原発とは「犠牲」を作るもの

August 13 [Mon], 2012, 2:17


日曜日は、東京大学大学院教授で、哲学者の高橋哲哉さんの
講演会が、カトリック藤沢教会でありました。私も微力ながら
スタッフの一員として、お手伝いしてきました。

高橋さんは、以前に講演(対談)をお願いしたときに、カトリック
教会が「殉教者」を讃えて聖人としてきた事などについて、それで
良いのだろうか?そこに、ある種の危険性はないのかと、非信者の
立場から、私たち信者に向けて、非常に厳しい問いかけをして
下さった方です。

今回の講演タイトルは「犠牲のシステム〜原発事故と私たち〜」。

高橋さんの講演の中で印象に残ったのは、原発には、それを稼働
させるために避けられない、4つの犠牲がある、というお話です。

ちゃんと覚えているか心配ですが、記憶にある限り、原発が作り出す
「犠牲」の内容は、およそ次のようなものでした。

【その1】シビア・アクシデントがあった時の「犠牲」

これは、言うまでもなく福島第一原発事故のような、重大事故が
起きた場合の「犠牲」です。福島で言えば、拡散した放射性物質
によって故郷を追われ、避難を余儀なくされた人たち。そして、
お医者さんでも、使うときには急いで外に出て、ドアを閉めて
しまうレントゲン室、すなわち「放射線管理区域」と同じくらいの
線量のところで、今も暮らさざるを得ない人たち。特に、放射線に
感受性の高い子供たちです。放射線管理区域とは、そこに一定時間
以上留まることも、そこに常備してある物を勝手に外に持ち出す事も
禁じられているような場所。そこに、24時間、365日暮らしている
小さな子供もいるのです。

放射線が怖くてレントゲンやCTが撮れるか、という人もいますが、
レントゲン室に「住む」ことを望む人はいないでしょう。

それから、だんだん被曝の許容量を上げられながら、そして線量計を
時には外したり、線量が上がらないよう、計器に鉛のカバーを付け
させられるといった、とんでもないインチキまでさせられながら、
毎日、放射線にさらされて作業をしている、事故収束作業員。
この人たちも、原発によって「犠牲」にされている人々です。

本来なら、首相は無理だとしても、原発事故担当大臣は福島か郡山に
常駐して、仕事をすべきではないでしょうか。

さらに、本当は東電の幹部が、原発の現場に入って、事故処理の陣頭
指揮に当たるべきだったと思います。せめて、数週間だけでも。

ところが政府の人間は、丸腰の現地の人の前に、完全装備の防護服
姿で現れ、素手を差し出す相手と、分厚い手袋をはめたまま握手した
ではないですか。

東電本社の重役らに至っては、一度として事故現場に入ることを
せず、事故の責任を取らないまま、何億円もの退職金をもらって
「逃げて」しまい、待遇の良い職場に、再就職している始末。
退職金の一部を被災者のために寄付する、などという発想をする
人間が、彼らの中に一人でもいましたか?

勝俣元会長などは「私にも老後がありますから」などと公の場で
口にしたほど、常識はずれな感覚を露呈していました。普通の
サラリーマンが、一生かかっても稼げないような退職金がないと、
やって行けない老後って、いったいどんな老後なんですか?
ふざけないでいただきたい。

彼らがそんな良い待遇をされているのに、どうして被災者や収束
作業員は過酷な「犠牲」を強いられなければならないんですか?

思わず、高橋さんのお話を外れて、私的な怒りを書いてしまい
ました。次に行きましょう。

【その2】原発の最初の「入口」で避けられない「犠牲」

原発は、核燃料がなければ動きません。その核燃料の原料となる
放射性ウランは、日本の原発の場合、主にオーストラリア中南部の
ウラン鉱山で採掘されているそうです。その地は、もとは先住民
アボリジニの人たちの「聖地」とされていたため、強い反対が
あったそうですが、結局大企業に押し切られてウラン鉱山になり、
そこで働いているのは、現地のアボリジニや、社会的・経済的弱者の
人たちだということです。

そして、重要な点は「被曝労働」なしでは、ウラン鉱石を採掘する
ことはできない、という事実。実際、放射線障害で病気になったり
亡くなったりしている現地の人が、たくさんいるとか。

日本のメジャーなマスメディアでは、皆無に近いくらい報道されて
いない事ですが、日本の原発は、彼らの「犠牲」の上に立って
稼働されてきたのです。日本人の電気を作るために、彼らが病み、
死んでいく現状は、フェアといえますか?

