長州藩が山口に藩庁を移転したことにより、
役職のある藩士達も山口に移り住むわけですが、
その藩士達の宿泊所として選ばれた民家のひとつが十朋亭です。
十朋亭は山口で醤油商「亀屋」を営む萬代家の離れで、
藩庁移転後に最初に滞在したのは、周布政之助だったとされます。
その後、高杉晋作の推薦によって明倫館教授となった加藤有麟が滞在し、
久坂玄瑞、来島又兵衛、井上馨、伊藤博文、真木和泉、中村九郎、
桂小五郎、山県有朋、富永有隣、白井多助、坪井九右衛門、
土佐藩士土方久元、津和野藩士福羽美静などなど、
幾多の志士が出入りしたようです。

「十朋亭維新館」。
平成30年9月に十朋亭維新館としてリニューアルオープンし、
志士達が滞在した十朋亭のほか、吉田松陰の実兄杉民治の私塾や、
萬代家の主屋の他、展示室のある十朋亭維新館本館があります。

「十朋亭」。
数々の志士達が訪れた小さな離れが残されています。
京都での政変後、ここで来島、周布らが激論を交わしており、
周布は来島を止める事が出来ず、京都進発へと向かいました。

「十朋亭維新館本館」。
歴史資料の展示や紹介がされているメインの建物で、
スタッフが常駐していて施設の案内をしてくれます。

展示室の様子。
萬代家関連の資料が主でした。

「杉私塾」。
十朋亭の奥には、「杉私塾」と呼ばれる建物があります。
吉田松陰の実兄杉民治は、維新前後にここに滞在しており、
私塾を開いて近所の少年らに学問を教えていたという。
塾に名はなかったようで、現在は「杉私塾」と呼ばれています。
杉民治の山口での様子は市史以外には残されていないようで、
どういう授業であったのか、どんな事を教えていたのかはわかりません。

「萬代家主屋」。
さらに奥には、萬代家の母屋があります。
茶室として明治22年に建てられたもので、
萬代家が屋敷の規模を縮小した際に主屋としました。
幕末の当主萬代利兵衛は勤皇商人として志士達を支援しています。
十朋亭や萬代家の建物は山口の志士達の拠点として使用され、
下関でいうところの白石正一郎の小倉屋のようなものでした。
長州藩は実力100万石と呼ばれ資金も豊富であったでしょうが、
なによりこのような勤皇商人達の水面下の活躍があったからこそ、
明治維新に繋がったともいえますね。
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その藩士達の宿泊所として選ばれた民家のひとつが十朋亭です。
十朋亭は山口で醤油商「亀屋」を営む萬代家の離れで、
藩庁移転後に最初に滞在したのは、周布政之助だったとされます。
その後、高杉晋作の推薦によって明倫館教授となった加藤有麟が滞在し、
久坂玄瑞、来島又兵衛、井上馨、伊藤博文、真木和泉、中村九郎、
桂小五郎、山県有朋、富永有隣、白井多助、坪井九右衛門、
土佐藩士土方久元、津和野藩士福羽美静などなど、
幾多の志士が出入りしたようです。

「十朋亭維新館」。
平成30年9月に十朋亭維新館としてリニューアルオープンし、
志士達が滞在した十朋亭のほか、吉田松陰の実兄杉民治の私塾や、
萬代家の主屋の他、展示室のある十朋亭維新館本館があります。

「十朋亭」。
数々の志士達が訪れた小さな離れが残されています。
京都での政変後、ここで来島、周布らが激論を交わしており、
周布は来島を止める事が出来ず、京都進発へと向かいました。

「十朋亭維新館本館」。
歴史資料の展示や紹介がされているメインの建物で、
スタッフが常駐していて施設の案内をしてくれます。

展示室の様子。
萬代家関連の資料が主でした。

「杉私塾」。
十朋亭の奥には、「杉私塾」と呼ばれる建物があります。
吉田松陰の実兄杉民治は、維新前後にここに滞在しており、
私塾を開いて近所の少年らに学問を教えていたという。
塾に名はなかったようで、現在は「杉私塾」と呼ばれています。
杉民治の山口での様子は市史以外には残されていないようで、
どういう授業であったのか、どんな事を教えていたのかはわかりません。

「萬代家主屋」。
さらに奥には、萬代家の母屋があります。
茶室として明治22年に建てられたもので、
萬代家が屋敷の規模を縮小した際に主屋としました。
幕末の当主萬代利兵衛は勤皇商人として志士達を支援しています。
十朋亭や萬代家の建物は山口の志士達の拠点として使用され、
下関でいうところの白石正一郎の小倉屋のようなものでした。
長州藩は実力100万石と呼ばれ資金も豊富であったでしょうが、
なによりこのような勤皇商人達の水面下の活躍があったからこそ、
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