2012「緑のハート」への旅D

August 08 [Wed], 2012, 16:00


イタリア・ウンブリア州の旅も5日目。昨日は聖フランチェスコの町
アッシジを歩きましたが、旧市街の「サン・フランチェスコ聖堂」や、
「サンタ・キアラ教会」など、聖フランチェスコを記念する場所は、
どこも彼が亡くなった後にできたもの。そして、徹底した「清貧」を
貫いた彼の生き方からすると、立派過ぎる建築でした。

本当のフランチェスコの「精神」を感じることができる場所は、実は
旧市街地の外にあります。実際、彼はその活動の拠点を、一貫して、
市街地の外の、田園地帯に求めました。

冒頭に挙げた写真の小聖堂は、旧市街の東側、「サンタ・キアラ教会」
に近い「ヌオーヴァ門」を出て、少し歩いた場所にあるものです。
相当古いものと思われるこの小聖堂と、聖フランチェスコとの関係を
示すものは何もありませんが、彼が行った宗教活動や社会活動は、
こうした、野中の、半ば廃屋のような小屋や、礼拝堂で行われたこと
でしょう。

そして、この道は、聖フランチェスコが「私の家を建て直しなさい」
という神の声を聞いたとされる、「サン・ダミアーノ教会」へと続く
道です。あたりの風景はこんな美しいものです。



彼の時代から800年を経た今でも、おそらくあまり変わっていない、
この美しい自然が、聖フランチェスコの精神を育てたのです。
そして、今見るこの美しい田園風景こそが、フランチェスコの心を
写す、鏡のようなものではないか、と思えます。

聖人が神の声を聞き、世俗を捨てて最初に行った事は、石を積んで
崩れかけていた「サン・ダミアーノ教会」を修復することでした。

そのままオリーブ畑の間を抜ける小道をたどると……



今は「フランチェスコ会」の修道院となった、「サン・ダミアーノ
修道院」に着きます。道に面した正面は、フランチェスコがひとつ
ひとつ石を積んで修復した、800年前の「サン・ダミアーノ教会」
より、かなり大きなものになっていると思われますが……。



それでも、中に入ると質素な石の小部屋が続いています。礼拝堂も
壁や天井は自然石を積んだだけの、小さく素朴なものです。清貧に
徹した、聖人の生き方を伝える雰囲気は、まだ残っています。

「サン・ダミアーノ修道院」は、今は男子の修道会の施設になって
いますが、小教会から修道院に改装された時には、聖女キアラが設立
した「クララ女子修道会」の最初の本拠地となりました。

そのためか、今でも修道院の中庭などには、どこか優しい、女性的な
美しさが感じられます。



聖キアラが、自分の手で小さな草花を育てて、慈しんだといわれる、
「ジャルディネット」と呼ばれる小さな空間も。



ここは聖フランチェスコを偲ぶと同時に、彼の精神を、もしかすると
一番よく理解し、受け継いだのかもしれない、聖キアラの心に触れる
ことができる場所です。

サン・ダミアーノ修道院を出た後、アッシジに4回足を運んでいる私も、
自分の目で見たことがない、「リヴォトルトの聖所」という所へ行って
みることにしました。ここは、1209年ごろ、フランチェスコが、彼を
慕って付き従って来た人々と「小さき兄弟会」という集まりを作った
最初期に、皆と一緒に住んだとされる場所です。もともとは家畜小屋
だったと言われていて、「豚小屋修道院」などと呼ばれることもあり
ます。当時の建物が今も残っているのですが、風雨から保護するため、
今は「覆堂」の役目を果たす聖堂の中に、すっぽり収まっています。

一度、レンタカーを借りて、アッシジとその周辺を取材したときに、
リヴォトルトに寄ったこともあるのですが、運悪く聖堂は閉まって
いて、時間もなかったため、入るのを断念したいきさつがあります。

サン・ダミアーノからは、歩いて4、50分と言われていたのですが、
この日は雲一つない晴天だったかわりに、猛烈に暑い日だったので、
(というか毎日そうだったのですが)行きだけ、タクシーを利用
しました。

そしてこちらが、初めて目にした「リヴォトルト」の聖所です。



この小さな小屋に、フランチェスコと、二十人近くの「兄弟たち」
が暮らしていました。夜はまさに、ぎゅうぎゅう詰めの雑魚寝状態
だったそうです。ミサを行ったり祈ったりするときは、この小屋の
外に立てた、素朴な木の十字架の前の地面に、皆で跪いたそうです。
「露天の礼拝堂」の十字架は、こんなイメージだったでしょうか。



しかし、このころが「小さき兄弟会」にとってもフランチェスコに
とっても、何の悩みも葛藤もない、一番幸せな時代だったのかも
しれません。

後に、大きな規模に膨れ上がった「小さき兄弟会」は、「会則」を
巡って、ぎくしゃくした人間関係に巻き込まれてしまうことになる
からです。優しい、多分優しすぎる性格だったフランチェスコは、
最高のキリスト者ではあったものの、大きな集団を束ねるリーダー
としては、必ずしも「最高」ではなかったようです。

晩年のフランチェスコは「小さき兄弟会」内の対立と葛藤を収める
事に疲れて、トスカーナ州のはずれにある「ラ・ヴェルナ」という
山中に籠り、ひたすら祈る生活に入りました。

そしてその場所で、十字架にかかったイエス様と同じ傷痕、いわゆる
「聖痕」を、両手両足と右胸に受けました。そしてその傷の悪化と、
無理な精進がたたっての様々な病気にかかったことで、ついに命が
危ない状態になり、故郷のアッシジに運ばれて、そこで最期の時を
迎えることになるのです。

