横浜が『世界の中心』に!

July 28 [Fri], 2006, 18:30


世界の中心・・・といっても愛を叫ぶわけではありません。別に叫んでみても良いのですが、副店長から「暑さで頭が壊れた」と思われるのがオチなので、やめておきます。

今日は、港町・YOKOHAMAを『世界の中心』に据えて作られた腕時計と、その時計が作られるきっかけになった、ある人物のお話です。こんな風に言うと、わが町を愛するあまり、『横浜中心主義』に凝り固まった横浜人が、勝手に時計を作ってしまった話と思われるかもしれませんが、そうではありません。スイスでも屈指の老舗時計メーカー『ジラール・ペルゴ社』が、つい先日、正式にリリースしたものです。モデル名は『ww.tc・フランソワ・ペルゴ』といいます。以前こちらでも紹介した、横浜元町の時計店『CHARMY TANAKA』さんで、今週の水曜日、その時計のお披露目パーティーがあり、店長は招待状をいただいて(上の写真)、行って来ました。

フランソワ・ペルゴというのは、ジラール・ペルゴ社・創業者一族のうちの、ひとりの名前です。ヨーロッパ人にとって、エキゾチックな未知の国だった日本に憧れたフランソワは、欧州の貴族やブルジョアにとっても、まだ大変な贅沢品だった懐中時計を、日本という新天地に広めたい、という夢を胸に抱いて、1861年(文久元年)、横浜に上陸しました。当時、幕府はまだ英・米・仏・蘭・露の5カ国にしか門戸を開いていなかったため、彼はフランス人使節団の一行に紛れ、身分を偽って入国したようです。

横浜は、開港場になる以前は、小さな漁村でした。フランソワがやってきたころは「外国人居留地」の建設も、ようやく始まったばかり。おそらくはまだ、掘れば海水が染み出すような砂地の上に、バラック小屋に毛が生えた程度の「商館」が連なっている状況だったことでしょう。また、当時は攘夷派の侍による外国人襲撃や、未遂事件が絶えず起きていました。英国人2名が薩摩藩士に斬殺された、有名な「生麦事件」が起きたのは、フランソワが到着した翌年です。開国か攘夷か、佐幕か倒幕か、といった対立から、日本国内に「内戦」が起こる、まさに前夜という時。実際のところ、時計の商売などしている場合ではない、殺伐、騒然とした世相でした。

親は選べる?選べない?

July 23 [Sun], 2006, 4:00


週末ということで、一家三人で副店長の実家へ行き、愛車「メメ」に乗って帰る道すがら、後部座席のジュニアシートに座っていた息子が「○○ちゃんは(自分のこと)、お兄さんになっても大きくなっても、パパとママのことを大事にするからね」と言い出しました。続けて「だって○○ちゃんは、パパとママのことを愛しているから」と。
まるで大人のようなせりふに、驚くと同時に感激した副店長は、思わずウルウル。

その後、息子は生まれた日のことを話し出しました。「頭がぶつかって痛かった」と言うので副店長が「狭いところを通ってきたから、それで痛かったんだね」と答えると、続けて、「首が苦しかったよ」とも言いました。実は息子、生まれたときに、首に三重にへその緒がからまっていたのです。
親がそんな思い出話をしているのを、そばで聞いていて、そうだったんだ、と思ったのかもしれませんが、子供は生まれた時の記憶を、ある程度の年齢になるまで覚えているのだ、ということを書いた本も、以前読んだことがあります。

不思議だけれど、もしそうだとしたら、素敵なことだなと思っていると、さらに息子曰く。「○○ちゃんはね、パパとママのところに行きたかったから、あそこに生まれさせてくださいって、神様にお願いしたんだよ。それで、じゃあ、あそこに行っていいよって言われて、ピューッと来たの」と。

店長はカトリックの信者ですが、普段、家ではあまりそういう関係の話をしません。それでも、色々なことを息子に質問されて答えているときに、そういう要素が、自分でも意識しないうちに話の中に入り込んで、息子の幼い世界観に影響を与えているのかもしれませんね。
でも、世間では「親は選べない」という言い方をするけれど、もしかすると本当に人は「親を選んで」生まれてくるのかもしれないな、とも思いました。もしそうなのだとしたら、本当にありがたいことです。
副店長と二人で息子に、「そうなの。選んでくれて、ありがとう」と言いました。

