ウチナーの人はいいよねー

February 27 [Mon], 2006, 2:16


沖縄から帰ってきました。お天気がずっと雨ばかりで、大変でした。でも、リゾート地には全く行かない旅だったので、すごい良いお天気だったりするより、かえって良かったかもしれません。ただ、あったかいことははあったかでした。店長は、ホモ・サピエンスとしては最上等の嗅覚の持ち主であると自負しているのですが、那覇の空港に着いたとたん「南国のにおい」がして、思わずくんくんしてしまいました。多分、目隠しして連れてこられても「ここは南の島だな」とわかったでしょう。

それにしても、ウチナーの人たちは「心」がありますね。昨晩は、とってもおいしい琉球料理のお店に入って、三線を弾くおねえさんたちの音頭で、さんざん飲めや歌えの大騒ぎ。しかも大人数だったので、お店は半ば貸し切り状態。しまいには、注文した覚えのないお料理まで出て来て「ま、いいかー。食べちゃえ食べちゃえー」のノリ。お勘定は、けっこう来るぞ、と覚悟していたら・・・。
お店の人たちが我々の話を脇で聞いていたらしく「そんなまじめなことで、わざわざ横浜から来てくれたのなら・・・」ということで、一人「千円通し」にしてくれたのです。はっきりいって、今日はおごり、形だけいただきます、という感じでした。「ありゃー、やまとじゃありえないさー」ってところですかね(本物のウチナー口は、あんなに「さーさー言わない」みたいです)。まあいずれにしても、疲れたけれど、いろいろと良い旅ではありました。

金メダル!

February 24 [Fri], 2006, 13:01
BAR MIZUSAWAが、ずっと休業しておりました。トリノ五輪で、日本選手になかなかメダルがこなかったため、心痛のあまり臥せっておりました・・・というわけではありません。店長の「本業」が多忙を極めておりましたため、なかなかお店を開けることが出来ませんでした。常連のお客様方には、大変ご迷惑をおかけしました。

しかし、良かったですね。女子フィギュアスケートの荒川選手が、日本選手初めてのメダル獲得。この種目は大会前から注目されていたので、店長も、ここで一つはメダルが来るかなあ、と思っていましたが、それが「金」とは!何しろ、あの伊藤みどりさんを超えたのですからね。大会終盤まで続いた日本選手団の不振が、女子フィギュアの選手たちにとって重圧にならなければ良いけれど、と思っていました。実際、そういうプレッシャーが、なかったことはないと思います。そんな中で、村主、安藤選手も含めて、本当に良くがんばりました。3選手みんなに拍手!ですね。

一方、わが第二の故郷である「開催国」の方はと見れば、24日昼過ぎの現在、金メダルが4個、銅が6個で合計10個となっています。何とか、開催国の面目はほどこしている、と言うところでしょうか。明日土曜日は、、大会前から、イタリア勢の中で一番金メダルを期待されていた、男子アルペン・回転のジョルジョ・ロッカ選手が登場。ぜひ、ポディウムの一番上を期待したいです。

気がつけば、あの感動の開会式から、もう2週間経ってしまったんですね。大会日程も、残すところあと2日。店長もなんだか、またトリノに、ピエモンテ(上のマークはピエモンテ州の紋章です)に行きたいなあという気持ちになりましたよ。あー、セストリエールでスキーしたい・・・という気持ちはあるんですが、運動不足ですっかりなまってしまった体では、無理かなあ。大会が終わったら、閉会式を録画したDVDでも見ながら、ピエモンテの丘から届いたワイン(の安いやつ)でも開けることにします。

その前に、今日から日曜日まで、所用で沖縄に行きます。何か面白いことがあったら、携帯でお店開けます。週末も、ぜひご来店ください。

イタリアの米どころ

February 18 [Sat], 2006, 15:25
トリノ=ピエモンテ州の「3大おいしいもの」ということでご紹介してきましたが、先日ご来店いただいた「えちゅこ」さんのコメントで、たいへん大事なものを忘れていたことに気がつきました。店長おすすめの「グルメ天国トリノ=ピエモンテ州」の名物を、謹んで「4大おいしいもの」に訂正させて頂きます。忘れていた大事なものとは、「お米」です。米料理のリゾットは、今やたいていの人が一度は食べたことのある、イタリア料理の定番のひとつになりました。その国に有名な米料理があるということは、当然、稲作の盛んな地域があるということ。じつは、トリノのあるピエモンテ州は、イタリア国内でダントツの「米どころ」なんです。

