ほすととげすと

September 20 [Mon], 2004, 22:14
☆ホストとゲスト☆



 霧が峰の近くに、夫が山小屋を建てた。

 山登りの好きな夫はそこを拠点に北アルプスや南アルプスの山々に登る。

 小さな小屋に、昨年、私の部屋を造ってくれた。基礎工事などは専門家に任せたが、大工さんの助けをかりながらも、ほとんどの工程に夫はかかわった。

 その小屋に行くと、夫はホストの気分に切り替わるらしい。日頃やっている洗濯はもちろん、掃除も炊事もまめにこなす。逆に私はすっかりゲストの気分。

「めし」「ふろ」「ねる」で事足りる生活。私の仕事は、冬は薪ストーブをくべること、春は山菜を取り、夏はいたるところに落ちている枝を薪に切りそろえるぐらい。

「お茶」を所望すると、「お茶と言えばお茶が飛んでくるのか」と文句を言いつつ、用意してくれる。

沖縄にいるときと同一人物とは思えない。

 この違いは、なんだ! なんだか分からないけれど、良いことには違いない。

なつやまとざん

September 20 [Mon], 2004, 17:56
夏山登山



 夫に誘われて、登山に出かけた。6泊7日の大旅行。夫はテントに6日分の食料。

ざっと30kgのリュック。私は自分の寝袋と雨具、着替えだけで、8kgぐらい。

 8月6日金曜日、快晴。松本電鉄新島々を降り、1時間あまり待って、バスで新穂高温泉へ。

バス停から少し入ったキャンプ場は川縁の森の中。テントを張るところに細かい砂が敷いてあり、トイレも美しく、快適なテント場だった。幸運にも、キャンプ場の管理人に教えてもらった近くの民宿で露天風呂にも入れた。さい先良い感じ。



新穂高から登山開始

 8月7日土曜日、登山開始。6時出発。林道を2時間ほど歩くと次第に山道とな

り、3時間ほどすると第一の目的地、槍平に到着。

 テントを張って、夫はそこから奧丸山へ。私はテントでゆっくりくつろぐ。

ところがにわかに天気が悪くなり、雷も鳴り出して夫は早々に降りてきた。

二人でうとうと昼寝しているあいだに土砂降りの雨となり、テントの中に水たまりができていた。

下に敷いたビニールシートがテントからはみ出していて、そこから水が入り込んでプール状になり、中に染み込んできたのだった。夫はあわてて下敷きをテントの下に織り込んで水が入らないようにし、私はテントの中から下にたまった水を必死で押し出す。

夕方にはすっかり雨もあがり、夜は満天の星空だった。ここのトイレは清掃はされていたが、とても臭かった。

 8月8日日曜日。槍平を6時前に出発。ほとんどの人が向かう槍ヶ岳を後目に、千丈沢乗越から左俣岳、硫黄乗越、樅沢岳を経て双六キャンプ場へ向かう。

お花畑の続く千丈沢乗越までは急な登りで、夫は荷物がこたえるらしく、10分か15分で小休憩しながら歩く。

ハアハアと息をはずませている夫の後ろから鼻歌を歌いながら登っていたら、夫は「前にY氏と登ったとき、自分が後ろで鼻歌歌いながら登ったけれど、Y氏は嫌だっただろうな」と盛んに反省をしている。

それでも地図上のコースタイムで7時間ほどの行程をほぼその時間で歩けた。

 双六キャンプ場はとても広く、夕方には80張りほどのテントが林立していた。

テント場には若者が多く、中高年は山小屋泊まりのようだ。ここのトイレは数も多く、きれいで使いやすい。水も豊富。



鷲羽岳と水晶小屋

 8月9日月曜日。双六岳をトラバースして、カール状で高山植物の多いなだらかな道を三俣山荘へ向かう。

 山荘から鷲羽岳へはけっこう急な岩まじりの登り道で、

「山登りをした!」という充足感がある。おまけに曇天ながらも頂上から槍ヶ岳、笠ガ岳、黒部五郎岳など北アルプスの山々がよく見え、360度のパノラマを満喫。

鷲羽岳を下り、岩苔乗越手前で祖父岳に向かう夫と別れ、私は水晶小屋へ急ぐ。

雲行きが怪しく、少し雨が落ち始め、あわててレインコートを出して着るが、すぐに止んでしまった。

 水晶小屋で宿泊を申し込むと「今日は宿泊者が多く、布団1枚に2〜3人になりますがいいですか? 

