大阪府岸和田市 岸和田城

May 19 [Sun], 2019, 7:00
岸和田は僕が以前お世話になった師匠が住んでいた場所で、
何度も南海電車で来ていました。
とはいえ、駅と師匠の家のある五軒屋町の往復のみで、
城があることは知ってはいましたが、行ってみた事はありません。

もう20年位も前の事ですが、あまり変わってない雰囲気。
すでに師匠も故人となっており、師匠宅はギャラリーとなっている様子。
師匠はNHK朝ドラ「カーネーション」のモデルになった人物です。
あまり出来の良い弟子ではありませんでしたが、
僕が独立して店を出した際には、祝福の手紙を頂きました。

さて、思い出話はこれくらいにして岸和田城へ。
岸和田城は、二ノ丸および本丸が公園として整備されており、
市民の憩いの場となっています。

二の丸広場」。
二ノ丸には、藩主が住居及び、政務が行われた二ノ丸御殿がありました。
現在は御殿を模して観光交流センター市民道場心技館が建てられ、
イタリアンレストランもあったりします。


二の丸多聞」。
櫓のようですが公衆トイレです。
「多聞」となっていますが、形状は多聞櫓ではありません。
まあただの公衆トイレにするより雰囲気が出ますね。


大手櫓門」。
岸和田城の本丸は、天守だけでなく櫓や土塀なども造られており、
復興ながら城の雰囲気が完全に再現されています。
特に土塀はしっかり本丸を一周しているのが良い。


岸和田城址碑」。
大手門をくぐると正面に現れる碑。
岸和田城は市民や旧城主岡部氏の寄付によって再建され、
現在の姿となっていますが、当時のデザインには忠実ではないらしい。
とはいえ、そんな事はどうでも良いと思える壮観な雰囲気。
天守以外にも二層櫓が4基と単層の櫓が2基と充実しており、
これ以上、何も必要ない位の本丸です。


岡部氏記念碑」。
13代にわたって岸和田藩を治めた岡部家の碑。
完全な逆光でしたので色々と角度を変えて撮影しました。
朝や夕方の史跡訪問あるあるですね。


本丸跡」。
本丸内は砂庭式枯山水庭園となっており、
諸葛孔明八陣法がモチーフとなっているらしい。
国指定名勝の登録されています。


本丸隅櫓」。
天守だけあったって、周辺の櫓がなけりゃ雰囲気は出ません。
こういう櫓までしっかり配置してこそ、天守が生ききます。


天守」。
復興された現在の天守は、連結式望楼型三層天守で、
当時のものとは違います。
実際は五槽の巨大な天守だったようで、今の天守より10mも高かったという。
でも想像すると、それだけ大きな天守は、
この狭い本丸には合わないような気がしますね。


裏側からの天守。
本丸からの撮影では逆光だったので、裏側に周って撮影しました。

岸和田藩は、豊臣秀吉の母方の叔父小出秀政が、
岸和田城主に封ぜられたことに始まりますが、
関ヶ原の戦いで秀政と嫡男の小出吉政は西軍に属し、
敗将となってしまいます。
ですが、次男の小出秀家が東軍で活躍し、
さらに西軍の長宗我部盛親を石津浦で撃退した為、
その功を徳川家康が重く評価し所領が安堵されました。
その後、3代藩主小出吉英出石藩に転封となり、
代わって丹波篠山藩より松平康重が入封。
2代続いた後、山崎藩に転封しました。
その後、高槻藩より岡部宣勝が入封し、
以後は幕末まで岡部家が岸和田藩を治めています。

岸和田といえば「だんじり祭」です。
この「だんじり祭」は城下の豪商茶屋新右衛門が、
城内にあった牛頭天王社に献灯提灯を掲げたいと藩主に願い出て、
許可されたのが始まりであるとも、
3代藩主岡部長泰が、伏見稲荷大社を岸和田城三ノ丸に勧請し、
五穀豊穣を祈願して行った稲荷祭が始まりであるとも、
疫病退散の祭として町方の人々が始めたのが始まりとも云われます。
とにかく岡部家が統治していた時代に始まったようで、
地車」が猛スピードで角を曲がる「やりまわし」の迫力で知られ、
50万人の観光客がやってくるという。
僕の聞いた話では、岸和田出身の人はこの祭の日は、
仕事を必ず休んじゃうらしい。もちろん全員ではないのでしょうが・・。

幕末の岸和田藩は、海に面していた事もあり、
外国船への警戒を行っています。
また吉田松陰は、嘉永6年に岸和田藩の藩儒相馬九方に面会し、
滞在中に数度、海防策や詩文談などを語り合いました。

藩内では、12代藩主岡部長寛の継嗣をめぐり「岸和田騒動」が勃発。
先代藩主岡部長発の子長職を推す降屋宗兵衛ら佐幕派と、
長寛の実子長美を推す岡部結城ら勤皇派が対立しています。
王政復古の大号令が行われ、諸侯へ京都参内が打診されますが、
長寛は江戸在勤中の為に、岡部結城が無断で名代として参内しました。
これに佐幕派は猛反発し、一触即発の事態となった為、
長寛は急遽帰国し、佐幕派の降屋の意見を取り入れて、
岡部結城を罷免しています。
勤皇派もこれに対抗する為、相馬九方が新政府に訴えますが、
降屋も新政府に岡部結城の非を訴えた為、
新政府は考慮の末に相馬の訴えを退け、継嗣は長職に決定。
佐幕派が勝利するという異例の事態となりますが、
采配したのが新政府であった為に必然的に、新政府への恭順となっています。


↓ランキングご協力お願いします。
にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村
Comment
小文字 太字 斜体 下線 取り消し線 左寄せ 中央揃え 右寄せ テキストカラー 絵文字 プレビューON/OFF

不正な自動コメント投稿を防ぐため、チェックボックスにチェックをしてください。

利用規約に同意
 X 
禁止事項とご注意
※本名・メールアドレス・住所・電話番号など、個人が特定できる情報の入力は行わないでください。
「ヤプログ!利用規約 第9条 禁止事項」に該当するコメントは禁止します。
「ヤプログ!利用規約」に同意の上、コメントを送信してください。
Trackback
プロフィール
  • プロフィール画像
  • ニックネーム:kii
  • 性別:男性
  • 誕生日:1973年8月25日
  • 血液型:A型
  • 現住所:山口県
  • 職業:会社員
読者になる
HP「ぬしと朝寝がしてみたい」のオフィシャルブログです。 下関を拠点に史跡をまわったり、幕末・維新に係る記事を書いたりします。
2019年05月
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
P R
https://yaplog.jp/shigekikou/index1_0.rdf