列車でミラノからトリノへ向かう人は、途中のヴェルチェッリという駅の手前あたりから、車窓風景に、どこか懐かしいものを感じ始めるでしょう。冬の今頃だとわかりにくいかもしれませんが、よーく見てください。それは、日本の代表的な田舎の風景と同じ、広々とした水田地帯です(写真)。初夏から夏にかけては、車窓を開けると(一部窓の開かない列車もありますけど)、青々とした田んぼのにおいが車内に流れ込んできます。秋には、たわわに実った金色の穂波が、風にそよいでいます。私の場合、このあたりを通りかかると毎回、母親の実家がある東北地方の水田風景を思い出します。その風景を「懐かしい」と感じるのは、私たち日本人の、多くの人の「心のDNA」に刷り込まれた「ふるさと」のイメージに重なるからなのでしょう。

年配の映画ファンの方ならば、出稼ぎの田植え農婦たちの人間模様を描いた、イタリア映画「にがい米」(1949年・ジュゼッペ・デ・サンティス監督・シルヴァーナ・マンガノ主演)を思い出されるかもしれません。映画に出てくる手作業での田植え風景は、昔の日本のそれと驚くほど似ています。これらの屋外シーンの大部分は、ヴェルチェッリに近い、ピエモンテの水田でロケされたものだと言われています。

霧のワイン

February 17 [Fri], 2006, 20:07



トリノ冬季五輪での日本選手、相変わらず苦戦が続いています。ここまで続けてきた努力が大舞台で報われない事が、どんなに悔しいことか、本人以外には想像もつかないでしょう。ドンマイ、GIAPPONE!一方イタリア選手の方はといえば、スピードスケートで2個目の「金」を獲得しましたが、メダルの合計は5個。う〜ん、開催国のメリットを考えると「ビミョー」というところですかね。でも、まだまだこれからです。日本もイタリアも、FORZA!!

さて、トリノ=ピエモンテ州のおいしいもの特集、今日はワインです。トリノを州都とするピエモンテ州は、イタリアでもトスカーナと1、2を争う「ワインどころ」。加えて、伝統という部分では、やはりピエモンテに軍配があがるでしょう。ピエモンテの代表的なぶどうといえば、バルベーラ、ドルチェット、モスカートなどがありますが、その中で最も「高貴な」ワインを醸すぶどうといえば、ネッビオーロ種(写真下)をおいて他にないでしょう。昔から「ワインの王」とたたえられてきたバローロの他に、近年注目度が急上昇中のバルバレスコ、そして、私たち庶民にも手が届く値段の、ネッビオーロ・ダルバ(写真上)などといった銘柄が、このぶどうから作られます。

ネッビオーロ(nebbiolo)という名前の由来は、「霧」(nebbia)というイタリア語から来ています。ネッビオーロ種が栽培されている、ピエモンテのランゲ地方は、秋になると霧が多いことで有名。他のぶどうの収穫が終わり、秋も深まった頃、ランゲの地に濃い霧が降る時季に収穫されるので、ネッビオーロというのです。丘の斜面に作られたブドウ畑に、ミルク色の深い霧が流れる情景が目に浮かんでくるような、何ともロマンチックな名前だと思いませんか?

トリノ生まれのチョコ

February 15 [Wed], 2006, 0:30

ご来店の男性方、バレンタインのチョコはいくつもらいましたか?うちの息子は、朝、保育園に行く途中で「Yちゃん(彼の彼女?)チョコくれるかなあ」とつぶやいていました。「保育園にお菓子持ってきちゃいけないんだよ。Yちゃんがくれたくても、無理だよ」というと、「そうだね・・・」と、ちょっ寂しそうでした。夜になって副店長が「パパとKちゃんに」ということで、ベルギー産のとてもおいしいトリュフチョコをくれました。結果として、店長と息子がもらったチョコの数は、それぞれ「1/2個」ずつ。最近すっかり「枯れてきた」店長は粛々と、かつありがたくいただきましたが、息子はどうだったのでしょう。やっぱり、Yちゃんからもらいたかったかな?

というわけで、バレンタインデーにちなんで、前回もご紹介した、トリノ(ピエモンテ州)名物うまいもの「その2」ジャンドゥーヤ・チョコレートについてのお話を少し。
チョコレートにヘーゼルナッツ(はしばみの実)のペーストを混ぜて、独特の香りと風味を引き出したこのチョコレートは、今では日本のスイーツ好きの間でもポピュラーになりましたが、その誕生の地は、トリノです。最初にこのチョコを考案して売り出したのは、トリノのお菓子屋さん「Caffarel(カファレル)」。創業者のピエールポール・カファレルは、1826年、トリノ郊外の運河沿いにあった、小さな水車小屋を改造した工場で、製菓会社「カファレル」を始めました。

トリュフの「金メダリスト」?

