深海冷蔵庫 

2006年09月01日(金) 17時46分
叶わないなら 叶わないなら
願わなければよかったよ、はじめ から
わたしがどこへも 行けないのは、
あなたのせいじゃない。
わかっていた のに 責めて しまった
腐ってゆきたいな 海の底で腐って 波になって。
できないできない も わからないわからない も
全部おまえのせい だよ と
そう言い切ってしまうあなたの声は、遠かった。
それがもう 全部 わたしに返ってくるしかないの なら
言い訳すらかなわないよ。
だれより逢いたいのは
あなたで
だれより泣きたいのは
わたしだ
それでももう どこへも行けないなら、
笑うしかないんだよ。
力なく
ね。

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2006年08月24日(木) 23時04分
あなたが知っていて、私が知らないことは、いくらもあるのに、
私が知っていて、あなたが知らないことは、なんにもないんだね。

そんないじわるな言葉をかけたくなった、だってこれはまぎれもない事実。
誰の目にも明瞭で、あざやかで、すこし寂しい、事実。
事実は永遠に曲げられないんだ。そうして私はまた劣性にため息をつく。

たくさんいろんなことを教えてくれた。今だってたくさんいろんなことを教えてくれる。
私の心はスポンジのように、彼からもらった水を際限なく吸いこんでふくらんでゆく。
色のなかった私のスポンジが、彼の色をした水に染まってゆくのは、うれしい。

こんなに豊かないろいろを彼からもらった私は、
彼になにかをあげることができたのだろうか?
彼は私が持っていないものをたくさん持っていて、
私が持っているものは彼も全部持っている。
それならどうして私の存在に価値があるだろう。私の存在意義はどこにあるだろう。

それを探しつづけることが無駄だとしたら……私はもうどこにも行けない。
いつもこんなふうに考えてはループして、すっかりおびえきってしまうのだ。
彼だけでなく、ほとんどの人間に対して、私は同じ思いを抱いている。
とても大切で尊いものを、数え切れないくらい他人から与えられたのに、私は、
他人になにひとつ与えることができていないように思う。
それは私が、他人に与えるだけのものを持っていないからだ。
こんなふうに劣等の結晶として生まれてきたせいだろうか、こうして苦しむのは。
それとも問題は生まれではなく、成長の過程……自分自身にあるのだろうか。

頭がひどく痛む。今夜は早めに休んで、明日は朝からきちんと机に向かおう。

音のない街 

2006年08月13日(日) 18時00分
真面目な顔をして打ち明ける彼があんまり可笑しいから笑ってしまった。
そんな思考の裏に一体なにを隠しているの?
訊きたくても、訊けない。いつも私はそんなふうでいる。

どんなに取り繕われていても私の不安や恐怖が拭い去られることはない。
ありきたりの不安とはわけが違う。私は自分というものをいちばん信用していない。
そんな調子で自分にかかわる他人を信用できるわけがないのだ。
私のような人間が特別だれかに好かれるだなんて、そんな馬鹿げた妄想は、
みずからの手で早々に打ち砕いておくのが吉ってものだ、いつだってそうだ。

どうせまた可愛いあの子とあなたはなかよくしているんだろう。
”どうせ”なんて投げやりな言葉を使うもんじゃないよ、と言ったのはだれだったか。
どうせ私はつかの間の骨休めのための道具に過ぎないんだろう。
”どうせ”なんて投げやりな言葉を使うもんじゃないよ、と言ったのはだれだったか。

彼がどこへ行こうと構わないし、私にはどうすることもできない。
信用というものができない私を笑って欲しいと思う。

Yes, my dear 

2006年06月07日(水) 6時26分
特別な日だとは、思わない。
私がこの世界に生を受けてからちょうど18年の歳月が流れたことになる。
その区切りの日を特別だとは思わない。黙っていたって時間は過ぎて、
19年目だって20年目だって頼みもしないのにやってくるんだもの。

ここへ来ていまさら、手首の傷を増やしたい衝動に駆られてしまうのは、
むしゃくしゃするからのんでいる日本酒のせいでも、
起きながらみる夢のようなエゴイスティックな妄想のせいでもない。
ただ私にとってそれが救いだった時期があったから、
そんな時期がほんのすこし愛おしく思えてしまう自分にちょっとあきれたから。

18歳だった彼は悲しくなるくらいよく頭がまわり、たくさんの知識を持っていた。
敬愛と劣等感の狭間で悶え苦しんだ、16歳だった私は、
あのときの彼と同じ歳になっても何ひとつ変われていないんだ。
私はひょっとして永遠に成長することなくこのままでいるのだろうか、
ふと浮かんだ不安があまりにグロテスクでおそろしくて、身震いしてしまう。

卑怯でわがままで矮小で、小ずるくて醜くて不器用で、
そんなことはとうの昔からわかっているのに愛されたいと願うなんて滑稽だ。
分不相応な状況を夢みることは罪なのだろうか。

行く先も来た道もまるで見えない暗がりのなかで、
手さぐりで必死にみつけようとしているものがどんなものなのだか、
本当は私が誰より知っているのにね。認めてしまうのが恐ろしいんだ。

お酒をのんで浮きあがった左腕のきずあとはあんまりまっすぐならんでいて、
それは間の抜けた赤いバーコードみたいにも見えるから、
レジの読み取り機をかざしたら私の価値が数値化されるかも知れない。
ふた粒のあさがおの種くらいの値段であって欲しいと、漠然と考えた。

器に注ぐ水の音楽 

2006年06月06日(火) 8時36分
15歳の秋、通っていた進学塾で作文コンクールが開催された。
難関私立高校で過去に出題されたテーマに沿って模擬的に作文を書き、
それを塾講師たちが採点して、優秀作品には賞があたえられるというものだった。

「器に注ぐ水の音楽」というテーマは私にとってはさほど扱いづらいものではなかった。
環境やら経済の問題についての考察など、論述的な文章ががあまり得意でない私は、
逆にインスピレーションや発想重視の抽象的なテーマを好む傾向にある。

三時間ほどかけて書き上げた作文は、ちょっと口元がほころんでしまうくらい、
当時の自分としてはかなりレヴェルの高いものに仕上がった。
今あらためて読み返してみると、まだまだ稚拙で改善点はいくらも見つかるのだけれど、
ともかく当時はほんのすこし誇れるような、胸を張れるような気持ちでいたのだ。

私の作文は全校舎から選ばれた五作の優秀作文例のひとつに掲げられた。
うち四作が「私は」で書き出し自分の解釈を述べる形式であるのに対し、
私が書いたものは多少型破りで、異端とも呼べるような雰囲気だった。
それを幼い私はうれしく、誇らしく思っていた。これが自分の能力なのだ、と思った。

ここ数ヶ月、私は泣いてしまうほどの劣等感におそわれ、
脱力感や精神的な不安を二次的に引き起こすに至っている。
自分がどれだけ無知で、無力で、なんの意味も持たぬまま生きながらえているか、
そんなことばかりを考えるうち、自身の存在意義を見失ってしまったようなのだ。