伏義もゐて女禍も泳ぎし月の海

2012年07月30日(月) 14時09分
7月24日(火)から26日(木)の二泊三日で娘の直子と韓国旅行に行く。私の目的は国立中央博物館の文物を見ることと仁寺洞の印房「秀印堂」で落款を作成してもらうことだった。娘は明洞の免税店巡りと仕事柄もあるがコスメテックの買い物、そしてお互いマッサージ三昧と韓国料理を堪能することであった。24日仁川空港から「HOTEL JP」に着くや直ぐ様明洞のロッテ免税店に二人でゆく。私はそこで彼女と別れ、仁寺洞の印房「秀印堂」に向う。主人は技術も人柄も申し分の無い方と伺っていたがまさにそのような方であった。

 

驟雨なか出島の人の夢に住む

2012年07月28日(土) 16時08分
6月24日(日)帰国の日である。同居しているマーテンの祖母に別れを告げて二人がスキポール空港に送ってくれる。「今度は日本においでね。」「又オランダに行くね。」「シャカリンの仕事の新しいプロジェクトが上手くいくのを祈ってます。」などと声を掛けて別れた。出国手続きのところで日本人の老夫婦連れに出会う。ご主人が「荷物の受取り状がない」と婦人に話している。本当に困っている様子である。私が手助けを話すと必要以上に感謝される。しばし日本語で歓談する。帰路は韓国仁川空港経由である。帰路のKLM機は圧倒的に韓国人が多い。随分賑やかである。日本人とは様子が違う。私の隣の席は大柄のインド人である。エコノミー席はきつすぎるであろう。乗務員は食事時にやたらに水物を運んでくる。トイレが込み合う。必然の理りである。仁川空港で一旦降りた。何のキャンペーンか分からないが王侯武将の行列があった。空港内のレストランで韓国の焼肉料理を食べた。実はこのひと月後に同じ仁川空港に今度は娘と二泊三日の韓国旅行に行くことになる。仁川空港から2時間程で関西空港に着く。慌ただしくも充実したオランダ・ベルギー旅行であった。

 

夜振火やローマ兵士が奪ひたる

2012年07月28日(土) 13時59分
6月22日(土)ベルギーのゲントへマーテン、シャカリンと私の三人で行く。この日はゲントの大学に通っているマーテンの妹メアラインが参加している大学の展覧会を見に行くためである。彼女と12年振りに会ったが随分成長していた。ゲントはガイド本を見て知っていたが、それは英語読みであって実際はGがHの発音になるため「ヘント」と言う。この「ヘントに行こう」と言われても直ぐにはゲントと一致しない。前日やっと理解できた。「ヘントってGentのことか?」と聞くと「そうだ」と答える。ああ、それならとガイド本を見直しファン・アイク「ゲント祭壇画」を思い出した。ここゲントはブリュッセルとほぼ同じくらいの距離、デルフトから2時間位である。運転はシャカリンがやってくれる。行くときにガソリンスタンドでガソリンを入れたりタイヤに空気を入れたりの作業を女性であるシャカリン一人でやっている。マーテンは傍観している。やはり司馬遼太郎の「街道を行く・オランダ紀行」にも同じことが書かれていたが、ここでは一旦運転を任せたら一切手伝わない、全てを委ねる。それがオランダ気質であろう。大いに納得できた。この日はメアラインとゲントで落ち合って大学の展示館で創作を観て、その後昼食、市内観光、夕食をとって再びメアラインの下宿先で両親を交えて過ごすということになった。この日のためにアメスフォートからご両親も駆け付けてくれたが私たちとは時間が合わず展覧会には別々に観ることになった。

  


