14年夏、信州への旅 B

August 23 [Sat], 2014, 15:36


信州旅行も、いよいよ最終日。お天気は最高。私たちが泊まった「東急ハーヴェストクラブ本館」のレストランのテラスには、さんさんと陽がさして、良い気持ち。八ヶ岳連峰もくっきり見えました。みんなで記念撮影。残念ながら、背景の八ヶ岳はよく写っていませんが。



この日の朝食も、レストランは昨晩の夕食と同じ「Raccorta」でしたが、形はブッフェ形式。イタリアンと和食のお料理が、とても品数豊富に並びました。私はイタリアンでしたが、毎朝ヨーグルトが食べたい人なので、プレーンヨーグルトにブルーベリーソースをたっぷりかけていただきました。満足。クロワッサンも、焼き立てサクサク。



年配者三人は、昨晩と同じく和のお料理を。「綱島のばあば」はこの日もお料理がおいしいと言って、胃を手術した人とは思えないほどたくさん食べました。とくに地元・信州産の新鮮なぶどうをすごく気に入って、二回もおかわりしたのですが、あとで「もっとぶどうを食べられなかったのが心残りだわ」と言っていたほどです。よかった。

食事の後、副店長はレンタカーを返却しなければならなかったので、みんなより一足先に宿を出て茅野駅に向かってくれました。がんばってハンドルを握ってくれた副店長は、今回の旅行が楽しいものになった最大の功労者です。本当にありがとう。

副店長を除いた5人は、蓼科の清々しい空気と明るい日差しの中「東急リゾートタウン」内にあるトレッキングルートを歩きました。この日が三日間でも一番良いお天気で、ホテルのロビーからも八ヶ岳の峰々がはっきり見えました。



ブナなどの樹々に囲まれた尾根道は、お年寄りにもきつすぎず、ちょっとしたハイキングにはもってこいの環境。途中、野生のキジを何羽も見ました。「綱島のばあば」はこの体験がよほど楽しかったらしく、帰ってからも「あの山歩きが本当に良かったわ」と言っていたそうです。

一方、レンタカーを無事返却した副店長はまた松本に引き返して街歩き、大好きな古い建築の探訪をしました。彼女のカメラで撮った、松本市内のスナップをいくつか。

こちらは、開智学校。



これは旧松本司祭館。



縄手通り。



この日も暑さは厳しかったのですが、一昨日と同じく、市内各所に湧き出る名水が副店長ののどを潤してくれて、とても助かったそうです。

地蔵清水。



松本神社前井戸。



深志の井戸。



一方、蓼科でのハイキングを終えた私たちはホテルを出て、シャトルバスで茅野駅に向かい、それから副店長と落ち合うため、松本へ行きました。そして、みんなそろってお蕎麦を食べ、旅行の全日程が終了。帰りの列車は「スーパーあずさ22号」。



2泊3日の信州旅行、終わってみれば、あっという間でした。でも、うちの家族3人に加えて、私たち夫婦の親たちまでうち揃っての旅は、初めて。とにかく、孫と一緒に過ごす時間が生きがいの親たちが、本当に楽しそうだったのがよかったです。また、息子のおかげでいい親孝行ができました。中学生ぐらいになると、親たちと一緒に行動するのが面倒な子も多くなると思います。その上、夏休みと言っても塾の夏期講習や部活で超多忙な息子が、家族旅行に喜んで付き合ってくれたのもありがたいです。私としては、みんなに感謝。また、こんな旅がしたいと願っています。

14年夏、信州への旅 A

August 22 [Fri], 2014, 13:14
今日も信州旅行の記事を書くことにしています。でも内容に入る前に、ひとつの悲しいことについて書いておきたいと思います。多くの読者の皆さんには、関係のないお話だと思いますが……。

カトリック菊名教会のメンバーの青年に、K君という人がいました。心優しく、細かい気遣いができて、その上、頭脳明晰。同年代の人たちからの人望も厚かったようです。そして様々な福祉・社会問題にも敏感な「行動するクリスチャン」でもありました。私たち「横浜教区正義と平和協議会」のイベントに協力して働いてくれたこともありました。その彼が31歳の若さで、18日に亡くなりました。実は昨年から病気と闘っていたそうですが、本人の希望で一部の人以外には知らされていなかったとのこと。

私はほんの数回、軽く言葉を交わした程度のお付き合いでしかありませんでしたが、傍から見ても素晴らしい青年だっただけに、本当に残念です。神様はなぜか良い人に限って、早めに天に呼んでしまわれる気がします。でも私たちはクリスチャンですから、死はすべての終わりではないと考えます。いつか、彼の素敵な笑顔と再会できると思います。今は、とりあえずゆっくり休んでください、とだけ言っておきたいと思います。

