恵比寿麦酒物語_4

September 20 [Thu], 2018, 16:00


恵比寿麦酒物語_4


エビスビールのはじまり

さて、恵比寿麦酒の会社はどのようにして生まれたのでしょうか?
日本麦酒(ヱビスビール)の会社設立は、他の会社らとは少し趣きが異なっていました。

札幌麦酒(サッポロビール)は渋沢栄一、大倉喜八郎ら大物実業家が関与して
歴史的基盤もありました。

大阪麦酒(アサヒビール)は外山修造、松本重太郎ら関西を代表する
実業家達による強固な基盤のスタート。

ジャパン・ブルワリー(キリンビール)は明治屋が販売代理店となり、
三菱財閥の岩崎弥之介、三井の益田孝、渋沢栄一らが関与していました。

ところが、日本麦酒の設立時の発起人達は、すべて無名の中小資産家達の集まりで
実業界においては実績の無い素人集団にすぎなかったのです。





創業当時のヱビスビール醸造所


発起人筆頭者の鎌田増蔵(カマタマスゾウ)という人も資料に乏しく、
漆器陶器貿易商を営む、ある程度の資産家ということぐらいしか解っていません。

彼がビールというものに、事業としての将来性や高収益性に強い夢を持ち
東京市内中心部に住む中小資産家達に声をかけ、東京に日本一のビール会社を作ろう
という事が始まりだったようです。


彼の構想は壮大なもので、

1.東京都目黒区三田に工場用地9,000坪を確保し醸造所を設立する。
2.ドイツから醸造機械設備を購入する。
3.国内で麦芽を自家製造する。
4.ドイツのストックビール社から醸造技師、機械技師らを雇う。
5.ビールの製造量を年間5,600石(1,000キロリットル)とする。
6.年間収入は14万7,000円、支出9万9,130円見込み、差し引き総益金4万7,870円を得る。


この明治20年前後に、最大の製造量を誇っていたのは桜田麦酒(後で解説)で
年間3,000石(540キロリットル)、札幌麦酒が553石(100キロリットル)ぐらいでしたから
当時のビール業界で圧倒的な首位を目指していたことが解ります。







彼は創立願書を提出する4ヶ月前に目黒区三田の醸造場予定地を
約5,270坪、自費で購入、後に会社に一括譲渡しています。

当時の目黒は農村地帯で土地の値段も安かったことでしょうが、
この地を選んだ事は、後々有利な展開となっていきます。

目黒区三田は三田用水や目黒川流域に多くみられる湧き水などの
水源の豊富さと、高台の場所で排水にも都合良く、
大量の水を使うビール作りには最適だったのです。

さらに搬出手段として、すぐ近くの鉄道(現・山手線)が使えた事。
広範囲な輸送が可能だった事が、生産量を高める要因となったのでしょう。

以後、昭和63年(1988年)の千葉工場移設まで
100年近くもこの地でビールが作られる事になるのです。







明治20年9月に日本麦酒醸造会社は設立認可されます。
資本金は15万円、初代社長は鎌田増蔵に、本社は彼の自宅が仮に置かれます。

設立発起人は7人で鎌田が300株、他が100〜200株で約1,000株程度と
目標の半額に届かず、発起人達そのものが非力な波乱の幕開けでした。


発起人達に十分な事業経験知識者が、いなかったせいか
醸造場や設備機械の初期投資に膨大な費用がかかり

配当が得られるまで数年も待たねばならないという、
初期ビール産業の実態を知って、
発起人達や株主が次々と離散脱落してしまいます。







鎌田にはそれを補うだけの財力も無く、新たな出資者を勧誘できる
政財界への「顔」も無かったのです。

やむなく、鎌田はわずか6ヶ月で社長を辞任し
事業経験と資産や人脈の有るとみた、木村荘平を社長に迎え、
自分はナンバー2の理事として事業の継続を図りますが、
その木村自身も、到底自分の及ぶところではないと、
3ヶ月で辞任してしまいます。


明治21年4月頃の株主名簿では発起人7人のうち3人が全株を売却、
2人が半分を売却、株主75人中62人が株式の一部又は全部を売却
新取得株主が45人にも及ぶという、短期での異常ともいえる激変ぶりでした。