メアラインの作品への感想を日本語で記載して彼女に英語に翻訳して喋ったら喜んでくれた。ここでメアラインと一旦分かれ市街中心に戻り三人で昼食をする。ファーストフードの店であるが良い雰囲気の店であった。フレンチパイが美味かった。食後聖ハーブ大聖堂へ行く。ここにファン・アイク「ゲント祭壇画」が置かれている。大聖堂へは無料だが「ゲント祭壇画」の部屋へは4ユーロ掛かる。二人は既に観たとあって私だけが入場した。日本語のヘッドフォーンを借りる。この祭壇画の形式は初めて観た。11枚の独立した絵画より成り立っている開閉式の大祭壇画である。中央上部にかの「神秘の仔羊」の画が置かれ、周りを王侯、僧侶、修行者などが取り巻く。日本語による解説も丁寧で良く理解できた。黙示録の世界がファン・アイク親子によって描かれている。色彩の鮮やかなことがフランドル絵画と特徴のようでもあり私は随分長い間この絵に魅入られてしまっていた。

  

ハーブ大聖堂を出て広場のオープンカフェでビールで寛ぐ。客は多いのに女性店員は一人、忙しくしかし要領よく立ち回っている。中々注文を取ってくれない。二人は落ち着いた様子であるが私は少しイライラする。やっと注文をしたがビールが運ばれてくるのも時間が掛かる。しかし女性店員は健気に働いている。やっと来たビールで乾杯する。シャカリンはコーヒーかなにかだった。どうも日本人は気忙しいのかも知れない。「おとうさん、ここではゆっくりね。」などと私の様子を見てマーテンが言う。「いや、注文が正しく通っているか心配なんだ。」と私。更に「マーテン、彼女は一人で良く働いているのでチップを弾むこと。」と言う。店を出て随分進んだところで件の女性店員が駆け寄って来た。私は携帯電話をその席に忘れていたのだ。申し訳なかった。お礼を言ったがチップを渡すまもなく彼女は去って行った。渡すことが出来なかったことが今考えても残念なことであった。

  

夜は「Le Mystic」というイタリアン・レストランであさりのスパゲティとアスパラスープとビールを堪能した。オランダに来てイタリア料理に本当に世話になった。再びメアラインの下宿に言ってご両親を交え6人で談笑する。本日はここに泊まる両親達とここで別れてデルフトに戻る。明日はオランダから日本に帰る。帰宅して荷造りを終えた。

  

空蝉や篝火ひそか無言劇

2012年07月28日(土) 1時54分
6月22日(金)一人でデルフト市内を散策する。マーテン君が推薦してくれた東門(Oostpoort)へ向う。マルクト広場から運河沿いに歩けばたどり着くことが出来る。成程絵葉書十枚分の美しさである。特に私が興味を持ったのは単に美しいということよりも運河というか、河の高さが相当な位置にあり、日本では増水で氾濫するのではないかという高さである。その面白さである。水量の調節が行き届いているので運河の水は氾濫することはないということであるが実に不思議だ。東門からドックに向う方向に歩けば先日あるいた「デルフトの眺望」の場所である、しかしどうも怪しいロケーションを再度訪ねて見ることにする。驚くことだがマーテンやシャカリンもその場所は知らないという。存外余り関心を持っていない。ただならぬ関心を持っているのはプルーストと日本人だけかも知れない。恐らく世界一フェルメール好きは日本人ではないかと思う。確かに街中はフェルメールの絵が案内図に描かれているが心底のファンは日本人であろう。「真珠の耳飾りの少女」などは日本でどんだけ稼ぐんやねん!とツッコミを入れたくなる。この少女のお陰で、ひいては日本のお陰でマウリッツハイス美術館の改装費用を捻出出来るのではないか。孝行娘である。さてその眺望の場所だが帰国してネットで調べたところドックの対岸だった。今回残念ながらその場所には立てなかったがまあ次回への宿題とすることにした。

  

東門の隙間から覗く。途中で雨が降り橋の橋脚で休息を取る。この地で「刺青(tatoo)フェスティバル」があったようだ。ヨットが見える対岸が「デルフトの眺望」が描かれた場所である。
  

