野火止陣屋

September 07 [Fri], 2018, 1:55
野火止陣屋

『別名』
なし

『所在地』
埼玉県新座市野火止1丁目17付近

『城主』
松平輝貞

『遺構』
土塁

『城郭形態』
陣屋

『駐車場』
なし

『歴史』
野火止陣屋の歴史は、現地の解説板によると
松平信綱は徳川幕府開設以来四代にわたって懸案であった江戸の上水道について、福生市の北の羽村町から小平市を通り、四ッ谷大木戸を経て虎ノ門に至る掘割りを完成させませた。これが玉川上水です。そしてその功労と武蔵野開発を理由に、玉川上水分水の許可を得て、小平市小川町から新座市を経て、志木市の新河岸川に至る約二十五キロメートルの用水を引き、野火止の荒野を潤しました。
野火止用水は、玉川上水の完成した翌年の明暦元(1655)に、当時川越城主であった松平信綱によって、江戸の大消費地に対する武蔵野開発の一貫として、野火止台地開発のために開削された用水路で、開拓農民にとって大切な飲料水であったのです。
川越城主の松平家は信綱・輝綱・信輝と三代続き、元禄7(1694)に信輝が古河転封後は柳沢吉保が川越城主として支配しました。その後、宝永元(1704)に吉保が甲府転封の際に祖先の墳墓の地として、高崎城主松平輝貞(信輝の弟)の三千石分として加増され、再び松平家の知行地になり、平林寺前に陣屋が置かれました。
陣屋は、高崎城主が旧大和田地区の知行のためと、平林寺を守るために武士を住みつかせたものです。
野火止用水は、新座市内に入り四本に分流します。陣屋堀は、陣屋に住む武士の人々の生活水として開削されました。
陣屋堀や平林寺堀は、地形の関係から築堤して用水を引き入れています。築堤は赤土(関東ローム)や黒土・粘土などを交互に積み重ね、固めたところに堀を開削した強固なもので漏水しないよう配慮されています。
との事です。


土塁


解説板


  • URL:https://yaplog.jp/shetland/archive/350
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