生きています

November 28 [Mon], 2016, 17:16
 2016年11月28日
私は何とか生きています。
最初の告知から3年半、昨年肺に再発転移して1年半。
様々な出来事を経験し、いま生きています。

2014年から通信制の大学で勉強しています。
無事に博物館学芸員の資格も取得し、今年の春に卒業しました。

4月からはまた、別の大学で基礎学習を学んでいます。

4月といえば、私の住む熊本では熊本地震が発生しました。
とても怖かったです。うちは東区で益城のすぐとなり。
我が家は大規模半壊となりました。
鉄骨なのでなんとか住めますが、使えない部屋がまだ2つあります。
外部の損傷が激しく、外壁はエアコンの室外機ごと崩落しました。
この夏はエアコン無しの生活でした。

今の私の体は、骨転移の薬の副作用で、骨髄炎になり、とても辛いです。
鎮痛剤が効かないときもありました。
ご飯も食べられず、夜も眠れず、死に顔をみるような感じでした。

でも、生きていられるので満足です。
これまでのことは、少しずつ書くことにします。

一年が経ちました

March 04 [Tue], 2014, 14:19
昨年の今日、本当におかしいと思って婦人科受診しました。
一年が経ちました。
今、私はこうして生きています。
思っていた以上に元気になれました。
今年の桜も何とか観られるようです。

しばらく更新していませんでしたが、
その間、義父が亡くなって、もう明日は百箇日です。
自分勝手な義母の振り回され、
最後まで思いやりを持たれずに逝ってしまった義父は気の毒です。
今でもまだ義母とは冷戦状態。
私と主人との価値観と全く違う彼女とは、
どんなに誠意を尽くしても、時間をかけて話をしても全く無駄です。
話し合う余地は全くありません。
自分の地位や名誉、お金のことしか大事に思っていない人ですから、
その人の身になって考えることができない人ですから、
KY以上の被害妄想、冷酷、暴言、大嘘、虚言癖。
考えが合うはずがありません。

はっきり言って、私とは生きていこうという考え方のレベルがあまりに違いすぎる。
私は一日一日が大切。
いつまで生きられるかわからないけど、頑張ろうと思って生きています。
だからお金のことで私が財産を狙っているだとか、
お金を盗られるだとかそんな妄想を抱いている義母は本当に馬鹿げているわよ。

義父の服喪でずっと黒い服を着ていましたが、
それも明日まで。
これからは明るい服を着て、
前向きに明るく生きていこうと思います。


かなしいひとはいるものです

August 01 [Thu], 2013, 15:30
8月1日


退院して早一ヶ月が経ちました。
元気になりましたが、体力は確実に落ちています。

主人の家は7月にお盆をします。
7月14日、4年前に亡くなった義弟宅へいくことになりました。
姑も一緒です。
私の病気のことは、義妹には言わないで下さいと、
固く固くお願いしていたのに、姑はあっさりと伝えてしまっていたのです。
ごめんなさいのことばもなく、完全に開き直り。
しかも、私がもう長くないということを義妹とその姉と一緒に、
面白おかしく話をしていたというので、もう、言葉がありません。

私は今回、自分の病気のことでは泣くことは一切ありませんでしたが、
初めて号泣しました。
私が入院中に姑から言われた、ガン保険に私を入れていなかったことを後悔していたということ。
姑が受取人になって私をガン保険に入れていたなら、
多額の保険金が自分の元に入っていたかもしれないのにということ。
私は自分の命がつながって、よかったと心から思っているのに、
喜んでいない人が私の心を痛める。

いつも彼女は私を苦しめる。
喧嘩になりたくないから、何も言わないけど、酷い人だよ。

CTの検査で骨転移の腫瘍が小さくなっていること、
私にとっては喜びだけど、
姑や義妹にとってはうれしくないことらしい。

悲しいです・

やっと退院!

June 26 [Wed], 2013, 6:20
長かった入院生活も今日でおしまいです。
25回の放射線治療が終わる今日の午後、いよいよ退院です!