再び街の中心部を散策(デパートを巡ったりする。但しデルフトのデパートは驚く程に小さい。二階建てのスーパーの規模である。商品も少ない。家に戻り仕事をしていたマーテン君と落ち合う。昼食はイタリアンピザにする。マルクト広場にあるイタリアンレストラン「stromboli」に行く。大皿のピザであったが美味さのあまり一気に食べた。私はビールのおまけも付いた。昼のビールは最高である。再び雨が降る。レストランの窓からカメラで外の人々を撮る。良い雰囲気のレストランであった。彼は再び自宅に戻り、私は今回2度目の「フェルメールセンター」を訪問した。イタリア語版の「フェルメールの絵画図鑑」(7.8ユーロ)を二冊買った。しばし併設する喫茶店でコーヒーを飲みながら外の光景をのんびり眺める。コーヒーは2ユーロ(約2百円)だった。

  

次いでオラニエ公ウィレム1世(沈黙王)が住み且つ凶弾に倒れた場所である「プリンセンホフ博物館」に行く。凶弾で倒れた階段の上がり口や対スペイン戦争の様子、王家の系譜などの図絵を興味深く見て回った。日本人の三人連れにであった。一人が案内人らしく説明していた。次いで真ん前のインドネシア民俗博物館を観て最後にプリンセンホフ博物館の中庭のベンチに座って持参した司馬遼太郎「街道を行く8・熊野・古座街道」をしばし読み耽った。デルフトに来て熊野のことを気にしていた。

  

  

夕食はマーテン、シャカリンと私の三人でRestaurant-Bar「Artusi」に行く。皆んな初めてである。私が今回のもてなしの御礼を兼ねて招待した。旧教会脇の運河沿いの道を少し北に上がった所にあった。雰囲気の良いレストランであった。4品のコース料理を注文した。マーテンと私はビール、シャカリンはグラスワインを飲む。写真は一品目の鮟鱇料理と最後のデザートのアイスである。

 

水無月や醸造所には修道士

2012年07月22日(日) 12時37分
Groot Hertoginnelaan(フロート・ヘルトギンネラーン)通りを行くべきところそのまま直進しLaan van Meerdervoort(ラーン・ファン・メールデルヴォールト)通りを進んでしまった。オランダ語では「van」が「ファン」なのはドイツ語と同じだが「Groot」が「フロート」になるのはオランダ語独特である。交差点で自転車に乗っていた青年に声を掛け方向を聞き間違っていたことに気付く。右折して尚もあるくもハーグ市立美術館は見えてこない。トラム駅近くで道路工事の作業中の男性に聞くと後500mと答えてくれる。何やら同僚の男性も加わってくれる。地図を示しながら「ここは何処ですか?」と聞けば、ここと印を付けてくれた。最後に「いい旅を!」と言ってくれた。陽気で親切な人達であった。Stadhouderslaan(スタドハウダースラーン)通りを進めんでようやくガイドブックで見た美術館が見えてきた。マウリッツハイス美術館が改装中のため主だった作品がこの美術館の二階に間借りしている。入口に音声ガイドが無料で借りることが出来た。日本なら500円はするはずである。レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」を目の前にして「やっと此処まで来ることが出来た・・。」という感激を味わう。「夜警」程ではないがこの絵も壁一面を被う大画である。円形ソファーに座ってしばらく見つめていた。隣の部屋にはフェルメールの「デルフトの眺望」があった。ここで日本人の方4名連れと出会う。話すことは出来なかったがお互いこの絵を見つめていた。ガラス張りになることもなく私はこの「眺望」を10cmまで寄せて見ることが出来た・因みに「解剖学講義」の前にはフェンスがあり此処まで近づくことが出来なかった。このフェルメールの「眺望」で気づいたのは筆使いの鮮やかさ、肉厚さを感じたことであった。フェルメールの筆致は光の濃淡で朧な印象を持っていたが、この「眺望」は細部一つ一つ精密に描かれている、ということである。やはり実物に接することで感動が深まった。10時間以上も飛行機に乗って来た甲斐があった。交互に両絵を見ながら時を過ごした。ついて市立美術館のコーナーに行く。モンドリアンの多くの作品に混じって、モネやピカソが並んでいる。おそるべし。驚いたのは現代作品コーナーで「オーヴィル・コプター」(猫コプター)を発見した時だった。訪蘭する前に日本で「事故で死んだ愛猫オーヴィルを剥製にしてプロペラを付けてラジコン操縦で空を飛んでいる」猫のニュースを私は見ていたからだ。私だけでなく殆どの人達の顰蹙を買っていた。「まったく悪ふざけも程がある、このオランダ人は!」が素直な印象だった。その猫がラジコン、ヘリコプター付きでこちらを睨んでいる。思わず写真を撮ったがオランダ、日本の友人達に見せたがやはり引いていた。これはもう見せられない。ともあれ刺激的な美術館を堪能して出た。帰りも歩いて行く。次はエッシャー美術館である。