爬虫類の館

July 17 [Mon], 2006, 11:26


息子が恐竜好き、爬虫類好きで、副店長が閉口していること、
当店の姉妹ブログ「CAMERA DI CHIE」をごらんになってる
お客様は、ご存知かと思います。
息子がワニや恐竜のオモチャをうれしそうに愛玩しているのを、
副店長は、なるべく視界に入らないように努力している様子です。

真剣に遊んでいるとき、「ところで、ワニはなんて鳴くの?」と
茶々を入れると、「アー。アー。」と大真面目にやってくれます。
えーホントにそうかー?とからかっても、「そう!」と自信たっぷり。
「アー」の発音が実に微妙で「a」と「e」の中間ぐらいなんですが、
聞くたびに噴き出しそうになります。

部屋の中が爬虫類だらけなだけでなく、最近、私達の住んでいる
マンションの外廊下やエントランスなどに、やもりの姿が目立つように
なってきました。やもりは、漢字では「守宮」と書くらしいのですが、
字のとおり、昔から家を災難から守ってくれる、縁起の良い動物の
ひとつとされてきたようです。
同じ爬虫類の「とかげ」に比べると頭が大きいところや、
人間に見つかって逃げるとき、ヨタヨタと体をひねって走る様子も、
良くみると、愛嬌があります。

副店長にとっては、ますます劣悪な住環境になりつつあるようで、
ちょっと気の毒でもあるのですが・・・。

メメ、メメ屋さんに壊される!

July 12 [Wed], 2006, 17:33


毎年恒例の、「定期健康診断」から帰ってきた、我が家の愛車「メメ」。さっそく翌日、息子を保育園へつれて行くのに使用したら、運転席側ドアが、中から開かなくなってしまいました。ピンときたのは、預けたとき、ディーラーのメカニックが「ドアのノブがちょっと緩んでますね。これ直しときましょう」といった言葉。また修理工場が、何か「やらかして」くれたんだな、と思い、さっそくクレーム電話。代車を持って、即刻引き取りに来るよう言いました。
すぐに人を疑うのは良くない、と思われるかもしれませんが、何しろうちのメメには、そう思うだけの前歴があるのです。うちにメメがやってきてから13年、パンク修理以外で不具合が生じたのは、過去に4回ありました。

1回目は、車検整備から車が帰ってきた翌日、車道と歩道の段差を乗り越えたとき、突然、すべての電気系統がダウンしました。当時はまだ「メメ」との付き合いが浅かったため、「来た来た!イタリア車は、やっぱり電気系統が弱いんだ」と、よく調べもせずにJAFのロードサービスを呼びました。レッカー車でやってきたJAFのお兄さん、ボンネットを開けると、すぐに笑いながら言いました。「最近、バッテリー交換しました?ここの、電気コードの端子をとめるネジ、締め忘れてますよ。段差を越えた振動でコードがはずれたんですね。ハハハ」・・・情けないやら恥ずかしいやら。作業15秒、お金もかかりませんでしたが、もちろん修理工場には厳重抗議。
2回目。また点検帰り翌日。パワステのオイルが漏れ出しているのがわかり、修理工場へ逆送。担当のメカニックが、オイルホースの正しいはずし方を知らず、力まかせに引っ張って取ったため、ホースの口に付いている金具が壊れていた、との事で、無償修理。
3回目。今度も点検整備の数日後。副店長と友人宅に寄った帰り、助手席側のドアに開閉不良の不具合が発生。工場逆送で調査。またまた、メカニックの整備ミスで、ヒンジのピンが折れていたことが判明。無償修理。
4回目は、店長が夜道で、ボディ下をコンクリの凸にぶつけ、マフラー破損。これは有料で交換。
そして、今度が5回目のトラブルだったのです。「またまたまた」、メカニックの作業ミスで、ドア開閉リンクの部品が壊れていたと判明。修理代・部品代と代車料金は、全部無料になりました。

イタリア4度目のW杯優勝!!

