周南市富田 新南陽護国神社

July 13 [Thu], 2017, 7:00
新南陽護国神社永源山にあり、
徳山藩の山崎隊の戦死者を招魂する為、
栄源山招魂場として建立されたのがはじまり。
その後、富田招魂社富田護国神社と名称を変え、
現在は新南陽護国神社となっています。

現在、新南陽市が徳山市などと合併して周南市となった為、
この名称も変更されることがあるかもしれませんね。

新南陽護国神社のある永源山は総合公園となっており、
旧新南陽市街や臨海工業地帯が見渡せ、
プールや風車、美術館などもあり、旧新南陽市民の憩いの場となっています。


永源山公園周辺(新南陽護国神社の場所)

公園内で散歩やマラソンをしている人々とすれ違いながら、
新南陽護国神社を目指します。

新南陽護国神社(富田護国神社)」。
きれいに整備・管理されている様子。
元々は永源山山頂にあったようですが、
海軍用地として譲渡を要請された為に現在地に移転。
その際、近隣の町民3000人が労働奉仕したようです。


招魂場碑」。
境内には招魂場の由緒を記した石碑が建てられています。


永源山招魂場」。
社殿の後ろに32柱の招魂墓が並びます。
その他にも折れた招魂墓も置かれていました。
これらは山崎隊士及び献功隊士のものです。

山崎隊は、慶応元年に富田村の庄屋岩崎庄左衛門を賄方として、
富田隊という仮称で創設された部隊で、
山崎八幡宮にちなんで山崎隊と改称されました。
芸州口の戦い小倉口の戦いに参戦し、
戊辰戦争でも徳山藩の主力として箱館戦争まで戦っています。
身分を問わない有志の者で構成されました。

献功隊は、明治元年に朝気隊斥候銃隊武揚隊順祥隊を合併し、
結成された部隊で、17~40歳迄の士族で構成されています。
後の満州軍総参謀長児玉源太郎もこの隊に在籍していました。


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