大分県中津市 中津城

November 22 [Wed], 2017, 7:00
中津城は、黒田如水(官兵衛)が築城し、細川忠興が完成させた城。
その後、奥平家の居城となり、中津藩10万石の藩庁になりました。


中津城模擬天守」。
江戸時代の絵図には天守は描かれていないようで、
この天守は北東隅櫓跡に観光開発を目的に建てられたものです。
奥平時代の中津城には天守がなかったようですが、
黒田時代や細川時代には、天守の記載のある文献もあり、
かつては天守があったものと思われますが、
どのようなものだったのかわかりません。
細川忠興の書状に「小笠原忠真に中津城の天守を譲る」とあり、
天守が小笠原忠真の居城である明石城に移築されたようですが、
明石城にも天守があった形跡がなく、謎となっています。
この模擬天守は、、萩城をモデルとしているらしい。

中津城内には、たくさんの神社があります。

奥平神社」。
戦国時代の奥平家当主奥平貞能奥平信昌奥平家昌を祀る神社。
そんなに大きな社殿ではありませんが、
天守をバックにした不思議な雰囲気の神社です。


中津大神宮」。
伊勢神宮の御分霊を奉斎して建立されたもの。
豊前のお伊勢さま」として親しまれています。


城井神社」。
黒田如水・長政親子と争い、中津城内で誅殺された宇都宮鎮房を祀る神社。
誅殺を悔いたのか長政は、中津城の守護神として鎮房を祀り、
その後、幾度かの変遷の後に、現在の城井神社となって今日に至ります。

その他、鎮房の従臣を祀る「扇城神社」、松の御殿跡に鎮座する「中津神社」、
金刀比羅宮」などの神社が場内にあります。


獨立自尊」碑。
他人に頼ることなく、自らの力で事を行い、
自己の人格・尊厳を保つという意味の福沢諭吉の言葉で、
明治37年、福澤家の意志に沿って建立されたもの。
慶應義塾の基本精神ですね。


西南役中津隊之碑」。
西南戦争で西郷軍に呼応し、中津支庁(中津城跡)を襲撃した後、
西郷軍と合流して城山まで戦った増田宋太郎率いる中津隊の碑。


西南之役中津隊百年祭記念」碑。
中津隊の百年記念祭に当たって建立された歌碑。
隊長増田宋太郎、副隊長楳谷安良の歌を刻んだものです。


大久保麑山先生記念碑」。
大久保麑山は、中津藩士で陣道具奉行三百間砲台守隊長
藩校進修館の助教を歴任した人物で、
廃藩置県後は片端中学校の教師となっています。
晩年、文部省よりその功績が認められ、
特別功労者として六国史及び硯石を賜りました。

中津藩5代藩主奥平昌高は、蘭癖大名で知られており、
ズーフシーボルトなどと交友。
昌高は隠居後も実権を握り、次男で6代藩主の奥平昌暢
五男で7代藩主の奥平昌猷、孫で8代藩主の奥平昌服まで、
強い影響力を持ちました。
8代藩主奥平昌服は、祖父の唱える開国論に反発し、
鎖国攘夷を唱えて対立しています。
昌高が死去すると、家老の奥平壱岐が実権を握りますが、
昌服によって追放され、鎖国攘夷の政策が行われ、
砲台の建設や藩政改革が行われました。

譜代藩である中津藩は、第一次長州征伐で出陣。
しかし第二次長州征伐には不参加でした。
その後は曖昧な態度を取っていましたが、鳥羽伏見の戦い後に恭順。
会津戦争に145名の兵を出しています。



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