がんとは関係ないと思う人が多い

June 13 [Thu], 2013, 9:28
昨日のニュースで乳がんのことがやっていました。
検診が大事だけど、街頭でのインタビューで
自分はがんと関係ないと思っている人が多いのに改めて驚きます。

でも、癌という病気は本当に突然やってきます。

私は両親が癌で亡くなっていたので、自分もいずれはなるだろうと思っていました。
まだ下のちびが小学生ということもあり、もう少し先だろうと考えてはいました。
でも、がんは容赦なく私のもとに訪れてきました。
私の周りからは、「どうしてあなたが、どうして母さんが、癌にならなくてはいけないの?」
としきりに言われました。
けれど、私はなんで私ががんに?とは思いませんでした。
「あぁ、やっぱり来たな」
すぐにそう思いました。

娘たちからは母さんは苦労ばかりしてきてるのに、
頑張って生きてきてるのに、なんで母さんががんにならなくてはいけないのよ、
そういわれたけど、これも私の運命というか宿命というか、
これも私の人生の一部。
そう感じました。
自分の将来も、子供たちの未来もみることができないのは残念で悔しいと思います。
でも、病気から現実逃避しても、事態は悪くなるだけで、
まじめに病気と向き合うことが一番大切だと思いました。

一番の心残りは、ちびの未来をみられないこと。

予後が悪い私のがんの顔つき。
今は笑っていられるほど元気でいられるけど、
これからどうなるかはわかりません。
でも、一日、一日を大切に精一杯生きていこうと思います。
出来るだけ明るく、楽しく。

私はまわりの人たちすべてに伝えたい。
自分はがんと関係ないと思わないで。
がんは突然やってくると。

だから、体の異変に気がついたらすぐに病院に行って!
自覚症状がなくても、定期的に検診、人間ドッグを受けて!
万が一のときのために、必要な保険に入っておくこと、
しばらく働けなくても生活できるだけの貯蓄をしておくこと。
本当に大切です。

そして何よりも大切なのは家族を大事にすること。
友達を大切にすること。

がんと言う病気になって、本当に家族や友達の存在があったことに感謝、感謝です。
もし一人ぼっちだったら、がんと向き合っていけるかな?と思います。

がんを侮らないで、がんはいつでもすぐそばにいることを忘れないで。

何事もたのしくやらなくちゃね!

June 07 [Fri], 2013, 12:40
放射線療法が始まり、今日で12回目。
治療中は部屋にBGMがかかっていて、いろんな曲がランダムでかかります。
私の時間帯は「嵐」がかかっていることが多く、すごく好きという訳ではなかったけれど、
何だかテンションが上がっていい感じで治療が受けられます。
ある日、パッフェルベルのカノンがかかっていた日があって、
すごく好きな曲だったので「大好きな曲です!」と伝えるとボリュームアップしてくれました。
治療中、まるでコンサートホールのようにとってもいい気分で聴き入りました。
相変わらず骨が当たって痛いのだけど、何だかとても楽しく治療が受けられるのです。

毎日が自然に笑顔になれる、不思議な入院生活です。

一時退院を経て、放射線療法へ

May 25 [Sat], 2013, 12:04
5月21日主治医から、自尿がしっかり出るようになったので、
放射線療法が始まるまで一時退院しましょうか?と言われました。
思いがけない提案に「えっ、いいの?」と思いましたが、
有難くそうさせていただくことにしました。
といっても、21日金曜日の夕方遅くにうちに帰り、
翌週の25日朝に再入院です。
つかの間ですが、自宅に戻り家族と過ごしました。
やっぱり、うちはいいなぁ〜!

ちびと過ごせるのが一番の喜び。
彼も嬉しそうでした。

しかし、翌日の土曜日、主人の父が肺炎で入院になってしまいました。
義母がしっかりケアをしていなかったためです。
義父が入院になり、義母は大喜び、なんと不謹慎な。
「これでわたし楽になるわぁ」
それはないでしょ?
入院の用意もしてくれないし、病院にも行こうとしない義母。
おかしいでしょ?
やっぱり、彼女は間違ってる。
彼女のことを考えるとすごいストレスになります。

