大阪府大阪市 市内の碑を巡る

May 17 [Fri], 2019, 7:00
大阪での商談時間に余裕があった為、
周辺の碑を巡ってみることにしました。

大阪に住んでいた事がありましたが、
やはり久しぶりに来てみると、大分変わっていました。
もちろん駅前など開発されているのは当たり前ですが、
なにより驚いたのは、地下鉄の運賃が安くなっている事。
市営から民営化されたようですね。

さて、四ツ橋線肥後橋駅より西側。
金光教玉水記念館の脇に頼山陽の誕生地の碑があります。

此付近頼山陽生誕地」碑。
頼山陽は幕末より少し前の思想家で「日本外史」の著者。
後の尊皇攘夷運動に多大な影響を与えた他、
詩、書、画に通じた墨客としても知られています。
安政の大獄で斬首された頼三樹三郎は、頼山陽の三男です。

そのまま西へ進んで、土佐堀通に合流し、
土佐堀通となにわ筋の交差点北東側に長州藩蔵屋敷がありました。

長州藩蔵屋敷跡」。
このあたりは諸藩の蔵屋敷が建ち並んでいた場所で、
国許より送られる米や特産品の貯蔵庫となっていました。
七卿落ちの際、三条実美ら七卿もここを訪れたようです。

土佐堀をさらに西に進み江戸堀フコク生命ビルの隅に、
大村益次郎の下宿していた場所の碑があります。

大村益次郎先生寓地址」。
村田蔵六(大村益次郎)は、弘化3年より緒方洪庵適塾に入門し、
医学、蘭学を学んで塾頭にまで進んでいます。
ここは適塾在学中に下宿していた倉敷屋作衛門の屋敷跡。
とはいえ下宿していたのは少しの間だったようで、
その後、中央区徳井町に借家を借りています。

そうしている間に客先への訪問時間に近づいた為、
そのまま東へ戻って地下鉄を乗り継いで客先で商談。
首尾よく終了して最寄駅の長堀鶴見緑地線松屋町駅から、
松屋町筋を南に下って「ぜんざい屋」があった場所へ。

贈正五位大利鼎吉遭難之地」碑。
ぜんざい屋「石蔵屋」のあった場所で、
店主の石蔵屋政右衛門の本名は本多大内蔵といい、
武者小路家の元家臣で尊攘志士でした。
この政右衛門が脱藩してきた土佐勤王党の残党と匿い、
幕府の拠点であった大坂城の焼打ちを計画していたとされます。

しかし当時大坂に駐屯していた新撰組谷三十郎万太郎兄弟、
正木直太郎高野十郎の4人の隊士が「石蔵屋」を襲撃。
この時はたまたま大利鼎吉と政右衛門だけで、
他の土佐勤王党メンバーは外出中でした。
政右衛門は襲撃をみるや一目散で逃げたした為、
残った大利に対して4人がかりで斬りつけます。
大利はこの4人に対して1人で戦い、
全身に7ヶ所の傷を受けて憤死しました。
襲撃側の新撰組は、正木直太郎が右腕を四寸ほど斬られ、
谷三十郎が足を少々斬られ、万太郎は喉元に傷を負ったという。

実はこの大利鼎吉。池田屋事件でも新撰組と戦っており、
新撰組に襲われたのは2度目
2度目は逃げ切れなかったようですね。


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HP「ぬしと朝寝がしてみたい」のオフィシャルブログです。 下関を拠点に史跡をまわったり、幕末・維新に係る記事を書いたりします。
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