  

スヘーフェニンゲン森林公園の中を歩く。歩きながら昼食代わりに持参したクラッカーを食べる。森の緑も美しい。彼方に塔が見える。平和宮(国際司法裁判所)である。10年前に妻と訪れその美しさに感動した所だった。再び1813年広場を通ってエッシャー美術館に向う。時間は3時になっていた。

  

運河沿いの道は美しい。次回オランダに再び来ることがあればまた訪れたいところである。

  

エッシャー美術館は実に楽しい美術館である。「だまし絵」で知られるがそれに留まらない、想像力のエンターテナントを備えていた。視覚の錯覚を応用した実験的部屋や踏めば画像が変化する床、大スクリーンに流星の姿、想像以上の面白さだった。土産にエッシャーのクリアファイル2枚を買うと女性店員に「良いものを選択されました。」と微笑まれた。美術館を出た広場で4時にマーテン君と待ち合わせだ。喉が渇いてジュースを飲んでいるところで落ち合った。これからアメスフォートへ行く。

     

アメストフォートでマーテン君のご両親に出会い旧交を温める。父上は彫刻家であり、自作作品が紹介されている本を頂戴する。夕食を頂戴しお暇をする。帰りは俄に雲がかき曇り土砂降りになった。雨が納まったところでデルフトに到着する。マーテンとシャカリンに明日は私がイタリアン料理店に招待する、と申し出た。シャカリンは喜んでデルフトにあるレストランをI Padで検索していた。

【PCの方はエッシャーの「眼の絵」をクリックして拡大してください。瞳の中に何かが見えます。】

侯爵の胸にとまりゐる黄金虫

2012年07月22日(日) 0時04分
6月21日(木)朝食後、マーテン君とデルフト駅に行く。デルフト駅界隈は自転車で思いっ切り溢れていた。兎も角切符の自動販売機の買い方が難しい。窓口ならば簡単ながら販売機は実に小さく外国人には実にややこしい。ロンドンでは日本語訳もあったがここでは無理だ。マーテン君に操作してもらった。デンハーグまで2.20ユーロだった。今日の予定は私一人でデン・ハーグへ行き、4時にエッシャー美術館前でマーテン君と待合せて彼の両親の住むアメスフォートへ行く予定である。デルフト駅で彼と別れた。しばらく待って列車に乗り込んだ。10分程でデン・ハーグ中央駅に着く。一つ手前にデン・ハーグHS駅という駅もあるのでここが注意点である。HS駅に着いたところで乗客の青年に中央駅にも止まるか聞くと「イエス」との返事に安心する。中央駅に到着しハーグ市立美術館行くためにトラム乗場へ向う。17番乗場で御婦人に確認した。皆んな親切である。微笑みながら答えてくれる。但し待ち時間がまだ数十分あるためガイドブック片手に駅前の商店街を歩き回る。地図をながめているとスーツ姿のビジネスマン風の男性が「May I help you?」と手助けを申し込んでくる。私は感謝しながら大丈夫です、と答える。実に気分の良い街である。この街に国会議事堂や政府機関、各国大使館があるまた宮殿もあり、政治の中心地である。街自体に清廉な雰囲気が漂っている。時間は9時半、市立美術館の開館まで30分もあるので歩いて行くことにする。北に向う。ハーグ森林公園を歩く。大きな木の下を赤ん坊を連れた母親が歩いている。エッシャー美術館を確認する。路上では蚤の市が行われていた。エッシャー美術館からの路地はレストラン、土産物、コーヒーショップなどが並んでいる。ゆっくり散策する。また再び来たくなる街だと思う。日本で言えば京都の雰囲気かなとも思う。運河沿いに歩き、1813年広場に行く。フランスに併合されていたが1813年にフランス帝政の崩壊により再び独立する、その記念碑である。

