福岡県北九州市 小倉城

November 14 [Tue], 2017, 7:00
僕の住んでる場所から一番近い城は小倉城です。
あまりにも身近ですので、わざわざ行くこともなかったのですが、
たまたま近くの商業施設に用があったので、ちょっと寄ってみました。


小倉城天守」。
昭和34年に、鉄筋コンクリート構造で復興再現したもの。
幕長戦争小倉口の戦い(小倉戦争)において、
小倉藩が自焼させたと思っていましたが、
当時は天守は存在していませんでした。

天保8年に、失火によって本丸御殿と共に焼失し、
本丸御殿は立て直されましたが、天守は立て直されず、
天守台には「御三階」と呼ばれた簡易の建築物を建て、
天守の代わりとしていたようです。
どのようなものかはわかりませんが、
多分三階建てのちょっとしただったのでしょう。


内堀をはさんで商業施設(リバーウォーク北九州)が建てられています。
和風な建築物と現代建築物の対比がなんともシュール。

赤坂の戦いを経て、小笠原長行軍目付が本営を引き払った事により、
小倉藩は孤軍の状況におちいったため、
軍議の結果、一旦小倉城を退いて所領の田川郡の要所を固める事にします。
小倉城及び武家屋敷に火が放たれ、城下は灰燼と化しました。

小倉藩兵のいなくなった城下に長州軍が入り残留兵器を検分すると、
洋式の最新兵器ばかりであったらしい。
調査によれば「元来十五万石の大名には不似合の器械、
その他極品を多く持っており、鉄砲弾薬は大概舶来物多し
」となっています。
装備はけして劣っていなかったことが窺えますね。

小倉藩はその後、ゲリラ戦を展開するわけですが、
仮に籠城となっていたらどうなっていたのでしょうか?
1ヶ月位持ちこたえていたならば、幕府の援軍は来たのでしょうか?
状況から察するに、来ないような気もします。
籠城は援軍を期待する戦い方なので、
援軍に期待はできないと踏んだのかもしれませんね。



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