February 13 [Mon], 2006, 16:34








トリノ冬季オリンピック、みなさんご覧になってますか?女子モーグルの上村愛子選手、本当に残念でした!日本選手はまだメダルを取れていませんが、男子スピードスケートの加藤条治選手が「金」の期待大ということで、楽しみですね。

店長の「第二の祖国」イタリアは、今のところ「男子リュージュ1人乗り」競技で、アルミン・ツェゲラー選手が金メダル。他に、銅メダルが2つあるようです。今大会は開催国ということもあって、かなりの好成績が期待できる気がします。でも、メダルの行方だけが、オリンピックの楽しみじゃありませんからね。選手も、観客も、オリンピックという「場」の雰囲気を大いに味わって、楽しんでくれれば良いなあ、と思います。

さて、トリノ=ピエモンテ州といえば、実はイタリアでも有数の、美食の宝庫です。もしトリノへ行ったら、これだけは味わっておきたい、店長おすすめの美味しいものを3つ挙げると、@白トリュフ(写真右)、Aネッビオーロ種のぶどうで醸した赤ワイン、Bヘーゼルナッツのペーストを練りこんだ高級チョコレート「ジャンドゥーヤ」(写真左)、です。

まず今日は、「世界三大珍味」のひとつ、トリュフについてのお話を少し。トリュフには黒と白の二種類がありますが、より高級とされる白トリュフの産地として、ピエモンテ州は世界に冠たる地位を占めています。オークションで史上最高の値段がついて、ギネスブックにも載った1050グラムの白トリュフは、2004年、ピエモンテ州・クーネオ県の、モンタ・ダルバという小さな村でとれました。落札額は、4万1千ドル(約480万円)。これ一個で、ちょっとした高級車が買える値段ですね。さしずめ「美食オリンピック」の金メダリスト、といったところでしょうか。

トリノ冬季五輪開幕

February 11 [Sat], 2006, 19:11


トリノ・オリンピックの開会式、皆さんはごらんになりましたか? あの聖火点灯の、壮大なスケールの演出には、思わずうならされました。太りすぎで足を悪くし「一人で歩くのも困難」と噂されていたパヴァロッティの登場にも、なんとなくジーンときました。でも、それよりも何よりも、イタ車大好き、モータースポーツ大好き!の店長は、フェラーリのF−1マシンが派手なパフォーマンスを見せてくれたことに、大満足でありました。冬季オリンピックの開会式なのに、F−1のレーシングマシンが出てくるなんて(はっきり言って、ほとんど脈絡のない演出)。しかもステージの上で、ど迫力のロールスピンを演じてくれるなんて・・・そんな国、他にありますか? うんうん、やっぱりこれがイタリアだ!「いーーね!」(クレイジーケンバンド風。横浜人なら、わかる・・・かな?)

トリノが誇る「世界一」

February 10 [Fri], 2006, 11:16

イタリア人が「トリノ」と聞いて思い浮かべるのは、まず第一に、イタリア最大の企業である、自動車会社「フィアット」でしょう。そしてその次が、ファンの数でイタリア一を誇るサッカーチーム「ユヴェントス」だと思います。

二十世紀のはじめから現在まで、一貫してトリノ経済を支えてきた大黒柱は、フィアットの本社と自動車工場です。それに加えて、部品を納める多くの下請け会社や、パソコン・電話などオフィスの備品を納入する業者、運送会社、社員行きつけの食堂やバールなどなど・・と考えると、フィアットが「そこにある」ことで経済的な恩恵を受けているトリノ人は、町の人口の、少なくとも半分以上になるのではないかと思われます。

しかし、その「巨人」フィアットが、このところ業績大不振。「親亀こけたら皆こけた」の道理で、トリノの町はその間、ずっと不況に苦しんできました。地元には、今回の冬季オリンピックの「経済効果」を起爆剤として、「フィアット頼り切り体質」を改善しよう、という動きもあるようです。