  

そこを左折して平和宮へ向かおうとしたが三角路(私は良く間違ってしまう)でまたもや間違ってしまった。デン・ハーグは北海に面している。空も曇ってきた。以下次回。

  



向日葵は揺らぎてしづか狂ふかな

2012年07月17日(火) 0時51分
三ヶ国国境地点(ドリーランデンプント)からマーストリヒトに到着した。街の雰囲気はベルギー、フランスに近くオランダとは違っている。建物がバロック的であり、しかもダークグレーの重厚な色彩、悪く言えばくすんだ古めかしい色彩をしている。ブリュッセルやパリに似ている。オランダのアムステルダム始め他の都市の色はオレンジ、グリーンなどのカラフルなのだ。マース川畔の光景が美しい。昼食にマルクト広場のカフェテラスを選んだ。kの地の特産はホワイトアスパラガスであり、アスパラガス料理を食べたくなった。私はホワイトアスパラガス入の海鮮料理とベルギービールを注文した。オランダの中ではここマーストリヒトの料理はベルギーの影響を受けて美味であり楽しみにしていた。美味しく堪能した。心も豊かになってきた。
  

街を縦横に散策する。芸術豊かな街で造形物も面白い。マーテン君も「この町が美しくて好きだ。そして食事も美味しい。」と絶賛していた。観光客も多く、高級ブティッグ店が並んでいる。二、三の店に入るが如何せんニーズがない。代わりにデパートに入って弟のために靴下を土産に買う。

 

但し残念だったのは事前勉強を全くしなかったため漫然と散策しただけになってしまった。次回への課題にしておこうと思う。聖セルファース教会前の像も面白かったが由来は知らず仕舞いになってしまった。

  

マーストリヒトを堪能して帰途に着く。途中で白い町の異名を持つトールン(Thorn)に立ち寄る。美しい小さな街である。マーテン君はここに彼のお客さんがいる、と言っていた。更にホワイトアスパラガス畑を見せるとと道を逸れて畑に向う。アスパラガスの栽培は難しく1年目のものは商品にならない。次の年から収穫になること、手入れが大変なこと、その労働にオランダの農夫は自らではなくポーランド人を雇っていること、などの説明をしてくれた。



夕食はブレダ手前のHotel Gilze のレストランで食事をする。流石ホテルのレストランとあって落ち着いた雰囲気である。私は海鮮料理をマーテン君はステーキを食べた。満足しながらデルフトに到着した。明日はいよいよこの度の目的であるデン・ハーグに行くことになる。一人で行くので少し緊張しながらも楽しみにしている。

