岡山県笠岡市 笠岡代官所跡

August 08 [Thu], 2019, 7:00
備中国笠岡毛利家の支配地域でしたが、
関ケ原の戦いの後に毛利家が長門・周防2国に減封となり、
笠岡は天領となりました。
一時期、福山藩水野家の所領となりますが、
水野家の無嗣改易によって再び天領となり、倉敷代官所の管轄となります。
しかし倉敷代官所の管轄が広範囲に亘ったため、
元禄13年に出張所として笠岡村に出張代官所が設けられました。


笠岡代官所跡」。
現在の笠岡市立笠岡小学校の敷地が、笠岡代官所のあった場所。
この門は笠岡代官所のものでも小田県庁のものでもなく、
旗本戸川家(1500石)の妹尾陣屋の門を移築したもの。


代官所跡」碑。
門の向かって左側にある石碑。
笠岡代官所は、福山藩の代官山木与三左衛門がそのまま代官となり、
備中国西部から備後国南部を支配しましたが、
出張所であったにも関わらず、独自性を持っていたとされます。
特に笠岡代官早川八郎左衛門井戸平左衛門は名代官として知られ、
早川は各地で治績を挙げた他、郷校「敬業館」を創設。
井戸は「芋代官」として知られ、飢饉を芋の栽培を奨励して乗り切っています。


小田縣廳跡」碑。
門の向かって右側にある石碑。
笠岡代官所は、維新後に閉鎖されますが、
廃藩置県の後に第1次府県統合が行われ、
周辺の鴨方県生坂県庭瀬県足守県浅尾県岡田県高梁県成羽県
新見県倉敷県福山県が統合されて深津県が誕生。
県庁は福山に置かれる予定でしたが、
初代の県知事矢野光儀の建議により笠岡に県庁が置かれ、
その後、小田県に改名しました。以後、明治8年まで県庁として機能し、
小田県全域が岡山県に統合されたため小田県庁は廃止しています。


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