東風吹かば、にほひをこせよ、梅ヶ枝餅(遣唐使大健闘編)

July 08 [Sun], 2018, 18:58
7/1(日)

06:00 起床

と、その前に4時頃左足がこむら返りを起こし、我が輩痛みで目が覚めていたのであった(>o<) 実はこの症状、数年前まで年に何度か発症していたのだけれども対策を講じるようになってからは(それは例えば就寝前の水分摂取であるとか)殆ど出なくなっていたのだが、やはり前日の疲れ(長時間の徒歩と乗り物移動、そして大量の発汗(~Q~;))が無自覚に響いていたのかもしれない。

通常こむら返りが起きたときと言うのはナニもしないで居ると痛みが徐々に拡がっていき、どーにもこーにもできない状態に陥るのだけれども(痛くて唸るのみで、後はそれが引いていくのを待つだけという)こういうときの対処方法も以前勉強していたので(足の指を全部掴んで反るようにマッサージを続けると収まっていく)軽度の痛みで済んだが、まさかの体反応に少々驚いてしまった。

06:30 朝食

ホテル一階にあるレストラン・グランドマスターズカフェでブッフェバイキング(おひとりさま1200円) スタート時間に行ったらそれほど客もおらず余裕を持って食べることが出来た(店内もかなり広い)予想どうり明太子が用意されていたのはさすがだなと思いながらけっこうあれやこれやと食ってしまった。こんな早朝から自分にしちゃ珍しいことだけど、美味けりゃ何時だろうが腹には入ると言うことなんだろうかね。

08:30 チェックアウト
08:45 路線バスで出発 
09:15 博多駅到着・バスターミナルへ
09:30 太宰府ライナーバス「旅人」に乗車
10:00 太宰府に到着

と、言うことで我が輩人生初の太宰府天満宮である。バスを降りたらそこは直ぐ参道になって居るのだけれども、とにかく何処を通っても雰囲気が良いのだ。異常に外国人観光客が多いことを除けば(ーー;)人の賑わいだったり、活気ある各店の喧噪は言うに及ばず、御本殿に向かう途中いくつかある御神橋から眺めたときに見える風景の穏やかさであったりとか、なんというんだろうなあ、日本古来の風情はここにあり!と言いたくなるような神々しい空気で満ちていたのである。それだけにクドいようだが外国人観光客の皆さんがその良いムードを若干壊しているような気がしたのだけは残念であったけど、まあこれ以上は言いますまい。観光地には人が来てお金落としてなんぼ、なワケだしね。

そしてこの場所には九州国立博物館というのが隣接しており、そちらの方へ廻って見学することも可能。この建物の何がスゴいって「本館」に行くためだけの長距離エスカレーターが用意されていて、最初見たとき我が輩はここが博物館だと思っていたくらいで(__;) 中入ってただの"駅"的な物だったことを知ったときは驚いたのものである。



エレベーターを登り切るとようやく博物館の全容が目に飛び込んでくるのだが、そのデカさに圧倒されてしまった(ぱっと見まるでアベンジャーズの本部かと思わせるような非日常の建造物に見えたな)ついさっきまで雅な空間を歩いていたつもりだったのに、突然こんなもんが出現すると自分の感性がその変化について行けない( ̄▽ ̄;)

ここでわたしが一番面白いと感じたのは遣唐使の時代に作られた逸品の数々で、それこそ教科書でしか見たことのなかった物があれもこれもと目の前に置かれているのである。普段からそれほど歴史に興味が無い我が輩でもこれだけの物量を見せられるとさすがに感動した。

そして現場で食べた物についてだが、昼食は太宰府天満宮のエリアにあった"かさの家"で松花堂弁当を食い(下写真参照)帰りの道すがらはこちらの名物である"梅が枝餅"にも手を出してみた。どちらもかなり美味かったのだが我が輩は"梅が枝餅"をたいそう気に入ってしまったのであった(違う店でもう一個買って味の違いを確認したくらい(ーー;))

