留学を終えて・・・B
2005年08月13日(土) 15時32分
しかしながら、渡韓する前に比べ、留学を終えたあとでは、韓国に対する思いも当然複雑なものになった。
行く前はただ単純に好きだと思っていた。歴史の問題やそれに続く現在の国家間の問題についてもちろん何もしらなかったわけではなく、一通りのことは知りながらも、「そんなことは個人レベルにおいては関係ない問題だから気にする必要ない」と私の中では大きなウエイトを占めてはいなかった。韓国語専攻でありがなら、この意識の低さは今考えれば恥ずかしいけれど、実際、そういった問題を実際に肌で実感する機会などなかったのだから仕方がなかったともいえる。また、もう一方でこれまでに個人的につきあってきた同世代の韓国人の友人たちは私と同じくらい国家レベルの問題に対して関心が薄かったし、お互い無言のうちに触れないようにしてきていたように思う。
しかし、私が留学をして半年をすぎたころに、ちょうど島根県の「竹島の日」制定に始まり、「作る会」の教科書検定通過の騒ぎも相次いで起こったために、韓国で反日気運が一気に高揚し、テレビや新聞をはじめ、デモ、市民運動など、生活の中で「反日」を目の当たりにし、正直、面食らった。これまでちらほらとしか見えなかった韓国人たちのもつ日本に対する本音の気持ちを見せ付けられた気がした。最初は戸惑い、自分でどう消化していいのかわからなかった。やはりいくら親しくしていても、溝は深いんだなぁと。しかし、この一連の「反日」ブームとも呼べる社会現象を見たことをきっかけに私も自分なりに勉強し、最終的にはこのような極端で一方的とも言える「反日」現象に、正直憤りを覚えるようになった。韓国は民主国家でありながらもこの点に関しては、昔と変わらず、言論の自由はないのだ。「反日」であることはまず国民の前提であり、それに異議を唱え、批判を加えることは「親日」的行為であり同時に非国民とみなされ、もしも大衆の目に触れれば大々的にバッシングを受け、社会からは追放される。
行く前はただ単純に好きだと思っていた。歴史の問題やそれに続く現在の国家間の問題についてもちろん何もしらなかったわけではなく、一通りのことは知りながらも、「そんなことは個人レベルにおいては関係ない問題だから気にする必要ない」と私の中では大きなウエイトを占めてはいなかった。韓国語専攻でありがなら、この意識の低さは今考えれば恥ずかしいけれど、実際、そういった問題を実際に肌で実感する機会などなかったのだから仕方がなかったともいえる。また、もう一方でこれまでに個人的につきあってきた同世代の韓国人の友人たちは私と同じくらい国家レベルの問題に対して関心が薄かったし、お互い無言のうちに触れないようにしてきていたように思う。
しかし、私が留学をして半年をすぎたころに、ちょうど島根県の「竹島の日」制定に始まり、「作る会」の教科書検定通過の騒ぎも相次いで起こったために、韓国で反日気運が一気に高揚し、テレビや新聞をはじめ、デモ、市民運動など、生活の中で「反日」を目の当たりにし、正直、面食らった。これまでちらほらとしか見えなかった韓国人たちのもつ日本に対する本音の気持ちを見せ付けられた気がした。最初は戸惑い、自分でどう消化していいのかわからなかった。やはりいくら親しくしていても、溝は深いんだなぁと。しかし、この一連の「反日」ブームとも呼べる社会現象を見たことをきっかけに私も自分なりに勉強し、最終的にはこのような極端で一方的とも言える「反日」現象に、正直憤りを覚えるようになった。韓国は民主国家でありながらもこの点に関しては、昔と変わらず、言論の自由はないのだ。「反日」であることはまず国民の前提であり、それに異議を唱え、批判を加えることは「親日」的行為であり同時に非国民とみなされ、もしも大衆の目に触れれば大々的にバッシングを受け、社会からは追放される。
[ この記事を通報する ]
- URL:https://yaplog.jp/supernatural/archive/311