さて、信州への家族旅行、二日目の朝。



上諏訪温泉「RAKO華の井ホテル」の朝食は、ブッフェ形式。食べ物にいろいろと苦手が多い「綱島のばあば」ですが、食べたいものだけを好きなだけ食べられるブッフェ形式は、大好き。大喜びで、たくさん食べていました。13年前、胃の全摘手術を受けた人とは思えないほど。写真は洋食メニューですが、ばあばはもちろん和食メニューを選んでいました。

朝食の後は全員で茅野駅まで移動して、駅レンタカーを借りました。借りたのは、最大7人乗りの、マツダのプレマシー。運転は、副店長です。私は、ちょっと恥ずかしいのですが、プジョー205に5年、アルファ・ロメオ155に20年、合計25年も左ハンドル車に乗り慣れてクセがついてしまっている上、副店長は大の運転好きなので、ハンドルは彼女に任せました。

そして、向かったのは「ピラタスロープウェイ」の山麓駅。このロープウェイは、標高約1800mの山麓駅と、標高約2200mのところにある、横岳坪庭というところを結んでいます。一昨年までは北八ヶ岳ロープウェイという名称だったようですが、スイスにある山岳リゾート「ピラトゥス山」にちなんで、この辺りを「ピラタス蓼科スノーリゾート」を名づけた際に、名前が変わったようです。こちらが山麓駅。



スイスの山小屋風の造りで、雰囲気たっぷりです。そして、いちどに100人も乗車できるという大型のゴンドラに乗って、出発。



山の下ではお天気は晴れだったのですが、山頂まで来ると、残念ながら見晴らしはいまひとつ。

山頂駅は、北横岳と縞枯山の間に拡がる「坪庭」という場所にあります。「坪庭」といっても人口の庭ではもちろんなくて、八ヶ岳の噴火活動によって出来た溶岩台地です。もちろん広さも一坪ではなく、約10万坪。この写真の場所の標高は、2240m。



流れ出した溶岩がごつごつとむき出しになった「坪庭」の風景。下界は酷暑でしたが、ここまで来るとさすがに空気はひんやり。半袖ではちょっと寒かったです。



ちょうどガスが出てきて、北八ヶ岳の山々はまったく展望できませんでしたが、一方で、ガスが風景に幻想的な雰囲気を添えてくれたとも思います。



そして、足元を見れば、可憐な高山植物が花を咲かせているのに気が付きます。こちらは、歌でも有名な、エーデルワイス



これは、ホタルブクロという名前だそうです。



こちらは、名前がわかりませんでしたが……。



「坪庭」の景観を見て歩くだけで、1時間強の行程でしょうか。私たちは本当に夏の格好で(一応、めいめいの分の長袖を一枚リュックに入れてはいましたが)、山歩きの装備は全くなかったので、縞枯山や北横岳に続く本格的なトレッキングコースには入りませんでした。でも時間があったので、周辺の木道にも少し分け入って、縞枯山荘という山小屋までは行ってきました。



本当は、清々しい山の空気をもっと吸っていたかったのですが、ガスが濃くなるとともに、雨まで降りそうな気配が出てきたので、山上の散策はここまでにして、ロープウェイで下界へと降り、またレンタカーに乗り込んで、宿に向かいました。

二日目の宿は「東急ハーヴェストクラブ蓼科本館」という、会員制のホテルです。日吉の父が現役だったころ勤めていた会社の社長さんのつてで、みんなで泊まれました。

茅野の駅からピラタスロープウェイ山麓駅へ向かう途中の、ビーナスラインという道を途中で左に折れると、あたり一帯の山林が「東急リゾートタウン」という広大な観光エリアになっています。一般の旅行客でも泊まれるホテルや、レストラン、各種スポーツ施設、散策路から、アートギャラリーまであります。

私たちの泊まった施設はリゾートタウンでも、一番高い所にあったので、ロビーを入るとすぐ目の前に、八ヶ岳連峰が見渡せました。到着したときは、まだけっこう雲がかかっていましたが。