異郷にてベルギービールの泡を食う

2012年07月16日(月) 0時00分
6月20日(水)はマーストリヒトに行く。マーテン君に無理を言ってしまったと思う。デルフトから車で2時間半の距離であり、ベルギーのブリュッセルよりも遠い。オランダの一番奥に位置している。1992年この地でマーストリヒト条約が結ばれEUへと発展してゆく。古くは古代ローマの都市であり街の雰囲気はどう見てもオランダというよりベルギーの面持ちである。実は私が楽しみにしていたのはマーストリヒトよりも更に奥にあるドリーランデンプント(三ヶ国のポイント)を訪ねることだった。国境というものを実感できない日本人の私はそれを実感してみたかったのだ。デルフトから車でロッテルダム、ドルドレイヒト、ブレダ、ティルブルグ、アイントホーヘン、トールンを経てマーストリヒトからドリーランデンプントへ行く。ほぼオランダを東南方向に横断する。自動車で延々と進む。至るところ牧草地と牛、そして羊、たまに馬が悠々としている。かなたには風車があり街中には教会の尖塔が見える。典型的なオランダの風景がある。ある自動車工場でマーテン君は「ここは三菱自動車の工場だったが最近三菱が手を引いて問題になっている。」とほつんと言った。我々はようやく三ヶ国点に着いた。眼下に三ヶ国の旗が見える。三ヶ国ポイントの基点の下に線が引かれている。右半分がドイツ、左下がベルギー、左上のわずかな部分がオランダである。私はそれぞれ三ヶ国に”滞在”して三枚の写真を撮って貰った。

  

私はこの時ドイツ領に五分程滞在したので、帰国してから友人達、知り合いの方々に「この旅行でオランダに8日間、ベルギーに2日間、そしてドイツに・・5分間、旅行した。」と落ちを付けている。下の写真では展望台、マップ、オランダ最高地点標(海抜322.3m)この後マーストリヒトに向う。
  

この稿次回に続く。

鐘楼に振子ありけり虹の梁

2012年07月13日(金) 23時44分
前回の話だがパスポートを持参せねばならないのは免税店の為ではなく、国境を越えるために常に携帯する必要があるとのことであった。EC域内とは言えやはり国は厳然として存在するということか。政治的独立と経済統一というのは実に難しい選択である。ラテン民族とゲルマン民族は精神的土壌としては楽観主義と悲観主義の相克のようでもある。そんなことをマーテン君、シャカリンさんと夕食後のコーヒータイムに良く話し合った。彼らから見たらギリシャの”放蕩”は腹立たしいものであるらしい。さてアントワープから1時間弱でブリュッセルに到着する。車中からEC委員会本部建物に行く。但し交通渋滞のため降りることができなかったのが残念であった。私の「経済再検索を披露することが出来なかった」と帰宅後話して三人で笑いあった。

  

車を国立銀行近くの駐車場に留め中心街であるグランプラスへ行く。途中、サン・ミッシェル大聖堂が左手に見える。街自体が世界遺産の面持ちである。アントワープはオランダ語圏、ブリュッセルはフランス語圏らしい。マーテン君に言わせると「オランダ語圏の人はフランス語を喋ろうとするがフランス語圏の人はオランダ語を話そうとしない。」らしい。さもありなん。オランダとベルギーとの間のジョーク、小噺というのもなかなかに面白い。オランダ人はベルギー人をアホと言い、ベルギー人はオランダ人をケチと言う。しかし互いに皮肉りながらも楽しみあっている。仲睦まじい兄弟ケンカであって、日本と中国と韓国でこれを当てはめたら大変なことになってしまう。国としての成熟の度合いが欧州とアジアでは相当違う。さて話が逸れたが我々はアイスクリームを頬張りながら小便小僧像に向かった。観光客や地元の人で賑わう通りに子供を抱いた女性が紙コップを持って物乞いしている。悲しげな表情が哀れだ。若く美しい。気になりながら通り過ぎた。小便小僧像は街角に立っている。実に小さいがそれが良い。写真に納めた後に再びグランプラス(Grand Place)に向う。私は2ユーロ硬貨を取り出し先程の物乞いの女性の紙コップに入れると彼女は礼を言いベルをリンと鳴らした。その音を聞いたマーテン君は「何で入れたの?あのジプシーはマフィアと繋がっていて一日2000ユーロ稼ぐよ。あの赤ん坊は別の人の子で△△人だよ。」と責める。実にこの事情に詳しい。私は「確かにそうかもしれないが彼女の状況は幸福ではない。演技であったとしたらその演技に寄付したい。」と強がりを言う。しかしその後「彼女は美人だったし、もし男だったら絶対コインは入れなかった。」と白状した。マーテン君は自分が余計なことを言ってしまった表情で「ごめん」と言った。その後、若い女性二人連れがカタコトの日本語で話し掛けてきた。曰く、「私達はウクライナから来て勉強しています。」そしてやおら持参の箱を開け「勉強の援助のためにウクライナの人形を売っています。」と言う。安かったら買ってやろうと思ったが10cm程の稚拙なマトリューシカを取って「いくら?」と聞くと「30ユーロ。」と言う。アカン、吹っ掛けてきた!で別れた。「もっと安いのがあるよ。」と行ったがもう駄目だ。笑顔で別れた。歴史ある通りであるギャルリー・サン・チュベールを覗いたり、チョコレート店に立ち寄り、チョコレートとヌーガ(私の大好物の菓子)を買った。

