奈良県奈良市 芳徳寺〜柳生家墓所

August 24 [Sat], 2019, 7:00
芳徳寺柳生家の菩提寺で、初代藩主柳生宗矩によって開基され、
沢庵宗彭の開山により創建しました。
元々は柳生家の本拠地であった柳生城のあった場所で、
宗矩が父柳生石舟斎の菩提を弔うために建てたものです。


芳徳寺本堂」。
本尊の釈迦三尊像のほか、沢庵和尚や宗矩の坐像が安置されており、
柳生十兵衛三厳筆の「月乃抄」も所蔵されているようです。

本堂の脇を通って柳生一族の墓所へ。

柳生家墓所」。
柳生家の墓所は元々同郷の中宮寺にあったようですが、
芳徳寺の創建に伴ってここに改葬され、
以後は柳生一族の墓地として80基余りの墓石が並びます。


墓所はそれほど広くはありません。
しかも全体的に奥側に寄っている感じ。


西江院殿前但州太守大通宗活大居士」。
初代藩主柳生宗矩の墓。
剣豪として大名となった唯一の人物。
もちろん為政者としての才能もあったようで、
徳川幕府の初代惣目付を務めた他、奉行などの役職もこなしました。
宗矩の「活人剣」の思想は、その後続く太平の世において、
武士に「武士を忘れさせなかった」という功績は大きい。
幕末期の諸外国からの威嚇に、日本が対抗できたのは、
武士階級が戦う事を忘れていなかったからというのが、
大きな要因のひとつではないでしょうか?


長岩院殿金甫宗剛大居士」。
2代柳生三厳の墓。
隻眼の剣豪柳生十兵衛として知られています。
3代将軍徳川家光の小姓でしたが、家光の勘気に触れて蟄居となり、
その後、11年も江戸を離れていました。
この間、国元の柳生帰って兵法の研鑽に明け暮れていたとされ、
また伝説では、諸国を巡って武者修行をしていたとも。
宗矩の死後、所領は遺言によって兄弟で分けられ、
三厳は8300石を相続し、弟の宗冬に4000石が与えられます。
これによって1万石を下回った為に、柳生藩は消滅。
その後、三厳の急死によって断絶となりますが、
宗冬は一旦4000石を返上し、三厳の所領を継ぎました。

その後、宗冬は加増によって大名となり、柳生藩は復活しています。


大機院殿前備州刺史智峯紹転大居士」。
10代藩主柳生俊章の墓(左)と、
陽徳院殿前但州刺史剛巌宗健大居士」。
12代藩主柳生俊順の墓(右)。


大源院殿備州刺史天真紹性居士」。
11代藩主柳生俊能の墓。

江戸後期の柳生藩主の墓は、10〜12代とあるものの、
肝心の幕末期の藩主柳生俊益の墓はここには無い。
東京都練馬区の広徳寺の柳生家墓所にあるようですね。


↓ランキングご協力お願いします。
にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村
Comment
小文字 太字 斜体 下線 取り消し線 左寄せ 中央揃え 右寄せ テキストカラー 絵文字 プレビューON/OFF

不正な自動コメント投稿を防ぐため、チェックボックスにチェックをしてください。

利用規約に同意
 X 
禁止事項とご注意
※本名・メールアドレス・住所・電話番号など、個人が特定できる情報の入力は行わないでください。
「ヤプログ!利用規約 第9条 禁止事項」に該当するコメントは禁止します。
「ヤプログ!利用規約」に同意の上、コメントを送信してください。
Trackback
プロフィール
  • プロフィール画像
  • ニックネーム:kii
  • 性別:男性
  • 誕生日:1973年8月25日
  • 血液型:A型
  • 現住所:山口県
  • 職業:会社員
読者になる
HP「ぬしと朝寝がしてみたい」のオフィシャルブログです。 下関を拠点に史跡をまわったり、幕末・維新に係る記事を書いたりします。
2019年08月
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
P R
https://yaplog.jp/shigekikou/index1_0.rdf