熊本県宇土市 宇土陣屋跡

September 08 [Sat], 2018, 7:00
宇土藩熊本藩の支藩。
熊本藩2代藩主細川光尚の従兄弟である細川行孝が、
宇土郡、下益城郡3万石を分与されて立藩しました。
明治3年に熊本藩に合併されるまで11代続き、
6代細川斉茲は8代熊本藩主に、
8代細川斉護は11代熊本藩主となっています。


宇土市教育委員会」。
宇土陣屋は宇土市教育委員会の建物周辺にありましたが、
遺構は全く残っていません。


宇土細川藩陣屋跡」。
宇土市教育委員会前に説明板が設置されています。

陣屋跡には見るべきものが無いため、
幕末に架けられ現存しているという「船場の石橋」に行ってみます。

・・・が、橋が無い・・・。
なんと熊本地震により揺みやゆがみが生じた為に、
解体して修理中との事。

ザ!鉄腕DASH!!で観た事のある支保工が近くにありました。
ちゃんと治るんですね。安心です。
「船場の石橋」はピンク色の美しい橋だったそうで、
その姿を拝見できなかったのは残念。

陣屋跡は遺構なし。石橋は解体中。
なんとも残念な訪問となったので、宇土城に行ってみる事にします。

近世宇土城跡」。
実は宇土城は2か所あります。
西岡台という丘陵に築城された「宇土古城」と呼ばれる中世の城と、
戦国時代の小西行長が築城した「近世宇土城」がそれで、
先ほど訪問した宇土陣屋も含めるととてもややこしい。
今回訪問したのは「近世宇土城」で、宇土高等学校の裏手にあり、
宇土城山公園」として整備されています。


小西行長公」像。
公園内には城主であった小西行長の像が建てられていました。
行長はキリシタン大名で、文禄・慶長の役で活躍。
関ヶ原の戦いで西軍として戦い、敗れて捕えられ斬首されています。

行長の死後、宇土城は加藤清正のものとなり、
清正の隠居城として改修が行われましたが、
清正の死により改修は中止され、城は廃城となりました。
熊本城の現存天守宇土櫓は、宇土城の天守を移築したとも、
宇土城の天守を模したものとも云われいます。

幕末の宇土藩には特筆する事件・事項ななく、
宗家の熊本藩に従っていたと思われます。
第二次長州征伐には熊本藩と共に出兵しており、
戊辰戦争では御所の大原口の警備を担当しました。


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