本日、滝廉太郎の誕生日に際し、何気なく「音楽四方山話」をしたくなった。

August 25 [Sat], 2012, 15:07
本日、滝廉太郎の誕生日に際し、何気なく音楽四方山話をしたくなった。
おやようございます今日は滝廉太郎の誕生日ですねところで、PopMusic或いは短縮してPopsと言う言葉が使われているが、その語源はPopularMusicと言う事だと一般に理解されているのだが、日本のレコード会社の音楽部門では、日本生まれのPopularMusicを洋楽と呼んで、純粋のClassicMusicとは完全に区別している。
勿A互換性も混在性もない。
そして、かかる日本生まれのPopularMusicのことをJapanのJの字を頭に添えてJPopsと称している。
さらに、欧米では、Popmusicの事をどの様に意識しているのかしら。
と言うことになるが、色々とその道の人達に聴いてみても、十人十色、少しづつニューアンスが違う。
だが、一般的には、Musicofgeneralappealtoteenagersと言う事の様である。
従って、欧米でもclassicmusicは別のカテゴリーに入る様だ。
従って、演奏者に関しても、PopmusicとClassicmusicとでは、スマとも 掲示板一線を隔している。
要するに、芸術家の格式と言う様に考えると、Classicmusicの演奏者の方がPopsのそれとは、上座に位置することになっている。
日本の戦国武士に喩えれば、上級武士と下級武士との違いの様なもの。
話は戻るが、PopsとClassicと両方、二股をかけるmusicianも20世紀初頭になって登場してきた。
それには、映画と言うメディアが登場して、無声映画からトーキーの時代になるや、益々多様な、何でも来いのバンドが登場してきた。
そこで、クラシックとポピュラーと両方をあわせて、ブレンドした様なメロディー音楽を称してeasylisteningmusicとなった。
勿苑tに使われるscoreは、編曲物がベースである。
easylisteningmusicの中でも、世の中が殺伐、或いは多忙を極める様になると、人々の心が荒んでくる。
それを何とかBGMで、聞き流しながら心を癒すという目的で、色々とアレンジャーや作曲家たちは、hearlingmusicなるものを世に送り出した。
そうは言うものの、バロック時代やモーツアルトの時代でも、作曲する人の心は、自他ともに心を癒し、癒される曲を念頭にして作曲されたのだと思う。
と言うことになると、耳に優しく響く音楽と言うものは、世の中が荒んでいた方がより素晴らしいものが誕生するという妙な逆説に到達するのではあるまいか。
要するに、心が癒されないsoundは、音楽とは言えず、むしろ騒音雑音と言える。
従って、美しい音楽、綺麗なメロディーと言うのは、世の中が混沌或いは荒んでいなければ、生まれにくいのだということ。
一般的に、こんな美しい音楽が生まれた時代は、さぞかし、世の中が平和で長閑だったに違いあるまい。
と思いたくなるのだが、それは大きな錯覚に過ぎないと思うべきだ。
アメリカのゴスペル教会で生まれたと言っても過言でないGospelMusicと言うのがある。
所謂奴隷としてアメリカ大陸に連行されたアフリカ人は彼ら独自の言語宗教などをいっさい剥奪されたのである。
その苦しい状況下で、彼らのうちのある人々は、救いを与えるゴスペル福音と出会い、個人的なキリスト教への改心を経て、垂彼ら独自の賛美をささげるようになったのだ。
こうしてアフリカ特有の跳躍するリズム、即ち、ブルーートスケールや口承の伝統などとヨーロッパに於けるキリスト教の賛美歌などの音楽的詩的感性が融合してスピリチュアル黒人霊歌negrospiritualなどとも言うという現在のゴスペルの基調となる音楽が生まれたのであった。
後年になってJazzジャズやロックなど様々なジャンルと結びついてその音楽性は今も進化し続けている。
キリスト教会でも、そもそもが異端的なかかるリズムの賛美歌を用いる教会と用いない教会があるが、特に青少年のための礼拝にはバンドまで繰り出して盛んに使われ、ローマカトリック教会でも事実上若い信者の獲得のために渋々公認している。
なおゴスペルミュージックには、1930年代から黒人教会Whiteonlyと言うチャペルが大半で演奏され始めたブラックゴスペル一般的にはこちらを指すと、南部州の白人クリスチャンアーティストが歌っていたホワイトゴスペルがある。
ブラックゴスペルとホワイトゴスペル両者とも同じメソジスト賛美歌が源流であるが、黒人と白人の教会それぞれが完全に分離していた人種差別、ジムクロウ法ため、両者の音楽性もかなり異なったものになっている。
今日では、ブラックゴスペルをゴスペル、ホワイトゴスペルをコンテンポラリークリスチャンミュージックCCMと呼ぶのが通例なのだ。
教会、礼拝Christianworshipに関連した場所イベントのみで演奏したマヘリアジャクソン。
ナイトクラブなど世俗での演奏をしたゴールデンゲートカルテット、クララワード。
教会クラブ、どちらでも活動したアルグリーンなど。
活動姿勢は様々だった。
話は、大昔に戻るが、JSバッハやヘンデルなども、キリスト教会なくしては活躍の場がなかったということだ。
現代の様に、野球場など、野外にテントを設けて、そこにステージを仮設し、巨大音量のアンプを用いて演奏する様なガラコンサートgalaconcert特別記念コンサートは、バロック時代では、到底考えられなかったであろう。
よって、現代のミュージッシャンは、その昔と比べたならば、活躍の場が膨大に広くなったと言うことである。
されど、当のミュージッシャンは、昔も今も同じ、経済的に豊かな人達は、ほんの極僅かに過ぎない。
言い換えれば、チャイコフスキーにフォンメック夫人。
そして、カラスにオナシスが居った様に、桁外れの資産家パートナー或いはスポンサーなくしては、自分独りだけの生活を堅持するのにも事欠いているのが実態なのだ。
それは、なぜなのだろうか。
featurerelated
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:tbcefr9xxj
読者になる
2012年08月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
ヤプミー!一覧
読者になる
P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
https://yaplog.jp/tbcefr9xxj/index1_0.rdf