まだ早いのでできれば次の小屋まで行かれることをお薦めします」と言われた。

私たちの予定コースの奧黒部ヒュッテまであと7時間。当然宿泊をお願いする。

小さな小屋で定員30名とのことだったが、その夜わかったのは、この定員はひとつの布団に2人寝るという前提だった。

キャンセルなどがあったが、その日の宿泊者は結局36名。

管理人の指示で、私は夫とひとつの布団に寝ることになった。

布団の中で「新婚以来と違うか?」と言うと、「新婚の時もなかった」と言われた。

そうかもしれない。

 夕方5時過ぎになってようやく小屋に到着した人がいた。奧黒部ヒュッテから朝6時に出発して来たと言う。

コースタイムでは、こんなに遅くなるはずがない。

「いやあ、大変なコースですよ。」

「でも私たちは逆コースだから。」

「逆も大変ですよ樹林帯に入ると木の根で足が滑るので、下りの方が大変ですよ。昨日なんて、水晶小屋から来たパーティーは夜7時頃に着いていましたよ」。

むむむ、明日の山歩きが心配だ。

おまけに天気予報では、午前中の降水確率50%と言っている。

 自炊派が何組かあったが、乾燥米に水をいれて食べている。夫がリュックから飯ごうを取り出すと山小屋のお兄さん(大学生のアルバイト?)が「今時、飯ごうを持っているなんて尊敬しますよ」と言った。

水だって2リットルのポリタンクで運んできた。米も2升持ってきた。

山小屋が発達してお金さえ出せば水も食料も買える昨今,
こんな人間は珍しいらしい。尊敬したからかどうか、翌朝余ったゆで卵や漬け物をくれた。

 ここのトイレは小屋の外にあって、夕方から冷え込んだのでトイレに行くのは寒かった。

朝は二つのトイレを36人が順に使用するので列ができた。

水はすべて雨水を樋から集めたものだった。

 山に登ると日焼けするので、日焼け止めクリームは一応持参したが、水のない所では洗顔もままならず、クリームを塗ったまま眠るのも気持ち悪く、結局使用しなかった。

けれど、他の女性が濡れコットンを持参してそれで化粧を落としているのを見て、なるほどこうすればよいのかと思った。

日頃化粧をしないので、そんなことにけっこう疎い。



健脚コース

 8月10日火曜日。いつものように6時前に小屋を出発。まず水晶岳へ。

薬師岳が正面に迫り、遠くにはまだ槍や笠などが見える。それにしても槍が遠くなったものだ。

 そこから赤牛岳は間近に見えるが、頂上までがなかなか遠い。けれどまずまず歩きやすいし、イワリンドウなどの花が目を楽しませてくれる。

赤牛岳頂上には、小屋で一緒だった男性が先に着いていた。写真を撮っていると、「夫婦でどうですか」とシャッターを押してくれ、この登山唯一のツーショットとなった。

黒部五郎岳には灰色の雲が立ちこめていて、明らかに雨が降っている。こちらもガスが上がってきた。

急がないと雨になりそうだ。

 そこから先が長かった。夫の地図では赤牛岳から奧黒部ヒュッテまで3時間と書いてあったが、先の男性の地図では5時間になっていた。

かなり下って樹林帯に入ると、確かに歩きにくく、いつまでも続くので無口になる。これで雨だったら泣いていただろう。

黒部湖の湖面が見えたときは思わず歓声をあげた。幸いに降られることもなく、結局、小屋に着いたのは2時頃。水晶小屋を出てから8時間、予定より1時間オーバーだった。

 テント場は小屋から少し離れた川の近くの草地にあり、トイレはない。小屋まで行かなければならず、遠かった。

でも、川の近くだけあって、水はふんだんにあった。

山に登ると水のありがたさがよく分かる。



黒部ダムへ

 8月11日水曜日。平の渡しから黒部湖の対岸に登山者を渡す船が10時20分に出る。

そこまでのコースタイムが3時間。前日のことがあるので、余裕をみてやはり6時に出発。

渡し場までの道はよく整備されていたが、梯子の上り下りが多く、疲れた足にはこたえる。

でも2時間ほどで渡し場についてしまった。船が来るまで退屈で、近くを少し散策したり、コッヘルで紅茶を沸かしたりする。

 思ったより立派な船で対岸に渡ると、すぐに平ノ小屋がある。先の船長はこの小屋の主人だった。

荷を降ろして、おでんを注文し、早い昼食にする。朝食がいつも5時
頃だから、10時には空腹になってしまう。

 小屋から黒部ダムへは、ところどころ梯子があるものの、湖面にそった道はほとんど平坦な歩きやすい道だった。

でも連日の登山でかなり疲れていて、しょっちゅう休憩しながら歩いた。

 黒部ダムに着くと人、人、人。水晶小屋から黒部ダムまでほとんど人がいなかったのと対照的だ。自然環境と多くの人命を犠牲にして作られたこの巨大なダムは、アルミ精錬に電力を供給するために作られたそうだが、果たして必要だったのだろうか。