この"梅ヶ枝餅"とはWIKIによれば「菅原道真が大宰府へ権帥として左遷され悄然としていた時に、安楽寺の門前で老婆が餅を売っていた。その老婆が元気を出して欲しいと道真に餅を供し、その餅が道真の好物になった。

後に道真の死後、老婆が餅に梅の枝を添えて墓前に供えたのが始まりとされている。別の説では、菅原道真が左遷直後軟禁状態で、食事もままならなかったおり、老婆が道真が軟禁されていた部屋の格子ごしに餅を差し入れする際、手では届かないため梅の枝の先に刺して差し入れたというのが由来とされており、絵巻にものこっている」

と、いう事になっているそうである。↑最上段にある写真に写っているのが"飛梅"と呼ばれる樹齢1000年はあると言われる神木。

この"飛梅"についても伝説があり、先の梅ヶ枝餅の話とセットになって語られるとか。こちらもWIKIによれば次のようになっている。

「平安時代の貴族・菅原道真は、平安京朝廷内での藤原時平との政争に敗れて遠く大宰府へ左遷されることとなった延喜元年(901年)、屋敷内の庭木のうち、日頃からとりわけ愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しんだ。

伝説の語るところによれば、道真を慕う庭木たちのうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみのあまり、みるみるうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったという。

しかして梅と松は、道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛んだ。ところが松は途中で力尽きて、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの後世「飛松岡」と呼びならわされる丘に降り立ち、この地に根を下ろした(これを飛松伝説と言う)

一方、ひとり残った梅だけは、見事その日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったという。

飛梅伝説の現実的経緯としては、一説に、道真に仕えて大宰府にも同行した味酒保行が株分けの苗木を植えたものとも、道真を慕った伊勢国度会郡(現・三重県度会郡)の白太夫という人物が大宰府を訪ねる際、旧邸から密かに持ち出した苗木を献じたものともいわれている。人形浄瑠璃、菅原伝授手習鑑の主題ともなっている伝承」



そうこうしているうちに帰りの時間が迫り、我々夫婦は太宰府を後にした。再びバスで博多駅に戻ると駅ビルで最後の買い物を終え、予定通り17時発の「のぞみ」で帰路についたのであった。

正直なところ太宰府の観光については妻の人からの提言で、我が輩はお付きあいくらいの気持ちでいたのだが、結果的には自分の方が楽しんでしまっていたかもしれない( ̄。 ̄;)今回はそれくらい充実した福岡見物であったなと(太宰府についてはまた違う季節の時にあらためて行ってみたい)
  • URL:https://yaplog.jp/ume4696/archive/1511
Comment
小文字 太字 斜体 下線 取り消し線 左寄せ 中央揃え 右寄せ テキストカラー 絵文字 プレビューON/OFF

不正な自動コメント投稿を防ぐため、チェックボックスにチェックをしてください。

利用規約に同意する
 X 
禁止事項とご注意
※本名・メールアドレス・住所・電話番号など、個人が特定できる情報の入力は行わないでください。
「ヤプログ!利用規約 第9条 禁止事項」に該当するコメントは禁止します。
「ヤプログ!利用規約」に同意の上、コメントを送信してください。
P R
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:しろくろ
  • アイコン画像 性別:男性
  • アイコン画像 誕生日:1966年7月21日
  • アイコン画像 血液型:B型
  • アイコン画像 現住所:徳島県
  • アイコン画像 職業:会社員
  • アイコン画像 趣味:
    ・映画を見ること-主に70-80年代の映画が好み
    ・野球を見ること-福岡ソフトバンクホークスと読売ジャイアンツのファン
    ・本を読むこと-年に何度か訪れる読書旺盛期限定で
読者になる
2018年07月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
Yapme!一覧
読者になる
月別アーカイブ