奈良県桜井市 芝村陣屋跡

September 01 [Sun], 2019, 7:00
織田有楽斎は、大坂城を出て京都で隠遁する際、自らの所領3万石のうち、
2万石を四男織田長政と五男織田尚長に1万石ずつ分与しました。

そのうち四男長政の系譜は、芝村藩として江戸時代を通じて継続。
五男尚長も柳本藩として続いています。


桜井市立織田小学校」。
芝村陣屋跡は、現在織田小学校の敷地となっています。
陣屋をイメージしたような校舎がなかなか良い。
校名の「織田」はもちろん藩主家から名付けられました。


外壁の石垣は陣屋当時のもの。
もちろん安全のためにコンクリートが流し込まれています。

元々はここから3km南の戒重村に陣屋を構えていましたが、
7代藩主織田輔宜によって移転されました。
移転頃より幕府領9万余石の預かりを任されており、
預かり地の年貢の3%が収入に含まれて財政は潤っています。

しかし、預かり地の徴収を過酷にした為、
預かり地の農民が芝村藩の統治の不満を幕府へ訴え、
稲刈りのストライキを行いました。
※通常五公五民の課税が、七公三民、八公二民であったという。
この事態を重く見た幕府は、ストライキの首謀者を処罰しますが、
芝村藩の不備も指摘して預かり地は全て没収となります(芝村騒動)。

以降より藩財政は困窮し、財政改革を行うも効果なく、
幕末期には膨大な借金を抱えていましたが、
それでも天誅組の乱では、幕府の命によって鎮圧に参加するなど、
一定の功績は挙げていたようです。

幕府が崩壊すると、以前の預かり地統治の実績からか、
新政府より高取藩と共に大和国内の幕府領の取締を命じられますが、
以前の失敗を経験してか、それほど厳しい徴収はされませんでした。


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