鎌田自身も株主の信頼をつなぎ止めるには、名声や信用だけでなく
強力な資金源が不可欠なことを思い知るのです。







明治21年6月、同社3人目の社長として桂二郎が就任します。
桂は札幌で葡萄酒醸造場を経営していて、
兄の桂太郎は内閣総理大臣になっています。

この時点でも鎌田は理事として社長につぐ地位にあり、
どういう経路で札幌を本拠地としていた桂を
社長に就任させたかは解っていません。


3代目社長、桂二郎はその政財界の人脈を使い、日本麦酒醸造の経営を
ようやく安定に向かう事になります。

しかし、鎌田増蔵の基盤はしだいに弱体化していき、
21年10月には役員改選で理事の職を他の株主に奪われ、
翌22年4月には持株300株から100株に減らしており
日本麦酒醸造の経営からも離れていくのです。







明治23年、日本麦酒醸造会社は満を期して恵比寿麦酒を発売します。

東京という地の利か、発売早々から評判になり
売れ行きも好調であったそうです。

1896年(明治29年)には業界トップに
1900年(明治33年)にはパリ万博で、なみいる欧米の老舗メーカーを
押さえて金賞を受賞します^^。
最初のビールを発売してから、わずか10年後の事です。

1904年(明治37年)には米セントルイス万博でグランプリを受賞、
世界が認める本物のビールとなったのです。







鎌田のその後の記録も資料に乏しく
明治29年に帝国麦酒という会社の設立に加わったという
記述も残っていますが詳細は解りません。


彼が大きな夢を持って用地買収した恵比寿の工場跡地には
今も、サッポロビールと社名は変わりましたが、本社が有ります。

恵比寿麦酒記念館の入り口には、後に出てくる
「日本のビール王」と呼ばれた、馬越恭平の銅像が有りますが、
鎌田増蔵は銅像はおろか、写真すら見る事が出来ません。





馬越恭平 像


確かに経営者としての資質は弱かったかも知れません、

しかし醸造用地の選定や初期計画は間違っていなかったし

事業をなんとか軌道に乗せようと奔走する姿に

強い情熱と意気込みを感じ取り・・

うたれざるを得ないのです。

自身では出来ませんでしたが、

後継者達によって夢はかなえられたのです。








今の恵比寿ガーデンプレイスを・・・

天国で鎌田がどういうふうに見ていることでしょう。

たくさんの人を楽しませる場所へと変わったことにも

喜んでくれているかも知れませんね^^。








恵比寿麦酒物語_3

September 18 [Tue], 2018, 10:11


恵比寿麦酒物語_3

恵比寿ガーデンプレイスは、昭和63年(1988年)に千葉工場へと移転した、
元サッポロビール工場の跡地に作られたものです。
多目的なオアシスタウン?のようなものですね^^。

目黒区と渋谷区にまたがったスペースに、デパートや各種店舗、オフィス、ホテル、
レストラン、美術館などが有り、魅力的なひとつの街になっています。
サッポロビール本社ビルもここに有ります。







自分は目黒の生まれ育ちで、こどもの頃は
三田の友達の所に遊びに来ると、ビール工場が見えて、
特徴有る4本の煙突をよく覚えています。

煙突の頂部に兜(カブト)のようなフードが付いていて、
これが風向きでクルクル回るのがおもしろかったです。
確か、ドイツで作ってもらったものと記憶しています。







この工場を象徴するような、カブト部分は今も
サッポロビール本社玄関わきにモニュメントとして保存されています。











本社ビルの脇に、ちょっと見過ごしてしまいそうな
目立たない場所に恵比寿神社が有ります。
可愛らしい小さな造りですが、社内用というわけでは無く、
一般の人も参拝できます。

創立者の恵比寿信仰で、恵比寿麦酒というブランド名が
誕生したと言われていましたが、最近になって
はじめは大黒ビールにしたかった、というような記述が出て来ています。
しかし、すでに大黒麦酒という商品は他に有った為、
使うことが出来なかったということです。







もし、使えていたら恵比寿という地名もJR駅も無く?
大黒駅になってたかも知れませんね^^;。







なぜ?大黒麦酒にしたかったのかは、解りませんが
自分なりに思いつく事は、目黒駅に近いところに
大円寺という、お寺が有って、そこは山手七福神巡りの大黒天様にあたる
寺なんです(他にも五百羅漢とか八百屋お七でも有名)。







もしかすると、創立者の鎌田増蔵は工場用地を探す為に
目黒一帯を歩いた時に?、この寺にも訪れていたのかも知れないと。
大黒天は五穀豊穣の神様、当時の目黒は農村地帯で
そこで作られるビールに大黒麦酒という名は
ピッタリだったかも知れませんね。







ちなみに恵比寿様は目黒不動の滝泉寺に有ります。
恵比寿様は釣り竿に鯛(タイ)を持っているので漁業の神様ですね。
七福神の中で随一、日本の神様です。












話はそれますが、JR目黒駅の有るところは目黒区では無く
品川区だそうです?(アレマ)。

この目黒駅前で、私の曾祖父は江戸前の寿司屋をやっていました。
名前が竹次郎というので、竹寿司という店です。
祖父も一緒に店を手伝っていましたが、早くに病気で亡くなりました。

