山口県山口市 野坂御番所跡

June 18 [Tue], 2019, 7:00
江戸時代には領地と領地の境界には口留番所が設けられ、
領内を出入する人や物資の取り締まりが行われていました。

その藩のご禁制の品を取り締まったり、通行税を徴収しましたが、
藩によってその厳しさは様々。例えば仲の悪い藩同士であれば、
その取締りは厳しくもなるでしょうし、ほとんどスルーというものもありました。

所属する藩や村役人、寺社などが発行する通行手形が必要でしたが、
伊勢参りなどの寺社参拝では無条件にスルーだったりと、
番所役人のさじ加減気味なところも多かったりします。
吉田松陰東北遊学でも手形無しで多くの藩境を越えていますし、
よほどの不審者でなければそこまで厳しくはなかった模様。
混同されがちな関所(これは幕府に指定された検問施設)と比べ、
ずいぶんと緩い取締りであったようで、
イメージ的には交番にお巡りさんが立っているような感じかな?
もちろん相当厳しい御番所もあったでしょうけど。

長州藩津和野藩の藩境にある野坂御番所は、
現在の山口県島根県の県境にありました。
長州藩と津和野藩の仲は良いほうで、藩士交流も盛んに行われていますし、
双方の領民が大量に逃げ出したというような事件もありません。


野坂御番所跡」。
山手には番所の遺構として石垣が残っています。
江戸期を通じて普通の平和な藩境だったようですが、
幕末にはここを長州の軍勢が通行。
いわゆる石州戦争での進軍なわけですが、
もちろん野坂御番所は長州藩の役所ですので普通に通れます。

一方の津和野藩側の番所は国境ではなく城下町に設けられており、
領内に侵攻した長州勢は使者を送って、領内の通行を求めると共に、
津和野藩内に派遣されていた幕府軍目付長谷川久三郎らの引渡しを要求。
津和野藩は領内通行の許可と、長谷川らの引渡しを行っています。


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