石川県加賀市 大聖寺陣屋跡

June 12 [Tue], 2018, 7:00
大聖寺藩加賀藩の支藩で、加賀藩2代藩主前田利常が家督を譲る際、
三男の前田利治に、大聖寺7万石が与えられて立藩されました。
同じく次男の前田利次に富山10万石を与えて、富山藩が立藩しています。

大聖寺には、大聖寺城という平山城が建てられていたのですが、
一国一城令により廃城にされており、
陣屋は城のあった錦城山の麓に建てられました。


大聖寺駅を降りてはじめに目につくのが、
古久谷発祥之地」と書かれた大きな塔。
領内の久谷村で良質の陶石が発見された事をきっかけに、
藩士後藤才次郎を有田へ送って技能を習得させ、
藩の殖産政策のひとつとして始められたのが「古久谷」ですが、
約50年後に突然廃窯とされて作られることが無くなりました。

約100年後、加賀藩が京都から青木木米を招き、
金沢の春日山に春日山窯を開かせ、沢山の窯が加賀地方一帯広がります。
これが「再興九谷」で、加賀藩の重要な産業となりました。

維新後、久谷焼は欧米に輸出されるようになり、
西洋の型押技法が用いられ、量産化されるようになります。
これが現在の「新久谷」です。

駅から西に向かい、大聖寺藩前田家の菩提寺である実性院へ。

実性院」。
大聖寺前田家の菩提寺で、寺名の由来は、
初代藩主前田利治の戒名「実性院殿機雲宗用大居士」に因みます。


大聖寺前田家墓所」。
実性院の裏手にある大聖寺前田家の墓所。
大きな木々に囲まれた場所で、初代から14代までの藩主と、
奥方や殉死した家臣の墓が並んでいます。


第十四代 利鬯」。
幕末の藩主14代前田利鬯の墓。
利鬯は加賀藩12代藩主前田斉泰の七男として生まれ、
一門の前田図書家の養子となって家督を継いでいましたが、
兄で三男の大聖寺藩主前田利義が死去し、
続いて五男の前田利行が大聖寺藩主となりますが、
同年に死去してしまい、利鬯が呼び戻されて大聖寺藩を継いでいます。
天狗党の乱禁門の変御所警備、東叡山守備などで功績を挙げ、
佐幕思想を持っていましたが、新政府軍が福井に進出すると、
恭順して北越戦争に290名の兵を送りました。
が趣味だったようで、維新後は素人ながら舞台にも立ったそうです。

実性院を出て北へ向かい、 山ノ下寺院群へ。
山ノ下寺院群とは、熊坂川に沿った7つの寺と1つの神社が並ぶ区域で、
越前との国境付近に意識的に寺社を集めたとされています。

大聖寺藩移築関所門」。
山ノ下寺院群のひとつ宗壽寺にある山門で、
越前国との国境に置かれた関所が、維新後に廃止された際に、
宗壽寺に移築されたとのことです。


大聖寺藩関所址」。
大聖寺藩の成立以前からあった越前国との国境の関所で、
藩の成立後は大聖寺藩が管理し、
通常は大聖寺藩の軽卒が門番として配備されるのみでしたが、
有事には加賀藩兵が派遣されることになっていました。
清水次郎長の一行がこの関所を通った際、
銃器を所持していたので咎められたという話が伝わっています。

関所跡から一旦戻って、熊坂川沿いを北へ。

大手門橋」。
大聖寺陣屋の大手門橋。当時は木製の橋が架かっていました。
陣屋跡は現在、加賀市立錦城小学校となっています。


江沼神社」。
錦城小学校に北側にある神社で、ここも陣屋の敷地内。
3代藩主前田利直の時代に、天満天神社を創建したのがはじまり。
維新後に、藩祖前田利治を祀る松嶋神社を江沼神社と改称し、
天満天神社も合祀され、県社に昇格しました。


江沼神社の境内の庭園は、陣屋時代のもの。
武家庭園として市の文化財に指定されているそうですが、
日本庭園は整備されていないようです。
他にも境内には、藩主の休息所であった長流亭や、
14代藩主前田利鬯の邸宅竹径館もあったようですが、
知らずに未訪問となってしまいました。

錦城小学校の西側へ。
大聖寺陣屋の前身である大聖寺城跡へ

大聖寺城跡」。
大聖寺城は陣屋の裏手にある錦城山にありましたが、
陣屋が建設されてからは、錦城山への入山が禁止された為、
自然回帰しているとはいえ、比較的保存状態が良い城跡となっています。


贋金造りの洞穴」。
北越戦争での弾薬供出を新政府から命じられた大聖寺藩は、
この洞穴の中で贋金を製造したようです。
銀製品を溶かして弐歩金を造り、山城温泉の湯に浸して加工し、
弾薬を供出する資金を得て、無事に弾薬を治める事が出来ましたが、
後に露見し製造責任者であった藩士市橋波江は切腹となっています。
この贋金事件はパトロン事件と呼ばれました。
藩は罪を一身に背負った市橋に報いる為、子息には倍の禄を与えたという事です。


この後、大聖寺城の本丸まで登ったのですが、
何故か何枚も撮ったはずの写真DATAが無くなっていました。残念。

大聖寺藩は9代藩主前田利之の時代に、7万石から10万石に高直しされています。
10万石は諸藩中で最大の陣屋大名であり、
10万石の支藩も富山藩と並んで最大規模でした。
やはり100万石の加賀藩は、支藩もスケールが違いますね。

前記しましたが幕末の大聖寺藩は、
12、13代藩主が相次いで死去しています。
実際には12代利義の死を公表する前に、13代利行も死去しましたので、
大聖寺藩は無嫡断絶の危機となりました。
そこで利行の死を秘匿し、利行の13代襲封を同族である富山藩主前田利聲と、
七日市藩藩主前田利豁が名代として受け、
そのうえで利行の隠居願いを、加賀藩主前田斉泰が幕府に届けるという荒業で、
断絶の危機を乗り切って、14代利鬯を藩主に据えています。
やっぱ困った時には同族ですよね。


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