義父が早く回復してくれることを願っています。

再入院して、放射線療法が始まった私。
腹部から大腿部からバッチリマーキングされ、なんか変な感じ。
治療自体は数分で終わるのですが、ベッドがかたくて骨に当たってすごく痛い!
数ミリでも動けないので、生汗をかきながらひたすら耐える。
しかも、下着もしっかり外して下半身丸出しの状態です。
技師さんも看護師さんもすごく感じがいいのだけど、すごく恥ずかしい。
でも、治療だから納得、納得で頑張ります。
合計25回、約ひと月の入院です。
どうなることやら。

長かった

May 14 [Tue], 2013, 13:13
ずいぶん余裕がなくて、ここにくることができませんでした。
手術は無事に終わりました。
お臍の上まで切開した大きな手術です。
想像していたよりはるかにきつかったです。

手術当日は激しい嘔気と嘔吐。
体の身の置き場なくて本当にきつかったです。
夫がずっとついていてくれたのですが、そばにいてくれるだけで心強かった。
不安になるので、もう少しいて、もう少しいてと引き止めて、
彼は夜中の1時までいてくれました。
ありがとう。

腹腔内で出血があって、予定していた術式が少し変更になったとのことでした。
大網は取らない予定でしたが、取ることになり、
傍大動脈リンパ節を3個試験的切除し、リンパ節自体には癌は見つからなかったとのこと。

手術時間は麻酔を入れて3時間と内容からすれば、とてもスピーディ。
出血量も350mlと少なく、輸血もしませんでした。

手術の翌日は、今度は当日よりも激しい痛みが。
お腹と背中の痛みが、どう向きをかえても治まらず、
何度も鎮痛剤の注射をしてもらうことに。

排気が遅くて、体力の消耗が激しく、離床をがんばるも、
尿の管を一日長くいれることになりました。
それがあとからの苦労につながるとは思いませんでしたけどね。

経過はそれからは順調でしたが、とにかく自尿がでないのが困りました。
がんばっても、がんばっても思うように力が入りません。
排尿をする感覚がつかめず、お腹は張り裂けそうで怖くて、怖くて、
力めません。
膀胱にかなりたまってくれば、あふれるように自尿が出ますが、
かなりの量の残尿があります。

病棟内を歩いたり、骨盤底筋運動したり、ツボを押したり、
水分をこまめにとったり、インターネットで調べてありとあらゆることを試してみました。
でも、思ったようには出ません。

すごく頑張って出したよと思っても、導尿すると200ml以上も残っていたりします。

一日4回、残尿測定。
減りそうで減らない。
しかも毎回看護師さんに恥ずかしい姿を見せなくてはならず、
情けないことで。
娘くらいの看護師さんが多くて本当にこっぱずかしい。


それでも日に日に少しずつ出る感覚が戻ってきて、
改善されつつあります。
先ほど初めて残尿が60mlでした。
何だか飛び上がるほどの感動。
うれしいですね。
あと一息。

入院

April 30 [Tue], 2013, 22:40
誕生日も無事に迎えられて、幸せな時間を過ごせました。
今日、婦人科病棟に入院しました。
あさっては手術。
朝一番の手術です。
できるだけ、リラックスして臨もうと思っています。みんなの応援に感謝。
チビは朝ナーバスでした。
でも、笑顔で登校しました。
健気です。

何としても生還しなくてはね。
頑張るぞ!!

苦渋の選択

April 18 [Thu], 2013, 17:57
昨日、カンファレンスの結果を聞きました。

子宮と卵巣、卵管のみ切除の手術。
大網、リンパ節には一切タッチしない。

出来るだけ手術による侵襲を最小限にとどめ、
その後、化学療法、放射線療法のための体力を温存する。


完治は望めない。
病勢が激しく、大変厳しい治療になる。
術後直ちに化学療法か放射線療法に入るので、
入院期間は3ヶ月になる。

予測はしていましたが、苦渋の選択だったと思います。
でも、手術してもらえるから良かった。
余命宣告されて、緩和ケアになるかもと思っていたので、
一先ずホッとしました。
夫はかなりへこんでいる。
とっても私に優しい。

プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:big joy
  • アイコン画像 性別:女性
  • アイコン画像 誕生日:4月22日
  • アイコン画像 趣味:
    ・料理-テキトー料理が得意です
    ・手作り-何でもしたがりで困ります
    ・ガーデニング-今はあんまりできなくて残念
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