今更ながら、振り返る。

2011年05月22日(日) 20時22分
3・11
仕事中でした。
とてもとても落ち着いた日で。
早々に昼食を摂って、私は患者さんの爪切りをしていたんだ。
その瞬間、強い揺れ。
最初は「けっこう強いですね!」なんて患者さんに笑顔を見せる余裕があった。
でも、長い。突き上げられるような感覚。物が落ちて、ベッドや床頭台がてんでバラバラに動いていく。
私は部屋のドアが閉まらないようにしがみつくのが精いっぱい。
長い、長い数分。
ようやく揺れが止まった時は、停電になったのか非常電源に切り替わっていた。
暗くオレンジの灯りがボンヤリともる、埃で視界が曇る。廊下の先は非常ドアが閉まっていた。
警報が鳴って、火事を知らせていた。チラリと見た外は粉雪が舞っていた。
とりあえず、全患者さんの無事を確認して、ナースステーションに戻る。
スタッフの顔は強張っている。ナースステーションの中もメチャクチャ…
一部の天井は落ちて、廊下や壁の一部に亀裂が入っている。
火事警報は誤報。被害情報を知らせるようにアナウンスが流れた。
その間も間髪無い余震。
患者さんは怯えきっている。
誰からともなくいつでも建物外へ出れる準備を始める。
動ける患者さんには貴重品を持たせて、寝たきりの患者さんは車いすに乗せる。
この病棟は渡り廊下に挟まれた造り。他の病棟より揺れに弱いであろう事は容易に想像がついた
患者さんやスタッフの恐怖も限界に達していて、上からの通達はないけれど、自主的に外に逃れた。
車いすや担架で患者さんを1階に降ろしていく。
医師やリハ科の男性たちが次々に応援に集まってきてくれた。
病院の別棟に患者さんを集めて、余震が収まるのを待つ。
公休のスタッフが来てくれて、夜勤入りのスタッフも早めに入ってくれた。
病棟に戻り、患者さんが戻れるように片付ける。
MEが病棟を回って医療器具の点検。「この病棟が一番ひどいね」やっぱり。。。
建物の点検も終わり、患者さんたちを病棟に戻した。
テレビを付けて、衝撃を受けた。
津波が知った街を飲み込んでいっている…誰もが言葉もなくテレビに映る光景を観ていた。
特別態勢。
患者さんの夕飯は缶詰のお粥、佃煮のみ。
残れるスタッフは21時まで残った。
21時過ぎに病院を出た。停電は無かったけど、開いている店が少なくてゴーストタウンのよう。
コンビニがやたらと混んでいる。
私はこの時、この後続く食糧難なんて思い付きもせずにただただ疲れて早く家に帰って家の状態を確認したかった。

自宅は食器棚が倒れて食器の2/3程度をダメにした事を除けば、ほぼ何の被害も無かった。
ホッと一安心…
テレビをつけると、津波の映像が繰り返し流れた。
そして、気仙沼の街を襲う炎。
仙台の友人と遊んだ海、気仙沼にも遊びに行った。
何もする気力がなく、地震に怯えてダウンジャケットを着込んだままリビングで寝ることにした。

余震のたびに、何度も目が覚めた。何台も車いすや担架を運んだせいで肩や足腰が重い。
浅い眠りの中1時過ぎ、携帯の着信で目が覚めた。
同じ病院で働く親友からだった。
この時の着信まで、auの携帯はまるで使えなかった。
親友との安否確認、翌日から親友と合流することにした。
正直ほっとした。一人は怖いから。

翌日からは、断水になっていた。
  • URL:https://yaplog.jp/talk/archive/226
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