【その3】原発を平常運転するのにも必要な「犠牲」

実は、原発とは、事故を起こさなくても、日常的に放射線被曝を
しながら働く作業員なしでは、動かないものなのです。そして、
高い線量の現場に入る作業員たちは、東電の社員などではありま
せん。先日読んだ本によると、長年原発で働いてきた結果、癌に
犯されて亡くなった作業員の方は、「現場で東電の社員の顔なんか
一度も見たことがない」と言っていたそうです。

そうした作業員の方たちには、東電の下請けの、そのまた孫請け、
といったような会社が、日雇い作業員など、経済的・社会的な
弱者の人たちが暮らしている地域に行って、駆り集めてきた
人たちが多いのです。そして、放射線の恐ろしさなど、ろくに
教えられないまま、時には現場の暑さのために、防護マスクなど
かなぐり捨て、線量計も外して働いた末、非常にたくさんの人が、
放射線障害で、働けない体になったり、亡くなったりしてきた、
というのが、原発の歴史なのです。

私たちがぜいたくな暮らしをするための電気が、そうした人の
「犠牲」の上に作られる現状を、黙って容認していて良いもの
でしょうか?

【その4】「核のゴミ」の処理をめぐる「犠牲」

原発は「トイレのないマンション」に、よくたとえられます。
原子炉を稼働させれば、どんどん使用済み核燃料や、その他の
放射性廃棄物、すなわち「核のゴミ」が出て来てしまい、それを
安全に捨てたり、処理したりする場所が、日本にはどこにもない
からです。その処分は未来の日本人、つまり私たちの子供や孫に
押し付けられています。そのうち技術が発達すれば、良い解決
方法が、何か見つかるんじゃないの?という身勝手で無責任な
論理です。子供たちの、将来の「犠牲」を前提にして、私たちは
原発を動かしてきたのです。

結局、一番安全な方法は「地層内処分」つまり、大深度地下に
埋めてしまうことのようですが、地下構造が複雑な、地震大国・
日本には適当な場所が見つかりません。

そのため日本政府は、モンゴルに「核のゴミ」を押し付ける
「最終処分場」を作ろうとしました。モンゴル人の反対にあい、
さすがに政府も諦めているようですが。日本人が出した「危険な
ゴミ」を、外国人に押し付けて、彼らの「犠牲」の上に自分らが
豊かさを享受しようというのは、何ともおぞましい考えです。



このように、原発というシステムは、誰かの「犠牲」を前提とし
なければ、成り立たないものなのだ、ということを、高橋さんは
強調しておられたと思います。

原発というものが、これほど、人間の「犠牲」によって成り立って
いるシステムなのだ、という事を知った上で、それでも「原発は
必要だ」と言うのは、はっきり言って人間を「差別」することだと、
私は思います。

そして、そうした知識を得ても、この問題に無関心を決め込むのは、
深刻な「いじめ」を目の前で目撃しながら、何も見なかったふりを
するのと、同じようなものではないでしょうか。

脱原発すると、雇用がなくなる?それなら、次世代エネルギーの
開発と、そのプラントの建設を、今まで原発で働いていた人に
お願いすれば良いではないですか。それに、今ある原発を全て
止めたとしても、核燃料を取り出し、原子炉を解体して廃炉に
するまでには、何十年もの時間と、たくさんの労働力が必要に
なります。雇用、という点からは、脱原発に、問題はないと
私は思います。

……などと偉そうな事はいっても、私も学生時代のほんの一時期、
反原発運動をやった経験はあるものの、その後の約二十年間、
頭の中では「原発なんてなくすべきだ」と考えながら、具体的な
行動は、何もしないまま過ごしてきてしまった人間です。

カトリックの信者になってから、また社会活動をするようには
なりましたが、正直、福島第一原発事故の前までは、「反原発」
は、色々な活動の中では「傍流」の一つでしかありませんでした。
本気で「今すぐ原発をやめさせなければ」という気迫を持って
行動しては来ませんでした。

ですから私も、原発を巡る「犠牲」が生まれて来ていることに、
消極的ながら、加担していた人間の一人だと言えます。それに
ついて、懺悔しなければいけないと思っています。

でもその後、様々な人と出会い、原発をめぐる様々な知識を再び
勉強させてもらった今となっては、口をつぐんだままでいる事は
もうできません。

長くなってしまいました。高橋さんと落合恵子さんの対談形式で
構成されている『原発の「犠牲」を誰が決めるのか』というブック
レットの中には、こんな言葉が載っています。ここで、それを
ご紹介しましょう。

――メディアで行われた議論は、自分はあくまでも安全なところに
いて、「電力が必要だから」「経済が大事だから」というものです。
それらはすべて、自分が享受する権利をそのまま維持するために、
誰かを犠牲にする議論です。「あなたは自分が犠牲になれますか」
と問い直されないといけないのです。――

原発とは、それが事故を起こそうが起こすまいが(実際は起きて
しまいましたが)、そして電力が足りていようが足りなかろうが
(実際は足りてしまうのですが)、我々が「人間らしくあろう」
とする限り、あってはならない、一日も早く世界からなくして
しまわなければならないシステムだと、私は思います。たとえ
そこに「痛み」が伴おうとも、です。

皆さんは、どう思いますか?
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