July 10 [Mon], 2006, 11:36


VIVA! ITAAAAAAAAALIA!!
いやーやってくれました! イタリア、ワールドカップ優勝! 信じられない!
もう、うれしくてこの気持ちを伝えられる言葉が見つからないです。
4回目のWカップ優勝! 5回のブラジルに次いで、単独2位の優勝回数ですよ。
何しろイタリアを「第二の祖国」どころか、たぶん本当の祖国以上に愛している、変わり者の私ですから。この喜び、お察しください。

大会前に、今度の「アッズーリ」(伝統の青色ユニフォームから来ているイタリア代表チームの別名)は、これまでとちょっと違うよ、守備一辺倒のイタリアから、攻守のバランスがとれたチームになってるよという評判は、あちこちのメディアで聞いていました。でも、実は本番に弱い(?)イタリア人(男限定)だから、大会に入ったらどうなるかわからないぞと、心の底で期待しつつも、クールなふりをしていました。
今だから告白します。ブログのアップをしなかったのも、アップしても一切それに触れなかったのも、実は、勝ち続けているイタリアがこのまま行ってくれるように、という「ゲンかつぎ」なのでありました。

思い出されるのは、12年前、1994年の米国大会決勝で、ブラジルと対戦したイタリアの戦いぶりです。よく「カテナチオ」と呼ばれる鉄壁のディフェンスでブラジルの攻撃を封じ込め、Wカップ史上初の「決勝戦引き分け」に持ち込みながら、PK戦で、敢え無く優勝を逃してしまった。その次のフランス大会でも、またブラジルと当たり、またしてもPK戦負け。それは、イタリアの「負けないサッカー」、そして同時に「勝ちきれないサッカー」を象徴していました。

だから、「点が取れるサッカーに変わってきた」と聞いても、にわかに信じられないものがあったのです。でも、今大会は本当に、良いサッカーをしてくれました。
それと、敗れたフランスが、ブラジル、スペインといった強敵を倒して決勝に進んできたのに対して、イタリアは、準決勝のドイツ戦以外は、それよりやや楽な相手と当たってきた、という幸運もありました。

隠された十字架

July 06 [Thu], 2006, 21:07


本当にお久しぶりです。息子のお友達のお母さんが亡くなったことは、いまだに思い出すとつらい出来事です。それに加えて、私自身も少し体調が悪かったりして、お店を開けられませんでした。

せっかく久しぶりの開店なのだから、今、巷で盛り上がっている「あれ」の話はしないのかと言われそうですが、そっち方面は、ただ今「げんかつぎ」中ですので、パス、ということで・・・。

ところで、店長の両親が住むマンション(横浜市内)のすぐ近くに、木造の、朽ちかけた小さなほこらがあります。うちの息子もよく立ち寄って手を合わせ、「みんなが良い子になりますように」と、変わったお祈りの文句を唱えています。カトリック信者の私も、私なりの思いを込めて、家族と一緒に手を合わせています。上の写真の石像は、そのほこらに収めてあるもの。お不動様にも見えますが、民間信仰の、何かの神像かもしれません。

日曜日に、久しぶりに息子、妻、両親とそのほこらに立ち寄って手を合わせ、ふと目の前の石像を見ると、妙なものを持っていらっしゃるのに気がつきました。お不動様(?)の右側の、上にかざした腕に注目してみましょう



これ、「十字架」じゃないですか! 像に刻まれた年号は、寛延三年、となっています。西暦に直すと、1750年。江戸中期。言うまでもなく、キリスト教は固くご法度。キリシタンであることがわかれば、即刻死罪の時代です。おそらく「隠れキリシタン」が、お不動様の石仏と見せてその中に十字架を刻み込み、礼拝していたものではないでしょうか。隠れキリシタンが潜んでいた土地には、「マリア観音」など、こうしたものがよく見つかります。この土地にも、江戸中期まで「隠れキリシタン」がひっそりと隠れ住み、秘密の教えを守っていたということになりますね。

一般に「隠れキリシタン」といえば、九州の長崎周辺だけのものと思っている人が多いようですが、決してそうではありません。店長夫婦が以前に住んでいた東京・練馬区のお寺の境内には、「キリシタン灯篭」という遺物が伝わっていました。区で編纂した郷土史の本に載っているのを読んで知り、見に行きました。その言い方でいくと、こちらは「キリシタン不動」でしょうか・・・
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