岡山県浅口市 鴨方陣屋跡

August 06 [Tue], 2019, 7:00
岡山藩には江戸期を通して3つの支藩がありましたが、
3藩とも藩庁は置かれず、藩主は岡山城下に居住し、
藩名はどれも「岡山新田藩」でした。

3藩のうちの1つは早期に廃藩しましたが、
他の2藩は廃藩置県まで存在し、維新後に藩庁を置いて、
それぞれ「生坂藩(記事はこちら)」、「鴨方藩」となっています。

今回はそのひとつである鴨方藩の陣屋跡を訪問しました。


かもかた町家公園」。
岡山新田藩(鴨方藩)には藩庁が置かれませんでしたが、
年貢や税の徴収を行う御用場が鴨方に設置され、
鴨方と岡山城下を結ぶ鴨方往来と呼ばれる街道が設置され、
岡山藩六官道のひとつとして賑わいを見せていました。
庄屋であり油商も営んでいた旧高戸家の屋敷は、
現在「かもかた町家公園」として整備されています。


鴨方陣屋跡」。
御用場は簡素な代官所のようなものであったと思われますが、
幕末期に陣屋が造営され、後に藩庁となりました。
現在の跡地は、黒住教の教会と長川寺の敷地の一部となっており、
遺構として石垣が残されています。

岡山新田藩(鴨方藩)は、岡山藩3代藩主池田光政の次男池田政言が、
兄で4代藩主の池田綱政より、2万5000石を分与されて立藩し、
以後10代続いていますが、何度も断絶の危機がありました。

6代池田政養の死後、跡を継いだ7代池田政共でしたが、
政共は19歳で早逝してしまい、8代は同母弟の池田政広が継ぎます。
しかし政広は病弱であり、藩政もままならないどころか、
元服まで生きられるかも危ぶまれる状況。
そこで政広の異母弟池田虎吉が政広にすり替わり、
政広となった後に改名して将軍御目見しました。
これが8代藩主池田政善で、本当ならば9代藩主なのですが、
幕府の正式な記録としては8代藩主とされています。

これでとりあえず断絶の危機からは脱したのですが、
その次代にも危機が訪れました。
政善は岡山で死去しますが、幕府への届出は出されませんでした。
世子池田政樹は病弱であり、到底藩主は努められないだろうとされ、
政善が生きていることにして政樹の敗着願を提出し、
縁戚の人吉藩相良家より末期養子を迎え、
そのうえで政善の死亡届を幕府に提出しました。
こうして藩主になったのが9代藩主池田政詮で、
後に岡山藩の最後の藩主池田章政となった人物です。
岡山藩9代藩主池田茂政は、15代将軍徳川慶喜の実弟であり、
慶喜の追討令が新政府から出された際に、
兄を討つに忍びないと隠居した為に、支藩の政詮が宗家を継ぎ、
章政と改名して岡山藩10代藩主となりました。

岡山新田藩(鴨方藩)は、政詮の子池田政保が継ぎ、
維新後に鴨方に藩庁を置いて正式に鴨方藩が立藩しますが、
明治4年の廃藩置県で鴨方藩は消滅し、鴨方県となっています。


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HP「ぬしと朝寝がしてみたい」のオフィシャルブログです。 下関を拠点に史跡をまわったり、幕末・維新に係る記事を書いたりします。
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