そんな「自動車の町」トリノには、世界一を誇るものがひとつあります。「カルロ・ビスカレッティ・ディ・ルッフィア自動車博物館」(上の写真)です。クルマ専門の博物館としては、世界最大の規模とされています。定番の観光スポットや繁華街からは遠いところにあって、場所がわかりにくいのですが、自動車に興味がある人は必見。行き方は次のとおりです。
@トリノ・ポルタヌオーヴァ駅からタクシーに乗り「ムゼオ・アウトモービレ」と告げます。帰りは、博物館のレセプションに頼んでタクシーを呼んでもらいます。このときチップをお忘れなく。
Aポルタヌオーヴァ駅から34番のバスに乗り、運転手とアイコンタクトをして「ムゼオ・アウトモービレ!」と一言叫んでおけば、最寄のバス停でおろしてくれます。バス停の先の信号を左へ。大きな通りに突き当たったら、左に歩いて行くと見えてきます。バス停から徒歩約5分です。

創られた「イタリア人」

February 08 [Wed], 2006, 19:10

冬季オリンピックの開催まで、あと3日。世界中のスポーツファンの注目が、北イタリアの美しい都市・トリノに注がれています。今頃は、ウィンタースポーツのトップアスリートと、メディアスタッフ、そして世界各国からの観客が押し寄せ、開会式を心待ちにしているはずです。

ところで、かつてこの町がイタリアの「首都」だったことは、ご存知ですか?世界遺産の数で世界一を誇るイタリアは、長い歴史の中で育まれてきた、伝統文化と芸術品の宝庫、という印象が強い国です。しかし実は「イタリア」という国家は、今から140年あまり前に作られた、比較的新しい国なのです。それ以前に、あの長靴型の半島が統一国家の中に含まれていたのは、なんと6世紀が最後。それから千三百もの長い長い間、この半島にはたくさんの小国家が分立してきました。その間、たとえばローマに住む人にとって、ミラノの人は「外国人」だったわけです。

統一国家「イタリア王国」が誕生したのは、1861年のこと。日本の明治維新の、わずか7年前のことです。統一の主役だったのは、トリノに王宮(上の写真)を構えていた、サヴォイア家の「サルデーニャ王国」。半島に割拠していた諸国のうち、南イタリアのほとんどの地域は、武力による制圧で「イタリア」に併合されたのでした。サルデーニャ王国の首都だったトリノは、そのままイタリアの首都となり、4年後にフィレンツェに遷都されるまで、国の政治の中心となりました(ローマが首都になるのは1871年)。

サルデーニャ王国の宰相から、イタリアの初代首相となったカミッロ・カヴールが、当時語ったとされる有名な言葉があります。「イタリアという国は出来上がった。次は“イタリア人”を創る番だ」。国家や国民というもののほとんどは「人間が頭で考え、“人工的に”作り出されるものだ」ということを端的に示した、名言とされています。

新国家・イタリアの国民には、いくつかの地方の方言を合わせてできた「イタリア語」を話すことが、政府から義務付けられました。ちなみにカヴール首相自身は、旧サルデーニャ王国の宮廷で標準語だったフランス語しか話すことができず、ついに生涯「イタリア語」をおぼえることはなかったということです。

ウイルス騒動

February 06 [Mon], 2006, 0:59
水沢透HPの「管理人室」に、すでにアップされているとおり、土曜の晩に息子が突然食べたものを吐いてしまいました。一昨年の冬、店長、副店長を巻き込み、家族全員が二度も倒れた「ウイルス性胃腸炎」(通称吐き下し)が、今年も猛威を振るっているそうです。ロタウイルスとか、ノロウイルスとかいうやつが原因で、大人でも、最低で二日は食べ物、飲み物一切受け付けなくなります。治療法は、脱水症状に注意しつつ「断食」する以外にない、というたちの悪いやつです。息子が戻すのを見た瞬間、そのときの苦しみがフラッシュバックして慌てた店長、副店長は、日曜から二泊三日で行く予定だった房総方面への家族旅行を、キャンセルしてしまいました。

ところが一夜明けてみると、息子はうそのように元気。朝食をドカドカ平らげて涼しい顔をしています。お通じも、立派なバナナうんち。熱もなし。そして、楽しみにしていた旅行がキャンセルになったと知ると、泣き崩れてしまいました。

結局、節分の福豆の残りを、親の制止を振り切ってバリボリ食べまくったことによる、消化不良だったようです。坊主があまりに嘆き悲しむので、朝刊に載っていた安い宿を予約、一泊で南房へでかけます。そのため、明日、あさっては休業とさせていただきます。皆様も体調管理には、十分お気をつけて。
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