宮崎県日向市 富高代官所跡

June 16 [Sun], 2019, 7:00
九州の幕府天領は、西国筋郡代によって支配されていましたが、
その広大な支配地域を管轄する為には、
出張代官所を設ける必要がありました。

豊前国に四日市代官所、天草に天草代官所が置かれ、
日向国には富高代官所が設けられています。


日向市役所」。
富高代官所としてこのあたりに富高陣屋が設けられていたようですが、
当時の遺構はほとんど残っていません。
富高代官所は、臼杵郡5村、那珂郡15村、児湯郡24村、宮崎郡2村、
諸県郡4村の租税の徴収及び司法・行政を行っていました。


幸福神社」。
日向市役所の南側にある神社で、
元々は富岡陣屋の鎮守稲荷として、京都伏見稲荷より分霊され、
陣屋の鬼門除けとしたといわれ、
富高代官所の数少ない名残となっております。
明治元年に周辺の神社と合祀され幸福神社となりました。


富高陣屋跡」。
境内にある跡碑。
富岡陣屋のあった場所は、市役所や神社の周辺と推測できますが、
全く遺構が無いので正確にはよくわかりませんが、
出張代官所の陣屋ですので、規模も大きくなかったと思われます。

幕末に富高代官所が関わる事件として、
寺田屋事件後に起こった薩摩藩による殺害事件があります。
京都で起こった薩摩藩の粛清事件である寺田屋事件では、
薩摩藩士の同志討ちの後、その場にいた他藩の勤皇志士らが投降し、
それぞれの所属の藩に引き渡されますが、引き取り手の無い志士らは、
薩摩藩で引き取るとの名目で惨殺されました。

その中でも田中河内介の甥千葉郁太郎や島原藩士中村主計
秋月藩士海賀宮門は、薩摩藩士から論戦を仕掛けられた末、
決闘と称して日向岬細島で降ろされて惨殺されています。
彼らの遺体は細島の住人黒木庄八が発見し、富高代官所に通報され、
遺体の検死が行われて、所持品から上記の3人と確定されました。
細島には彼らの墓が残っています。

日向国の天領は維新後、新政府の統治下に入って富高県となり、
富高代官書跡は富高県庁となりました。
その後、日田県に編入され、廃藩置県後は延岡県に吸収され、
高鍋県佐土原県と合併して美々津県となり、
美々津から再び富高代官所跡に県庁が移された後、
都城県と合併して宮崎県となっています。


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