そしてお部屋は、こんな感じ。





部屋の窓からの眺望は、こんな具合でした。



当初は雲っていましたが、そのうち少しずつ雲が流れて、バルコニーから蓼科山も見えるようになりました。



ひと休みした後、温泉に浸かって疲れを取り、お楽しみの夕食です。私たちが泊まった「蓼科本館」には、食事できるところが「Raccorta(ラコルタ)」というイタリアンレストランしかありませんでした。ほぼ和食しか食べられない「綱島のばあば」ですが、ここには「和イタリアン」というメニューがあるとのことだったので、年配者三人はそれを。私と副店長、息子は普通のイタリアンの「フェリーチェ」というコースを頼みました。こちらがそのアンティパスト。



内容は……すみません、もう忘れてしまいましたが、とてもおいしかったです。なので、また食べることに夢中になり、以後、食後のドルチェまで写真を撮るのを忘れてしまいました。

ただ、食べているうちに雲がすっきり晴れたので、レストランの窓から八ヶ岳の峰々の雄大な景観が望めるようになりました。



八ヶ岳連峰を眺めながらの夕食は、何よりの贅沢。食事の開始時間を、早めの5時半に予約していて大正解。もしかするとこの景色が、一番のごちそうだったかもしれません。

締めのドルチェは、パパイヤのゼリーにマンゴーのソースをかけて、そこにリンゴのシャーベットを乗せ、さらにお砂糖で固めたオレンジをトッピングしたもの。



トロピカルフルーツがとにかく大好きな息子は「これ、おいしくて気が遠くなりそう」と言っていました。ちなみに食事中、ばあばが「これは食べられないからあげる」と言って回してくれた「フォアグラのソテー・ブルーベリーソースがけ」を食べたときも「こんなうまいもの食べたの、久しぶりだ」などと生意気なことを言っていました。「こんなもの、めったに食べられるわけないだろ! 逆にいつもこんな贅沢していたら、罪だ!」と言うところですね。

食後には、もう一回温泉に入りなおしました。ちなみにお風呂はさほど広くはなく、露天風呂もなかったものの、ここからも八ヶ岳の連峰が望めました。

あとは、部屋に戻ってゆっくりした後、就寝。二泊三日の信州旅行も、メインは終わってしまいました。旅は本当に楽しいのですが、どうしてこんなに時間が速く経ってしまうのでしょう。

明日は、最終日です。

14年夏、信州への旅 @

August 21 [Thu], 2014, 18:13


今年の夏の家族旅行は、うちの3人に加えて、日吉の私の両親と、綱島の副店長のお母さんも一緒に、一族うち揃っての信州への旅でした。最初に訪れたのは、松本。国宝松本城(写真上)の見学は、歴史好き、城好きの息子のリクエストでした。

日本各地に城郭跡はありますが、廃城前の、オリジナルの天守閣が残っているのは意外に数少なく、松本城はその一つです。堂々としていて、かつ優美。特に松本城の場合は「月見櫓」(写真の右端)というものを付設してあるのが、風雅で良いですね。

でも、最近の「戦国ブーム・城ブーム」の影響か、入場するのに長蛇の列。炎天下で、40分近く待ちました。



松本へは以前に一度、副店長と二人で訪れたことがあります。その時も夏休み中だったと記憶していますが、お城への入場、確かこんな大変じゃなかったと思います。

そんなわけで、城の中に入って見学したのは、私と副店長と息子の三人。その間、お年寄りたち(?)は、涼しい所でしばし歓談、ということになりました。

この日は、西日本、特に広島では、豪雨災害でたくさんの方が亡くなったほどの荒天だったのですが、松本は晴れ。じりじりと照りつける太陽の下、気温は何と36℃でした。

そんなわけで、予定していた「開智学校」の見学などは、主に年配者たちの健康を考えて中止することにしました。せっかく来て、松本城だけではもったいない気もしますが、小さい子やお年寄り同伴の旅は、とにかく無理をしないことです。

でも松本というところは、市内の各所に清冽な湧水が湧き出ていて、だれでも自由に飲めるようになっています。なんでも「まつもと城下町湧水群」として、環境省から「平成の名水百選」の一つとして選ばれたのだそうです。こちらはそのうちの一つ「大手門井戸」という湧水。



本当に、冷たくておいしい水。ペットボトルに入れて持って歩き、みんなで飲みました。おかげで、熱中症気味になったりする人もなく、ずいぶん助かりました。

その日の宿は、少し離れた上諏訪温泉。上諏訪は温泉の駅だけに、ホームには誰でも浸かれる「足湯」があります。



泊まった宿は、諏訪湖畔の「RAKO 華の井ホテル」というところです。



こちらが部屋からの展望。泊まったのは9階でした。諏訪湖が一望です。



お風呂が大変素晴らしくて、大浴槽が二つ、薬湯風呂、日本酒風呂、それに、諏訪湖が望める露天風呂が二つ。それからサウナもありました。温泉も好きで気の合う、私の父と息子も満足したようです。