フランチェスコの「物語」が長くなってしまいました。すみません。

リヴォトルトを拝観し終わった後は、バスで、旧市街からずっと
離れた、鉄道駅の近くにある「サンタ・マリア・デッリアンジェリ
教会」というところまで行くことにしました。

バス停の傍らに、こんな銅像が立っていました。



ハンセン病の患者さんの体を、水で湿らせた布で拭いている、
フランチェスコの銅像です。そんなことをする人は、当時はこの
聖人ぐらいでした。手で涙をぬぐう患者さんの姿に、社会から
はじき出され、忌み嫌われて、つらい思いをしていた患者さんの
心情が表れていて、胸に迫るものがありました。

バスに乗って着いた「サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ」は、
こんなところです。



ここは、初期のころから、フランチェスコが亡くなるころまで、
「小さき兄弟会」が本拠とした「ポルツィウンコラ」という小さな
礼拝堂を保護するために、やはり「覆堂」として建てられたもの
です。しかし「覆堂」としてはいかにも大きすぎて、強い違和感を
感じずにはいられない建物でもあります。これを眺めている限りでは
フランチェスコの精神とは、全く異質のものしか感じられません。

巨大な聖堂の中に保存されている「ポルツィウンコラ」はこちら。



外壁に描かれた豪華な壁画と、屋根に着いた飾りは、後の時代に
加えられたものです。フランチェスコがいた時代の、質素で小さな
礼拝堂の姿を頭の中で再現するには、少し想像力を働かせなくては
なりません。昔はこの礼拝堂の周囲に、何軒かのあばら家が建って
いて「小さき兄弟」たちの住居となっていたとのこと。


「小さき兄弟」たちが、ここに落ち着いたいきさつは、こうです。
ある日「リヴォトルト」に、そこを貸していたお百姓さんがやって
きて、小屋に無理やり豚を押し込みました。代わりに追い出された
「小さき兄弟」たちは、もとはベネディクト修道会のものだった
この「ポルツィウンコラ」を借り受けて(後に譲り受けて)、それ
以後ずっと、ここを本拠としたのです。

「小教会」の右手奥に、小さな礼拝堂があります。ここが、1226年
10月3日、フランチェスコが亡くなった、あばら家が立っていた場所
です。今、その時の様子を偲ぶにも、やはり想像力の助けが必要です。

旧市街の外で、フランチェスコの心を感じることができる場所と
しては、この他に、アッシジの背後にそびえる「スバシオ山」の
山中にある「カルチェリの庵」というものがあります。
フランチェスコと「兄弟」たちが、静かに祈ったり、瞑想したり
するのに使ったとされる小洞窟がたくさんあります。その森閑と
した山奥の雰囲気は、時間があれば、ぜひ訪れる価値のあるもの
なのですが、私たちには、もう時間切れとなってしまい、今回は
訪れるのを諦めました。

またいつか、皆でこの町を訪れる時まで、その楽しみはとって
おくことにします。

代わりに行ったのが、アッシジ旧市街の一番高い所に建っている
「ロッカ・マッジョーレ」(大要塞)です。



ここは、最初はアッシジに住む貴族たちが、町を防衛する拠点
とした所です。ところが、フランチェスコがまだ少年だったころ
新しく台頭してきた、町の富裕な商人=ブルジョアたちが、貴族
に対して反乱を起こし、この要塞を襲って破壊してしまいました。

その時、命からがらペルージャに逃げたアッシジの貴族たちは、
その後復讐を期して、ペルージャ軍と共に、アッシジに戦争を
仕掛けました。その戦争には、まだ町の富裕層のお坊ちゃまで、
「回心」する前だったフランチェスコも参加し、結果、捕虜と
なって、数年間ペルージャの牢獄に入ることになりました。

ですから、ここもまた、フランチェスコとは何の縁もゆかりも
ない場所ではない、と言えるでしょう。

昔はただの荒れ果てた廃墟だったこの大要塞ですが、今は整備
されて、ちょっとした博物館になっています。

昔、要塞の「バンケット」だったという部屋には、こんな人形も
展示されていました。



いくつかある「見張りの塔」にも上ったのですが、終わりの方は、
息子と副店長は元気だったのに、私だけぜいぜい息が上がって
しまいました。自分の年齢と、日頃の運動不足を実感しました。



でも、ここに一度来てみる価値はあります。アッシジの旧市街が、
まるでジオラマのように、上から眺められるからです。下の写真の
左手に見える聖堂が、サン・ルフィーノ大聖堂。右に見える聖堂が
サンタ・キアラ教会です。



一日歩き回って、多少の想像力の助けは必要でしたが、アッシジの
聖フランチェスコの、本当の「心」を偲ぶことはできたような気が
します。フランチェスコが手を触れたであろう、古い壁の石が、
在りし日の聖人の物語を、語りかけてくるような気がしました。

しかし何と言っても、この町を取り巻く田園風景、そこに吹く風と
いったものこそが、800年前のフランチェスコのまなざしや、その
声といったものを、何よりも身近に感じさせてくれるものだった
ような気もします。

夕食は「マンジャール・ディ・ヴィーノ」というオステリアで。
コムーネ広場から、サンタ・キアラ教会へ向かう道筋の左手に
あったお店です。「ポルチーニとトリュフのストランゴッツィ」は
おいしかったのですが、カプレーゼが、トマトが青すぎるなどで、
残念なものでした。

でも、ホテルに帰るまでに、アッシジの夜をたっぷり楽しんだので、



残念な気分もすべて帳消し。ホテルのバルコニーから見える夜景を
また堪能して、気持ち良い眠りにつきました。
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