コンクリートむき出しのダムは異様ではあっても美しくはない。この大勢の人たちは

何を見に来ているのだろう。ダムから放水される水に架かる虹を見ながら、そんなことを考えた。

 ダムからトローリーバスとバスを乗り継ぎ、大町温泉郷へ。新穂高を出発してから、お風呂がないのはもちろん、一度も着替えたことがなく、夫はかなり臭い。

おそらく私も同じなのだろうが、自分では感じない。

満員のトローリーバスで、他の乗客

に申し訳ない気分だった。

 予定より早く4時過ぎに温泉旅館に着く。この日は夫の54歳の誕生日。山の中とはうってかわって豪華な夕食に温泉三昧だった。



登山を終えて

 新穂高から黒部ダムまで、5日間で計36時間、天候に恵まれたのが幸いしたが、我ながらよく歩いたものだ。健脚を名乗ってもよさそうだ。魚の缶詰に味噌汁と御飯の粗食を続けながら大量の汗をかくので、体の内側からきれいになった気がする。

 山小屋のトイレは紙を落とさず、備え付けのゴミ箱へ入れる。下界へ降りてきて、当たり前のように多量の水と一緒に紙を流す生活に、疑問を感じる。臭わない美しいトイレを使用できることは嬉しいが、何かが間違っている。今の生活を見直すために、年に一度くらいはこういう体験も必要かも知れない。

 それにしても、私の分まで食料とテントを運ぶ夫に「二人で登るより一人の方が楽と違うの?」と尋ねると、「一人は一人の時の、二人は二人の時の、それぞれの良さがある」そうな。生涯1000山登頂をめざしている夫には、がんばって下さいと言うしかない。

つまはおっとのあくせさりー?

September 20 [Mon], 2004, 17:38
妻は夫のアクセサリー?



京都の次男のところで時間ができて、夫と映画を見に行くことにした。最近買ったワンピースを着て出かけようとしたら、「その恰好で行くの?」と夫。「全然、靴が合っていない」

私はスニーカーを履いていた。ドレッシーなワンピースに確かに合わない。

「でも、靴を持ってきてないもの」

「まだ、サンダルの方がましとちがうか?」

「繁華街を歩くときは歩きやすい靴でないと疲れる。同窓会もこれで行った」

「信じられん。ホントにその恰好で行く気?なら、行くの止めよう」

そこまで言うならと靴に合わせてポロシャツとキュロットに着替えた。

自分の方がよっぽど変な恰好と思うけれど。妻は夫のアクセサリー?ひどい恰好だと一緒に歩けないものらしい。



その夜。次男と三人で夕食に出かけようとしたとき。

「おやじ。なんぼ何でも、その恰好は止めてくれ」

夫は伸びるに任せた髭に長髪、バンダナ。

「何が悪い」

「一緒に歩けへんわ」

私の敵を討ってくれた。

せめて長髪を束ねたらということになって、やっと出かけることになった。

途中、隣の娘さんと遭遇。

「この恰好、見たって。信じられんやろ」と息子が話しかける。彼女は笑っていた。



恰好にかまわない夫からヒドイといわれた私は相当なものだったのでしょう。

「恰好はどうでもええねん」というこの夫婦から、どうして恰好を気にする息子が二人もできたのでしょうね。

むすこのしごと

September 20 [Mon], 2004, 17:37
息子の仕事



 次男は、高校を卒業してすぐ就職した。

最初に就職した会社は10日で辞めてしまい、接客業のアルバイトをしていたが、かねてから体を使う仕事をしたいと、この7月から鳶職に転職した。

 沖縄時代の友人の何人かが、沖縄で仕事がなく、季節労働者として本土で暮らしているそうだ。

「でもな、季節労働者て、むなしいと思わへんか」と息子。

「なんで?」

「お金は儲かるかも知れへんけど、工場で部品組み立てて、自分に身につくものが何もないやん」

「鳶職は何が身につくの?」

「筋肉」

思わず笑ってしまう。なるほど、息子は筋肉隆々。体脂肪率6%だそうな。

「おれは作る仕事がしたいんや。鳶の仕事も、足場が組上がっていく満足感がある。

でもな。用済みになったら、一瞬で壊される。それが虚しい。
2年ぐらいこの仕事したら、また別のことやりたいな」

大工などが向いているのかとも思う。でも、親のそんなアドバイスは何の役にも立たない。

自分のやりたいことを見つけるのは、大変だ。私もこの歳でまだ試行錯誤している。

おそらく自分のやりたいことをみつけて、それを生涯の仕事に出きる人は、ほんのひと握りに違いない。

手助けしてあげたいけれど、自分で見つけるしかないな。

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