの雨。
お墓に行っても、線香も上げれないくらいの雨。

息子さんに、墓石の名前を見てもらい「これが、君たちのおばあさんだよ」と。
話はすべて聞いているとの事だったが、やはり実物を見るというのは感慨深げであった,精力剤

その後、実家に移動し私の父親の仏壇に手を合わせてもらう。
その仏壇には、Kの母親の位牌も置いてある。
母親が「これが、あんたのお母さんの位牌」と出してきた。

どうやら、Kはその位牌が幼少の頃家にあったのを記憶していたようである。
その話を聞いて「じゃ、良い機会だから、連れて帰りなさい」となった。
Kは、そんなつもりじゃなかったと言いつつも、持って帰りたい気持ちはありあり。
「いや、元々は、あんたが持っているべき物、あるべき所に戻るだけだからぜひ持って帰りなさい」となった。

その一点だけでも、来てもらった甲斐があるというもの。

家族旅行の理由は、長男さんがこの春社会人に。
この先は、なかなか機会がないだろうから、次男の春休みに合わせて関西旅行に来たと。
午後には、宝塚歌劇を見るとの事だったので、阪急宝塚線の最寄駅まで送ってお別れとした。

不思議だったのは、やはり血脈というのか何と言うのか、50年近くぶりなのに違和感なく話せた。
まあ、お互いそれなりの年齢なので、今更照れやカッコつける事がないというのもあるだろうが、それよりはやはり親戚なのかなと。

この先、会うチャンスも少ないと思うが、幸せに暮らして欲しいと願うばかりである。
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