兵庫県姫路市 姫路城

September 01 [Fri], 2017, 7:00
姫路藩の藩庁である姫路城は、
国宝」であり「ユネスコ世界文化遺産」でもある日本を代表する城です。

国宝は良いとして、ロビー活動によって決定される世界遺産については、
僕はとっても胡散臭いなと常々思っているのですが、
世界遺産に登録されることで、外国人観光客が増える訳ですので、
悪い事ではないとは思います。まあ姫路城に関しては、
本当に世界的価値のあるものであることは間違いないでしょう。

日本の城や陣屋の多くが不要であるとして競売・解体される中、
姫路城も競売されますが、そのままにされています。
大きすぎて解体が困難だったという説や、
保存を目的で落札されたという説がありますが、よくわかりません。

その後、姫路城を保存しようという動きが起こって、
明治の大修理」が行われ、保存される事となります。
そして昭和に入って「昭和の大修理」が行われるのですが、
太平洋戦争によって中断。白い姫路城は大変目立つために、
空爆対象となりかねませんでしたが、
黒く染められた網で全体を覆い隠すことで爆撃からのがれます。
終戦後に修理が再開されて、昭和39年に完了。
世界遺産登録を経て、最近完了した「平成の大修理」によって、
現在の純白の容姿となっています。

大手門駐車場に車を止め、姫路城天守閣を目指します。
外国からの旅行者らしき人達が多く、さすが世界遺産といったところでしょうか。

信号待ちで一枚。遠くに天守が見えます。
遠くからなら何度か見てるのですが、近くで見るのは今回が初。


大手門」。
この大手門は江戸時代のものではなく、実は昭和13年に建てられたもので、
当時とは場所も形も違うらしい。
ですが、昭和13年といえば築79年ですので、年期は入ってますね。


で、門をくぐるをドーンと天守閣が見えてみます。
これはテンション上がりますね。


姫路城 連立天守群」。
さすがに美しい。見る価値アリです。
が、中へは入らずに終了。時間がありませんでしたので・・・。

姫路藩は雅楽頭系酒井家が治める15万石譜代藩。
幕末の姫路藩は、勤皇・佐幕に分かれ対立していましたが、
大老にも就任している8代藩主酒井忠績は、
甲子の獄」と呼ばれる勤皇派の粛清を行い、藩論を佐幕に統一。
忠績は慶応3年に隠居しますが、次代の酒井忠惇も老中となり佐幕を継承し、
鳥羽伏見の戦いに臨みますが、敗れて姫路藩は朝敵となってしまいます。
跡を継いだ酒井忠邦は、恭順の姿勢を示して佐幕派家臣を大量処分して、
15万両の献金を行っています。

もし仮に、姫路藩が徹底抗戦の構えを貫いていたならば、
姫路城攻撃が行われ、アームストロング砲などにより、
この美しい天守に無数の穴が開いていたかもしれませんね。



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