夕食は、個室で。六人で、気兼ねなく食事が楽しめました。



膝が悪くて、正座もあぐらも難しい日吉の両親のために、座敷用の低い椅子も出してくれました。そういうお年寄りのお客さんも、結構いるのでしょうね。



こちらがお膳。



わかさぎの天ぷらがおいしかったです。それから、本来お酒が嫌いなはずの「綱島のばあば」が、食前酒に出た杏子酒を気に入って、息子の分ももらって飲んでいたのが印象的でした。

お酒はこちら。地元の酒蔵が、こちらの宿のオリジナルとして出しているものです。



冷酒専用の、端麗辛口。日本酒が苦手な私でも、すいすいと飲めるお酒でした。

夕食後は、毎日やっているという花火を、部屋から見物できました。



花火大会の日には、なんと二万発も打ちあがるのだとか。私たちが泊まった部屋は、その当日も花火見物の特等席だと思われます。



ただ花火大会当日は、かなり前から予約が入ってしまい、なかなか予約が取れないのでしょうけれど。

旅の初日は、これで終わり。松本の町も、温泉も食事も、部屋からの眺めもみんな気に入って、上々の一日。二日目は、蓼科に向かいます。

利益と利権が戦争を起こす

August 09 [Sat], 2014, 23:50


台風11号で、日本の西半分は大変な事になっています。たくさんの方が、不安の中で避難しています。大きな被害が出ないことを祈るばかりです。そんな中、私は静岡県の沼津カトリック教会に日帰りで行ってきました。東海道線の各駅停車で。



目的は、私たちの社会活動グループが主催した、アーサー・ビナードさん(冒頭の写真)の、戦争と平和に関する講演会に参加するためです。ビナードさんは日本在住のアメリカ人で、エッセイスト、絵本作家、翻訳家として活躍されている方です。冒頭にカトリック横浜教区長・梅村昌弘司教のあいさつがあって……



それからビナードさんの講演になりました。お話の冒頭で、イタリア人作家のジャンニ・ロダーリが書き、ビナードさんが日本語に翻訳した絵本『キンコンカンせんそう』を朗読しました。

内容は、こんなものです。戦争をしている二つの国の戦争指導者が、国中のすべての時計塔、教会、学校の鐘やベルを集めて溶かし、鋳なおさせて「最終兵器」ともいえる巨大な大砲を作ります。そしてそれを相手に向かってぶっ放したとき……大砲から砲弾は出てこないで「キンコンカン!」という陽気な音が響き渡ります。それを聞いた両軍の兵隊は「お祭りだ!」「平和のぼっぱつだ!」と叫んで、武器を捨てて駆け寄り、踊り出すのです。



ただこの絵本は、ここで「めでたしめでたし」と終わりません。二つの国の戦争指導者が、これを見て慌てて自分の高級車に乗り、フルスピードで逃げ出すのです。

なぜでしょう? それは、戦争指導者にとっては、戦争がなくなり「平和」が訪れると、自分の立場、権利、権力、利権がなくなり、もしかすると、自分の戦争責任が問われることになるかもしれないからです。このエンディングは、世の中には戦争を望む人、喜ぶ人、「戦争が行われないと困る」人が必ずいる、ということを表しています。

この本では「平和のぼっぱつ」という言葉が使われています。これを作ったとき編集者はビナードさんに「勃発」という言葉は、戦争や紛争などが起きるときだけに使われる言葉で、平和が勃発、というのは誤用だ、と指摘したそうです。でも、ビナードさんは、ここで敢えてこの言葉を使いました。

なぜなら、近代に入ってから起きたほぼすべての戦争は「勃発」=つまり急に、図らずも、やむを得ず発生したものでなく、その戦争で得をする人、お金や権力を手にする人たちによって計画され、準備され、実行に移されたものだからです。逆に戦争が、大多数の人にとっては無益で、迷惑で、悲劇を引き起こすものでしかないと人々が気づき、悟り、行動したとき、「平和」は「勃発」することもあり得る。そういうメッセージを、ビナードさんはここに込めたのだそうです。

ビナードさんは、現代の戦争というものは、そのほぼすべてが「お金」「利権」のために用意され、実行されるものだと言います。つまり戦争は「商売」=一般民衆をだまし、様々なツールを使って扇動し、行われる「商売」そのものだ、と断じます。