この話に出てくるドジョウのじっちゃんは曾祖父の竹次郎がモデルです。
本当に気持ち良いぐらいの江戸っ子ぶりで、
早くに亡くなった祖父の代わりに、孫であるところの私の母親を
よく可愛がってくれたそうです。







当時、母親の家は、先ほどの大円寺からさらに、行人坂を下った

目黒雅叙園の裏手に有りましたが、戦災で焼けてしまったそうです。


それから、中目黒の祐天寺に近い所へ移り住み

焼け野原になった東京で、まだ15、6歳だった母親が

家の手伝いにと、露天で焼き鳥を作って売っていると、


何度も何度も目の前を、行ったり来たりする若い男がいたそうです。

それが、中目黒に住んでいた私の父親だったという事です^^;。

チャラかったんでしょうかね?ww








恵比寿麦酒物語_2

September 16 [Sun], 2018, 16:00


恵比寿麦酒物語_2


まず最初に

恵比寿麦酒(エビスビール)はサッポロビール社の
一銘柄と思われている方がいるかも知れませんので
(特に関東圏以外の方や若い人達)言っておきますが

これは東京の恵比寿に有った
日本麦酒株式会社という最大手メーカーのブランド名です^^。
北海道発足のサッポロビールとは別の会社です。






明治20年(1887年)、鎌田増蔵(かまたますぞう)が創立者となって、
有限責任日本麦酒醸造会社が今の東京都目黒区三田に設立されました。

後に社有地を広げて、渋谷区にまたがるビール工場地と成ります。
(現・恵比寿ガーデンプレイス)

この地をビールの醸造場に選んだ理由は
三田用水や目黒川周辺の湧き水など豊富な水と高台にあって
排水にも便利という事らしいです。

配送手段としても今の山手線が明治18年に新宿〜目黒間を開通し
出荷するのにも都合良かったのでしょう。
社内用の荷扱所駅として利用したものが現在の恵比寿駅に発展し、
商品名の恵比寿麦酒から、後に地名にもなった珍しい例です。







明治33年(1900年)、当時の主要ビールメーカーの生産量は

1.日本麦酒(ヱビスビール) 37,452石(675万5966g)
2.大阪麦酒(アサヒビール) 28,370石(511万7664g)
3.ザ・ジャパン・ブルワリー(キリンビール) 18,379石(331万5388g)
4.札幌麦酒(サッポロビール) 14,300石(257万9577g)
5.丸三麦酒(カブトビール) 5,226石(94万2718g)

エビスビールが多かったことがわかりますね^^。







さて、天国にいってしまった...どじょうのじっちゃんですが
大変なイキのいい人だったようです。

江戸っ子とは多分、じっちゃんみたいな人のことを言うのでしょう。
いつも着流しで、上っ張りは粗末でも下着に凝るんだそうです...
高級なラクダの下着がちらっと、見えるところが憎いんだそうですw

ポチもまだ、どぜぅだった頃w
よく、じっちゃんに連れられて...日本蕎麦屋へ行きました。
蕎麦は昔、おやつのような感覚だったのですねぇ

いつも、じっちゃんはもりそばを2枚とり
ポチが、1枚食べ終わらないうちに..
あっというまにたいらげてしまいます。







「じっちゃん(^^;、すごいねぇー」というと

「蕎麦はなぁ..ポチ、噛んで食べるもんじゃねぇんだ」

「流し込むのー」「それが江戸っ子よー」

「じっちゃん(^^;無理してるんじゃないだろねぇ?」

「べ、べらぼーめ」「何を言いやがる」

「でも、お腹一杯で苦しくないかぃ..じっちゃん」

「なぁに...蕎麦なんぞはなぁ.」

「馳走さんって..のれんくぐって外に出るとなぁ..」

「もぅー、腹がへるのよー」

「(^^;(^^;(^^;」

「ほんとかねぇー?、じっちゃん」

「なんか、消化不良おこしそうだよー?」

「べ、べらぼーめ」

「一緒に飲むエビスビールが消化薬よ」

・・・・・・・・・







まだ、ビールが珍しかった明治初期の日本では
味付けのホップの苦味が薬のように感じたのか?
薬局でも売られていました。

実際、効能としても整腸作用、滋養強壮、利尿作用等が有って
栄養ドリンクのような感覚で飲まれていたのかも知れませんね^^。





恵比寿ガーデンプレイス


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