奈良県御所市 櫛羅陣屋跡

September 09 [Mon], 2019, 7:00
4代将軍徳川家綱の法要の席で、鳥羽藩主内藤忠勝が、
宮津藩主永井尚長を殺害した増上寺刃傷事件
この事件で下手人の忠勝は切腹となり、鳥羽内藤家は改易
被害者の宮津永井家も喧嘩両成敗によって改易されました。

しかしこの事件は、忠勝が一方的に斬り付けてきたものであり、
酌量の余地があるとして、殺された尚長の弟永井尚圓に家名再興が許され、
大和新庄藩が立藩しています。

元々大和新庄藩の領地である葛上郡周辺は、桑山家の領地でしたが、
別の家綱の法会の席で勅使不敬があったと改易されていました。
※このあたりの話には諸説があります。
以後、大和新庄藩として永井家が葛上郡周辺を治め、
譜代である永井家は定府大名として幕政に参加しました。

8代藩主永井直荘は、藩庁を櫛羅に移して陣屋を建設。
以後、大和新庄藩から櫛羅藩となっています。
この陣屋の移転に関しては、直荘が若年であることから、
先代永井直幹か重臣の主導で行われたものでしょう。

櫛羅陣屋跡」。
櫛羅陣屋は、葛城山の麓の岸野山という丘陵に建てられました。
私有地のようで中には入れませんし、遺構もあまり残っていない様子。しかも雨。
周辺の九品寺や民家に玄関が移築されているようです。

櫛羅に陣屋を移した直荘でしたが、慶応元年に20歳で死去。
跡は高岡藩からの養嗣子永井直哉が継ぎ、藩主として初の領内入りを果たしました。
鳥羽伏見の戦いの後、直哉が上洛して参内。新政府に恭順しています。


〜yaplog!サービス終了に伴いブログを移転致します!〜
ブックマークの変更と共にこれからも「試撃行」を宜しくお願い致します。


↓引っ越し先↓
http://access21-co.xsrv.jp/shigekikou/



Comment
小文字 太字 斜体 下線 取り消し線 左寄せ 中央揃え 右寄せ テキストカラー 絵文字 プレビューON/OFF

不正な自動コメント投稿を防ぐため、チェックボックスにチェックをしてください。

利用規約に同意
 X 
禁止事項とご注意
※本名・メールアドレス・住所・電話番号など、個人が特定できる情報の入力は行わないでください。
「ヤプログ!利用規約 第9条 禁止事項」に該当するコメントは禁止します。
「ヤプログ!利用規約」に同意の上、コメントを送信してください。
Trackback
プロフィール
  • プロフィール画像
  • ニックネーム:kii
  • 性別:男性
  • 誕生日:1973年8月25日
  • 血液型:A型
  • 現住所:山口県
  • 職業:会社員
読者になる
HP「ぬしと朝寝がしてみたい」のオフィシャルブログです。 下関を拠点に史跡をまわったり、幕末・維新に係る記事を書いたりします。
2019年09月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
P R
https://yaplog.jp/shigekikou/index1_0.rdf