その例として、イラン・イラク戦争と、湾岸戦争が挙げられました。1980年に始まったイラン・イラク戦争のとき、アメリカをはじめとする西側先進国は、先進国の石油利権を擁護するイラクのフセイン大統領を「善」、イスラム過激派的思想を持つホメイニ氏が率いるイラン軍を「悪」とするような報道の仕方をし、フセインのイラクに戦争資金や武器の提供までしました。

ところがそれから時がたち、1991年、フセイン政権のイラクが、アメリカを代表とする多国籍企業の石油メジャー会社にとって不都合な存在になると、今度はフセイン氏が「悪」とされ、アメリカを中心とする「多国籍軍」の攻撃対象になったのです。そして悪の権化とされたフセイン政権が、もともとアメリカによって「育てられた」ものだということに、アメリカや日本のマスメディアはほとんど触れなかった(当時ビナードさんが留学していたイタリアのマスメディアでは、かなり問題にされていたそうですが)。

ここに戦争の本質があります。戦争の本質とは、大衆を扇動し、だまして行われる、巨大な「商売」だということです。不可抗力によって人々の上に降りかかってしまう天災のようなものでは、決してありえない。そしてそれが、政治的影響力を持った「企業」と、その意を受けた権力者によって周到に計画され、準備され、実行されるものであるということを、私たちは常に忘れてはいけません。

また、軍事力によって平和がもたらされる、などというペテンに乗せられることが決してないよう気を付けないといけません。どこかの国の、どこかの首相が唱える「積極的平和主義」などという御託の裏には、政治家の利権に対する欲望と、大企業の利益に対する関心が潜んでいます。そして「積極的平和」追求のためには、どれだけ多くの人の命や、幸福が奪われなければならないのかということを。

1941年12月8日、あの太平洋戦争開戦の「詔勅」が発表された時、そこにあった文言には、こんな一節がありました。「東亜永遠の平和を追求し……」まさに、「積極的平和主義」そのものです。あの人たちがこの前の選挙の時使ったスローガン「日本を取りもどす」は「戦前の日本」を取りもどすということなのでしょうね、多分。その後この国でどんなことが起こったかは、もう書かなくてもわかることです。



権力とカネを手にした人たちが大衆を扇動して行ってきた「ペテン」の例として、ビナードさんはほかに、原子爆弾の製造と使用について挙げていました。もしあれが、米国がいまだに主張し、学校でも教えている通り「戦争を早く終わらせるために」行われた行為だとしたら、早ければ米軍は1944年末の時点で、遅くとも1945年(昭和20年)前半に、東京とベルリンに、ウラン爆弾を投下すればよかった。それが1945年8月まで引きのばされたのは、長崎に投下された、当時ウラン爆弾とは比べ物にならないほどのハイテク兵器だった、プルトニウム爆弾を完成させ、その「実験」をするためだったというのです。ビナードさんによれば、これは良く言う「陰謀説」などではなく、米国の公文書を読めば、だれでもはっきりわかることだとのことでした。



これ以上は、あまりに長くなるので割愛しますが、まさに「目からうろこが落ちる」ようなお話の連続でした。しかも、うちの息子が聞いても十分理解できるようなわかりやすい表現で、しばしば聴衆から笑いがもれるような、ユーモアを交えた語り口で、すばらしい講演でした。ビナードさんの日本語も、選ぶ言葉の種類から、発音、イントネーションまで含めて完璧なものでした。目をつぶって聞いていたら、お話の上手な日本人の講演だと思うでしょう。

ちなみに「目からうろこが落ちる」というとても良く使われる慣用句は、新約聖書の「使徒行伝」第9章18節から取られた言葉です……まあ、これはどうでも良い余談ですが。

聴衆の数も、沼津カトリック教会の席がぎっしり埋まり、補助席を出してもまだ立ち見の人がいる、という盛況で、参加者の感想も「すごくわかりやすかった」「また聞きたい」というものがほとんどでした。そして、講演会の後に行われた、梅村司教が主司式をつとめ、7人もの神父さんが参加したミサにはかなり空席がありました。このことから推測して、相当数のカトリック信者でない方がご来場くださったようです。これも良かった点。ただ一つ残念だったのが、会場に若い人の姿が少なかったこと。できればこの講演の録画映像をDVDにでもして、広く世に広めたかったのですが……。

私たちは、日本では本当にマイノリティであるカトリックの団体で、人数も少なく、お金もなく、力も弱いですが、これからはそうした形で、せっかくの素晴らしいイベントを少しでも多くの人に広める活動もして行かなければいけないのかな、と思いました。



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