心の時間軸を意識するということ

March 06 [Wed], 2019, 10:11
瀧本です。




私が
「耳をすまし慎重に聞くべきは、もう一つ奥の
心の声だということを覚えておきなさい」
というと


数ヶ月で20キロも痩せた彼女は
絶対にそれを実践し続けます、と
まっすぐに私を見て誓いました。




彼女が入所するときの面談では
ずっと嗚咽のような声で泣き崩れていたが
仮釈放面談の昨日は心身ともに無駄が剥がれ落ち
別人のような笑顔だった。


入所時の面談で、
コピー用紙に書いて渡した仏法を
毎日毎日読み返しては心に刻んでいた、という。




塀の中では何が一番苦悩だったか?の問いに
何をしても、どうあっても怒鳴られたこと、と
答える表情さえも穏やかな笑顔だ。
仮釈放面談で、私はこの質問をいつもする。




修行の時、
かなり年下の指導員から何をやっても叱られ、
心の鍛錬の場であるはずなのに
(なんだ?この小僧!いい気になって!)
と、心の魔物が暴れたのを思い出す。
円形脱毛になる仲間も多くいた。


ところが次第に、ありがたいと思えるように
変化していったことに自分自身でも驚いた。


結界修行の最終日には
心の底から指導員の方々へ感謝した。


怒りから感謝へ転じていった心の経緯を
細かく覚えている。




塀の中にいる人も同じように心が変わっていく。
その確認だ。




「全てに感謝しています、全てに」の言葉を
まるで丁寧に味わうように彼女は言った。


私たちは、わずかな心の悪意を引き金に
事件を起こす生き物。


その小さな悪意を「悪意」と認識できるのは
悪意が生まれた瞬間だけだと私は思う。
次の瞬間には、いかにその欲を達成させるか
と、企てる方向に心は働き、
今、行おうとしていることが悪業であることなど
もう判断できなくなると私は思っています。




悪意が悪意でなくなり、
達成すべき課題に変わってしまう。


そうなったらもう自分の意志では止められない。
止めろうとする心は、もうそこにない。
これが煩悩に支配された瞬間だと思う。


行動力を得た煩悩はもはや敵無し。


達成しようとあれこれと作戦を立てる。
今から罪を犯そうとしている感覚がもうない。
「罪」とはもう感じない。




お釈迦様は言われていました。
悪意はいつでも発動しようと機会を待っている。
理性と表裏一体のところで、いまかいまかと
出番を待っている、と。


では、どうすればいいのか。




聞いてみた。
「また罪を犯したくなったらどうする?
どうやって止める?」


しばらく黙ってから
この刑期の苦しみを思い出します、と言う。


悪事に興味を持ってしまっても
この苦しかった生活を思い出して
二度とここには来たくない、と
心を止めます、と。




そこでこんな話をしました。


自分が今からやろうとしていることが
どれほど良くないことと分かっていても
内容の良し悪しに関係なく、
それを成し得ることが
「喜び」と思ってしまったなら
そう簡単には行動欲は止められない。


我々は常に幸せを追求した行動をする。
その達成が幸せだと認識したなら
それを追う心と闘ってももはや勝ち目はない。


ならばどうする?
どうすれば幸せを見間違えている心の暴走を
止めることができるのか。


それは、




もう一つ奥の心をみる







もう一つ奥の心。
それは何か?どこにあるのか?






私達の心は何かを見たり聞いたりすると、
また、何かを匂ったり、触れたりすると
必ず心が生まれます。


この認識作用が
あぁ、食べないな
あぁ、触ってみたいな
自分のものにしたいな
遠のけたいな…等々の「欲」を生みます。


そしてこの欲を達成させてあげると
「先程までの私」よりも幸せ度が高くなる
と思っています。
善悪などは、もうすでに薄れています。


ここが実際に悪事を働くか否かの手を打てる
ギリギリ最終です。


ポイントは比べる心の時間軸。


欲を抱く「前」の心、と。
欲を抱き達成したいと思っている「今」の心。


この「前と今」の二つの心を比較してしまうと
今の心が必ず勝ちます。
例えそれが悪いことであっても
悪いことを考えていなかった心に
戻すことはできませんし戻そうとも思わない。


そうではなく
もう一つ奥の心、とは




欲を成し得た後の心ff0066>です。







それをやってしまった後、
本当に私は幸せを感じるだろうか。


あぁ、そうして良かった!と
自分の心は本当に思うだろうか。




仮に今、
目の前にぶん殴ってやりたい人上司がいる!
この野郎!と自分の心は怒っている。


あなたは理性で必死に我慢します。
でも何とか懲らしめてやりたい!
懲らしめてやりたい!
懲らしめてやりたい!我慢我慢……


これはとても体に悪い思考ですね。
( ̄▽ ̄)


ではもしぶん殴ったら?
気の済むまでぶん殴ったら?
私は幸せだろうか?
幸せ度は殴る前よりも高いだろうか?



欲を達成しようとしている「今の心」と
実際に達成した後に感じる「後の心」を
感じにいってみる。





つまり、
「欲を抱く前」と
「達成しようとする今」
の心を比較して幸せを追うのではなく


そうではなく、


「達成しようとする心」と
「やってしまった後」を見比べる。


過去ー今ー未来


過去ー今ー未来


を感じに行くと、心は答えを知っていることが
わかります。




=それを行った後に
私は幸せを感じるだろうか=




この問いを常に自分へ問うこと。
欲を追う心を我慢するのではなく、
達成を思考してみて感じてみる。




正しくないこと、であると
心はちゃんとザワザワして教えてくれる。




聞き逃してなるものか、と
彼女は机の上に置いている両手をグーにして
身を乗り出していました。


私が教育室をでるとき、
笑顔と真剣な眼差しを交互にしていた彼女が
先生、握手をして下さい、と言い
この日初めての涙を流されました。


「出所もそうですが、
それよりも先生と会えることが
ずっと待ち遠しかった……」と。
………………………………


恐らく、
数日後にこのブログを読まれることでしょう。


お疲れ様でした。
これからが本当の罪滅ぼし。

私もまだまだチョー未熟者。( ̄▽ ̄)
また一緒にお勉強しましょうね。


心をしっかり見て、正しくものを見て考え
行動していきたいものです。


仏教ではこれを「正見」しょうけん
と言います。
……光静……

ウォウ!懐かしい〜。笑

















































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