周南市小松原 貞昌寺〜宍戸家墓所

September 13 [Wed], 2017, 7:00
長州藩筆頭家老宍戸家は、毛利元就の中国制覇を助け、
毛利家一門衆として吉川小早川に次ぐ待遇を受けていました。
毛利家の防長減封後もこれに従い、代々家老を努めています。

吉川家は関が原以降の確執から、藩内での発言力を失い、
小早川家は豊臣政権下で独立した為(後に断絶。別家が吉敷毛利)、
宍戸家は必然的に一門筆頭となったわけです。

はじめ佐波郡右田を所領としていましたが、
16代当主宍戸就尚の時代に熊毛郡三丘に知行替えが行われ、
以降は代々三丘領主として幕末に至りました。


周南市小松原周辺(貞昌寺の場所)


貞昌寺山門」。
この場所は、大内氏の三丘嶽城の大手門があった場所。
石垣は大手門の石垣だそうです。

たしかに古城の石垣のような造りですね。
この石垣は「穴太積」と呼ばれる石の積み方で、
近江の石工である穴太衆がここまでやって来て積んだのでしょう。


臨皐赤先生碑」。
不許葷酒入山門の石柱の近くにある石碑。
臨皐赤先生とは誰の事でしょう??調べてもわかりませんでした。


貞昌寺本堂」。
貞昌寺は、家祖である八田知家の四男宍戸家政から、
23代当主宍戸元礼までの650余年の歴代当主の位牌が安置されています。

宍戸家墓所は、貞昌寺境内の西側の小高い場所。

宍戸家墓所」。
ここに宍戸家18代〜23代当主の墓があります。
それ以前の当主の墓は、もう少し北に行った仙竜寺墓所


墓所内。
綺麗に整備されていますが、敷地的にはこじんまりとしています。


文恭院殿鳳褄俊徳大居士」。
幕末前期当主の23代宍戸元礼の墓。
長州藩一門家老福原房純の次男として生まれ、
母方の伯父である22代当主宍戸親朝の末期養子となって宍戸家を相続。
安政2年に隠居して家督を嫡男親基に譲っています。
慶応3年、死去。

幕末後期の当主24代宍戸親基の墓は、ここにはありませんでした。
あとで調べると、熊毛北高校の裏あたりにあるようです。



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