大分県玖珠郡 森陣屋跡

August 18 [Sat], 2018, 7:00
村上水軍三家能島村上家因島村上家来島村上家のうち、
能島村上家と因島村上家は、毛利家に仕えて船手組となっていましたが、
来島村上家当主村上通総豊臣秀吉に仕え、
独立大名として来島城を本拠として、
伊予風早郡1万4000石を与えられていました。
(秀吉が通総を来島と呼んでいた為、姓を「来島」に改めています)

しかし通総は、慶長の役鳴梁海戦で戦死してしまい、
跡目は通総の次男来島長親が継ぎましたが、
関ヶ原の戦いでは西軍に属したため、所領を没収されています。
ですが、妻の伯父福島正則本多正信のとりなしによって再興が許され、
豊後国玖珠郡などを与えられました。

元々水軍であった来島家でしたが、そのほとんどの所領が内陸部であり、
水軍としての来島家は終わりを告げます。
2代藩主来島通春は、姓を「来島」から「久留島」に改め、
以後、明治維新まで久留島家が森藩の藩主として続きました。


大分県玖珠郡玖珠町周辺(森陣屋の場所)


玖珠町立わらべの館」。
森陣屋跡の敷地内にある町立の図書館。
森藩最後の藩主久留島通靖の孫久留島武彦は、童話作家として知られ、
彼にちなんで児童書に特化した図書館となっています。
我が子らと嫁さんをここに残して、僕は森陣屋を散策。
絵本の大好きなみよちゃんはこの図書館が気に入ったようでした。


三島公園」。
森陣屋の跡地は三島公園として整備されています。
三島という名の由来は、陣屋後方の三島神社(現末廣神社)に由来し、
陣屋庭園などが保存され、国の名勝にもなっています。


御殿跡」。
公園内の一段高くなった場所に御殿があったものと思われます。


童話碑」。
公園内の真ん中にある巨大な石碑。
毎年「童話祭」がここで行われているそうで、
玖珠町が童話の町としてかなり力を入れている事が窺えます。


久留島陣屋跡」。
公園の隅にある木製のもので、これ以外に陣屋跡を示すものはありません。


桃太郎誕生像」。
公園内・・というか玖珠町周辺には、沢山の童話の主人公達の像があります。
お世辞にもクオリティが高いとは言えませんが、
まあ、それ相応に何の像かわかる程度でした。


桃太郎像」。
あんまりクオリティの高い像が少ない中、
偉人のような雰囲気の、結構カッコいい桃太郎像もありました。


森藩主久留島通嘉公像」。
8代藩主久留島通嘉の石像です。
上米制や専売制度、運上金の引き上げなどの藩政改革を実行した他、
陣屋を改修して三島神社や庭園を造営しました。


旧久留島氏庭園」。
国の名勝に指定されている陣屋庭園。
8代藩主通嘉が三島神社の造営に合せて整備したもので、
この末広山東傾斜面を利用した御殿庭園の他、
山頂部の栖鳳楼庭園と末広山西側の清水御門御茶屋庭園で構成されています。


御長坂」。
神社として建設されてはいますが、
非常時には山城として機能する三島神社。
参道も山城さながらの造りになっています。


御長坂を登るのは大変そうなので、反対側の参道から三島神社へ。

参道途中に2つの石碑がありました。

園田鷹城先生之碑」。
園田鷹城は森藩の儒学者で、
広瀬淡窓の私塾咸宜園の塾主にもなった人物。


不時$謳カ之碑」。
不時宜先生とは、園田鷹城の兄園田鷹巣の事。
鷹巣も同じく咸宜園で学び、秋月藩の医師に医学も学びました。
嘉永4年、森藩の藩校「修身舎」の教授に任命されるとともに、
自宅に私塾学半舎を開いています。

この不時宜先生は調べても全くわからず、玖珠町教育委員会に連絡すると、
早急に教えてくれました。
この2つの石碑は兄弟の石碑だったんですね。


栖鳳楼」。
三島神社の境内に建てられた茶室ですが、
実は天守として建てられたものとのこと。


末廣神社拝殿」。
来島家が当地に入封する際、氏神である大山祇神社より分霊し、
陣屋内に祀った事に始まる神社。
久留島家は無城大名であった為、城を持つことができず、
三島神社を山城のように大改修しています。
明治6年に末廣神社と改称しました。


清水御門」。
末廣神社の裏手にある門と庭園。
神社の裏門という名目ですが、完全に山城の搦手門です。

幕末の森藩は勤皇志向が強く、11代藩主久留島通胤は、
開国問題や海防に対して諸藩に強く意見を求めるべきであると主張し、
幕府に睨まれています。
そのせいか、安政7年に通胤が死去して家督を継いだ12代藩主久留島通靖は、
慶応2年までお国入りを許されませんでした。
しかし、国内では薩摩藩に接近して早くから藩論が勤皇に統一されており、
大政奉還後、日和見であった豊後諸藩の中で、
唯一上京して恭順の意を示し、日田代官所の警備を任されています。

三島神社を山城の様に改修して、イザという時のために備えた森藩。
結果的にはどこからも攻められる事も無く維新を迎えるわけです。
これを無用の長物と言う人もいますが、僕はそうは思いません。
転ばぬ先の杖というのは、転んだ時用の杖ではなく、
転ばない為の備えで、その備えるという意識が、
幕末期にいち早く藩論を勤皇に統一出来た所以かもしれませんし、
また、水軍出身である為にほとんどの所領が海に面していないにも係らず、
開国問題・海防に対する重要性が理解出来ていたのかもしれません。


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