   

最後はマグリット美術館へ行く。「Black Magic」「The Return」「The Blaze」「Dominion of light(及び対になった夜のしじま)」など不思議で静謐な画風を堪能した。隣の王立美術館にはデルヴォーの作品が展示してあったが見ないで帰った。夕食はロッテルダム近くの「the place」という食事処で私は海老のボイル、マーテン君はハンバーグを食べた。安くて美味かった。

睡蓮も鎮もり夜の灯かな

2012年07月11日(水) 1時06分
19日(火)はベルギーへ行く。デルフトから車を飛ばして2時間の行程である。マーテン君が「パスポートを持っていくように。」と何度も確認してくる。ベルギーの免税店での買い物の際必要かなと思った。物騒なのでパスポートを持ち歩きたくなかったがしっかり身に付けた。まずアントワープに行くことにする。アントワープは正式には「アントワーペン」と呼ぶ。デルフトからロッテルダムを経て、国境をあっという間に越えてアントワープに着く。ベルギーに入ったとたんオランダと雰囲気が全く変わる。ゴシック調に変わる。パリの街並みに似ていると言えばいいのか。この雰囲気も良い。市庁舎の前の広場にブラボー(古代ローマ兵士の名前)がある。「巨人の手antを切り取って、投げたwerpen」に由来する。
  

広場前に聳え立つノートルダム大聖堂に入る。ご存知ルーベンスの「キリストの降架」をネロの気分になって観るのである。マーテン君に「フランダースの犬」の話をしても、「何?それ?」って感じである。ヨーロッパの人には人気がないし殆んど知らない。日本人の波長には合うがヨーロッパ人にとっては内容が暗すぎる、ということである。ともあれ私はお上りさん気分でルーベンスばかりを写真に納める。「なに?ルーベンスばっかり、おかしい。」とからかわれる。教会の中で日本人一行に出会う。二十人程の日本人の一行。現地日本人ガイドの話を私も紛れて聞く。どうも口調がおかしい。語尾が上がり、フランソワーズ・モレシャンさんの日本語を聞くような錯覚に陥る。この大聖堂はかつてこの町が大いに栄えたことを物語っている。ルーベンスを堪能した。

  

それから香油壺も見事だった。余りの荘厳さに身震いがしてしまった。
  

教会を出て広場のオープンカフェでオムレツとビールで寛ぐ。ベルギーはやはり料理が美味い。フランスの流れを受けている。オランダは家庭料理専門でありゴッホの「馬鈴薯を食べる人々」と全く同じ料理と思えば良い。オムレツに満足し、ベルギービール(これは美味い)でほろ酔いになりながら市庁舎から出てきた新婚夫婦の一団を眺める。(こちらでの結婚式は市庁舎で行われる。下の写真の真ん中、おっちゃんの奥の人々)

  

アントワープに満足してブリッセルに向かった。

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