佐賀県佐賀市 本行寺〜江藤新平の墓所

November 28 [Mon], 2016, 7:00
本行寺は、龍造寺家嫡男であった龍造寺胤家により建立された寺。
胤家はその後家中の対立がもとで出奔してしまい、
家督を継ぐことはなく各地を転々とした人物。
放浪の末に戻ってきたのか、風の便りで死んだことを知った寺が建てたのか、
胤家のものと伝わる墓があります。

また、龍造寺家や鍋島家に仕えた戦国時代から江戸初期の武将で、
江戸や佐賀の治水事業に功のあった成富茂安の墓もあります。
この成富茂安のおこなった治水事業の手腕を耳にした明治天皇は、
その手腕を大いに賞賛し、幕末の志士達と共に従四位を追贈しています。

それと、肥前藩初代藩主鍋島勝茂の四男で、
藩主家親類の白石鍋島家初代鍋島直弘の墓もあります。
これは、一時期成富茂安の養子となっていた直弘の遺言で、
元養父であり師でもあった成富の菩提寺に葬られたようです。

この本行寺には、江藤新平の墓もあります。

本行寺」。
石灯篭が並ぶ参道はなかなかのものです。
この石灯篭を抜けた左手に江藤家の墓所があります。


江藤新平君墓」。
佐賀の乱に敗れた江藤は、各地で武装決起を促しますが、
いずれも受け入れられず、土佐で捕えられ佐賀に送られます。
江藤の手配写真が出回っていたため、速やかに捕えられるわけですが、
この写真手配制度は皮肉にも江藤自身が確立したもので、
江藤本人が被適用者第1号となったのです。
佐賀裁判所にて「除族ノ上、梟首申シ付ル」の判決が下り、
佐賀城二ノ丸にて斬首され、嘉瀬御仕置場で梟首されました。
3日の後に友人であった相良宗蔵が首と胴体を貰い受け、
首と胴体を竹で刺してつなぎ合わせて蓮成寺に葬りました。

そして、江藤を慕う人々が連日墓所に参拝するようになり、
いつのまにか「江藤の墓に参れば、どんな病気でも治る・・」とまで云われる。
その参詣客を目当てに商人達は菓子や果物を境内で売り、
賽銭なども多く集まって蓮成寺はとても繁盛したようです。

その後、縁者らの参詣に都合が良い中心地近くの本行寺に改葬されます。
明治14年の事でした。


江藤家の親族の墓。
右から江藤新平の長男江藤熊太郎、次男の江藤新作、曾孫の江藤小三郎
長男の熊太郎は、23歳の短命で死去しています。
兄の死後に家督を継いだ次男の新作は、衆議院議員で犬養毅の側近。
曾孫の小三郎は、昭和44年に同胞の覚醒を促しす為に、
国会議事堂前でガソリンをかぶって焼身自決した人物。
三島由紀夫もその行動に影響を受けたとされています。

江藤新平の賊徒としての罪名消滅は、明治44年の事。
衆議院で満場一致で可決されたようです。
次男の新作はその前年に亡くなっており、
残された新平の妻千代(79)が皇后より見舞金を下賜されました。

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