長崎県五島市 富江陣屋石蔵

October 04 [Tue], 2016, 7:00
五島列島全域を支配していた福江藩には、
富江藩という支藩がありました。
藩とはいっても、石高は3000石

基本的に「」は1万石以上の大名の支配機構を指しますが、
まれに石高は低くても大名格を与えられ、「藩」場合もあります。
もちろん特殊な事例で、足利家喜連川藩などは、
最大5000石でありながら、元将軍家で源氏長者という格式から、
同じく将軍家で源氏長者であった徳川家に厚遇されました。

富江藩も特殊な事情があり、福江藩3代藩主五島盛次が病弱で、
弟の五島盛清が福江藩の藩政を代行します。
その卓越した政治手腕で時の将軍にも信頼され、
盛次の死去後も嫡子の盛勝が幼少のだったために、
幕府より藩主後見人として引き続き福江藩政の代行を命じられました。
盛勝が元服すると身を引きますが、
それまでの功績から、大名格(高家・交代寄合)として扱われます。


富江陣屋は福江島の南部の富江にありました。
現在は、陣屋敷地内に石蔵が残されています。


富江中学校のグランド付近が富江陣屋のあった場所です。
五島列島の観光名所には、このような標識が建てられていますので、
迷わず探すことができます。列島内に点在する教会群に行くのもわかりやすい。


矢印に従って細い路地を進みます。
右手は草に覆われてはいますが、
福江島特融のこぼれ石の石垣(こぼれ石はこちら)だったようです。


富江藩石蔵」。
100mほど進むと見えてきます。
富江陣屋唯一の現存する遺構。
玄武石で造られたこの石蔵は、年貢米を貯蔵するのに使われました。


中にも入れます。
蔵というよりも、地中海にある要塞の遺跡のよう。


慶応4年、第8代藩主五島盛明の代に、
福江藩と合併して蔵米3000石を支給せよとの命が下り、
これに反発した家臣、領民等が武装して抵抗するという富江騒動が起こりますが、
井上聞多等もわざわざ現地まで出向いて周旋するなどしています。

富江藩では海産物などの運上金などで石高に反して裕福だったようで、
また、福江藩領との漁有権などで度々揉めていましたので、
吸収合併という形に家臣、領民共に合併に反対するのは必然だったことでしょう。


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