「命にいたる門」(マルコ10の17〜22)

2006年05月30日(火) 21時16分
ひとりの人が、イエスの所に来て、永遠の命を受けるために何をしたらよいでしょうか?と尋ねました。この人は、律法を守り、正しい生活をしていると自負していました。ところが、彼の頼りとするものは、神様ではありませんでした。主は、富むことを禁じられているのではありません。富に望みを置くこの世の価値観を持っていては、救われないと言われたのです。滅びにいたる広い門と、命にいたる狭い門が、あります。大勢の人が広い門から入っていき、自我という欲望のままに生きています。 主イエスが示されている命の門は細くて狭くて、そこから入る人は少ないのです。 私たちは、神の選びにより、尊い救いにあずかり、狭い門から入らせていただけてることを喜びましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


奏楽をした。前奏、後奏はなんとかうまくいった。讃美歌495、23、332、聖歌590のどれも歌いだしの前の前奏がうまくいかなかった・・・・いつも後4小節くらいを歌いだしとして弾いているのだけど、特に聖歌590は少し後が難しいし、この曲の前のがうまくいかなかったので、間違えそうだとビビリ、頭の4小節を弾いたらあとだれも歌い初めてくれず、土つぼ 教会員の方に、聖歌590はちょっとテンポが早すぎたよ、と指摘されたので、次機会があったら気をつけようと思った。 まぁ、歌い初めて貰ったら、間違えず弾けたので、私的には良かったと思いました。

一緒にいくであろう(出エジプト33の1〜11)

2006年05月23日(火) 15時04分
イスラエルの民は金の子牛を作って(出エジプト32の1~6)、それを神とする大きな罪を犯しました。モーセのとりなしの祈りによって滅亡から免れましたが、神の臨在を失ってしまいました。
『私は一緒にのぼらないであろう』民はこの悪い知らせを聞いて憂い、その身に飾りをつけるものはいなくなりました。
モーセは祝福の約束だけでは満足せず、神様が思い直して「悪い御告」を取り消してくださるよう祈りました。神様はモーセの祈祷に一歩一歩お譲りくださって、ついに「わたし自身が一緒に行くであろう」と答えて下さいました。神様との交わりが回復したのです。恵みも祝福も必要です。しかし、神が共にいてくださることに勝るものはありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大変な間違いを犯したときでも、必死になって許しを請えば、必ず神様は許してくださる。
今日はそんなお話をききました。
しかし、神様に許しを請うて、許していただくとき、それは自分の間違いを認める時。私を含めほとんどの人々は自分の過ちに気付かない、もしくは間違ったことをしていないと思う。
哀しいことだと、思います。

「聖書の言葉を握って祈ることが大切です」
牧師先生がそう教えてくださった。
間違いを犯し、許しをお願いするとき、神様はこうおっしゃってるではないですか、とすがりつくように必死になって祈ってゆこうと思います。

主に対する感恩の愛(ヨハネ黙示録2の1〜7)

2006年05月16日(火) 15時32分
エペソは、アジア最大の商業中心地でありました。女神アルテミスの神殿をもつ偶像礼拝の町でありました。主は、エペソ教会につて賞賛して言われます。
「わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。」主は、私たちの心と思いも、行いもすべて、よく知ってくださっています。しかし、責むべきことがあると言われます。
「初めの愛から離れてしまった。」
主が、私たちのために命を投げ出して、私たちの罪を許してくださったそのご愛を知って、わきあがった感恩の愛、その愛はどこにあるのかと言われるのです。
「わたしはあなたの若いときの純情、花嫁の時の愛をー覚えている。(エレミヤ2の1)
にせ者を見抜く力があったとしても、主の愛に生き、兄弟姉妹を愛する信仰の原点を見失ってはいけないと、主は言われます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このヨハネの黙示録はエペソの教会が誕生して50年後くらいに記された書物だそうです。
エペソの教会であったいろいろなことは使徒行伝18の24〜28、19の23〜書かれてあります。
兄弟姉妹を愛する信仰の原点を見失ってはいけない、ヨハネの黙示録で語られたことは、今を生きる私たちに語られていることです。
目に見える、兄弟姉妹を愛することが出来ないならば、神様愛することは出来ない、のだと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私個人としては「わたしはあなたの若いときの純情、花嫁の時の愛をー覚えている」(エレミヤ2の1)に、おぉー、ときました。
そうですね、そんな時代も旦那にありました。信仰も日々での生活も初心にもどって初々しく誠実に頑張ってみようかな、と思う今日この頃です。

いつも、共にいる(マタイ28の16〜20)

2006年05月02日(火) 19時39分
御使は女たちに言いました。「イエスはよみがえられた、見よ、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお会いできるであろう。」この御言葉を信じてガリラヤへ行った弟子たちは、イエスさまにお会いできました。
疑いをもっていても、御言葉に従った弟子達に、イエスさまはご自身を現して下さいました。そして、主イエスは大きな使命を与えられました。
あらゆる国民を弟子とし、父と子と聖霊の名によってパブテスマを授け、イエス様が教えられた御言葉を守るようにという宣教の命令でした。
これは全てのクリスチャン、教会に与えられた栄光ある使命であります。
私たちが、この使命に励むとき、主イエスは
『見よ、私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる』
と言ってくださいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
疑いつつも従うことはだいじなこと。イエス様を信じていても疑ってしまうことは誰にでもあると思います。でもイエス様は真実なお方。今は分からなくても必ず信じるようにしてくださる、と牧師先生は教えてくださいました。
イエス様はいつも側にいてくださるのだから、弱い自分をさらけだして助けていただこうと思ってます。
☆プロフィール☆
☆名前☆あきぶ☆
☆好きなこと☆ペットとたわむれること☆
☆家族構成☆夫、娘、息子☆
☆働く主婦、家事さぼりぎみ☆
わんこヤプニティ
コメント・トラックバック歓迎!わんこヤプニティ
2006年05月
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
最新コメント
アイコン画像ヨシオ
» 心、燃やしてくださる御方(ルカ24の13〜33) (2008年10月18日)
アイコン画像タイラノ清盛
» 心、燃やしてくださる御方(ルカ24の13〜33) (2008年10月16日)
アイコン画像ダッチ伊藤
» 心、燃やしてくださる御方(ルカ24の13〜33) (2008年10月13日)
アイコン画像†*もぇちゃ*†
» 心、燃やしてくださる御方(ルカ24の13〜33) (2008年10月11日)
アイコン画像めーたん
» 心、燃やしてくださる御方(ルカ24の13〜33) (2008年10月07日)
アイコン画像じゃぶ
» 心、燃やしてくださる御方(ルカ24の13〜33) (2008年10月06日)
アイコン画像マヨネーズ・ラテ
» 心、燃やしてくださる御方(ルカ24の13〜33) (2008年10月03日)
アイコン画像はにまる
» 心、燃やしてくださる御方(ルカ24の13〜33) (2008年10月02日)
アイコン画像きりひと
» 心、燃やしてくださる御方(ルカ24の13〜33) (2008年10月01日)
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:suzybububu
読者になる
Yapme!一覧
読者になる