平成30年10月11日木曜日の修法記

October 17 [Wed], 2018, 1:55


本日の修練は、基本修練をした後、有段者と級拳士と分かれての修練となりました。

・振子突
突いた腕を突きっぱなしにするのではなく、しっかりと引くことと、突く位置が毎回バラバラになりやすいので、相手の急所を意識して一点を突き続けるように指導して頂きました。

・上受
受けと同時に体をかわすのではなく、体を正中線をしっかりかわしてから上受をするようにと指導して頂きました。


・内受突
相手の突きを受けで受けるという意識ではなく、相手の突く拳の延長線に受けがあり、目をつむっても相手の突きを体で振身でかわしながら突きに受けがついてくる意識でするようにと指導して頂きました。

・片手寄抜
相手の肩と自分とを円流させ相手を崩す意識で鈎手をし、手刀打後に体を変えないまま鈎手に自らが寄って寄抜をするようにと指導して頂きました。


少林寺拳法を修練するにあたり大切なことの一つとして、「我」を無くすことを先生より説いて下さります。無くす為にはまず気付くことではないかと思います。自分には「我」が濃くこびりついているなとこの道場で気付かせて頂けます。

有段者の先輩拳士と組まさせて頂き、内受突をしている時でした。自分が攻者で上段逆突をするのですが、突いているのに突けていない事が分かりました。と言いますのも、自分が最初から守者の急所をしっかりと狙って突いていないのです。
なぜかと言うと、やはりどうしても人に対して攻撃するという恐怖心が凄くあり、どうしても突く事への意識が恐怖心で入らないのです。
その事が今まであまり気付かなかったのですが、有段者の方と相手をさせて頂いた時に、自分が突いた拳を振身をして内受で受けて下さるのですが、相手の受けが何か違うのが何故か感じたのです。言葉で表現するのが難しくて申し訳ないのですが、自分の突きに合わせて下さって内受をしてくださっているのが感じたと同時に、その受けの形、そこから感じる何か。本当はこうなんだろうなと感じるモノと違う違和感を相手より何故か感じたのです。それと同時に気付いたのが、自分がしっかりと突けていないからだと分かりました。ただ突けていないというよりは、法形通りに相手の急所へ突くという意識が恐怖心で逃げていて、意識を放って無かったので、守者は攻者の突きからくる意識を感じること無く法形の形をされていたのかなと思いました。なので、形通りにしてくださっているのに、何故か違和感を感じたという不思議な感覚を経験させて頂きました。
そしてこの感じたモノは一体なにかと自分の中に落としていくと、この「恐怖心」は自分だけのモノでありそれを相手に押し付けようとしていたという、それも自分の「我」なのかなと気付かせて頂くことができました。

そういう自分の「我」と向き合うのは凄く大変なのかもしれませんが、道場での修練の中で、自分で気付くモノもあれば相手、その場から気付かせて頂くモノもあると思います。
ただ修練に参加するのではなく、自分から何かを拾う意識を持ってこれから修練に励んでいきたいです。


(西岡 大介 記)
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