<私の正しい判断基準>のページについて>
あくまで私、エゴイナ〜が死ぬまでに役に立てるページとして作成しました。
全世界の人々が注意するべき内容ではなく、人によっては私の反対のことを
注意して判断しないといけないと思います。
ですので、
あくまで私に同感出来る方は賛同して、
全く同感出来ない方はヤジは書き込まないでください。
もっと良い内容にするために協力していただける意味での
修正案は歓迎します。
また、プランクリンプランナーの価値観との関連は以下の
プランナーと付き合いの歴史
をご覧ください。
損、得レベルに収まらない私にとってのページの必要性が理解出来ることと
思われます。
また、価値観を書けて、それできちんと日常を判断出来ている方にはレベルの低い必要性
に見えてしまうかも知れません。
<プランナーとの付き合いの歴史>
■高校3年
高校1年の後半に体調崩して鬱病みたいになってからの身体の障害がまだ続いている。
子供の頃から長年たまに会っていた父のおばあちゃんの葬式があったが、
昔の記憶が消えていて、全く悲しくもなんとも思わなかった。
葬式中も慢性で頭が重くて心臓がドキドキして、具合が悪いほうが困った。
24時間ある苦しみから逃れるために、悲しみも喜びも感じないようにする意識訓練を始めた。
■予備校
ギリギリ卒業した後に予備校を親に奨められた。
勉強なんてする気分で無かったが、予備校で時間をつぶしながら
自己啓発書を探しつづけた。
自分らしく生きずに先生や親に押し付けられたことを自分の判断基準にしていたため、
自分らしくなくなっていたことに気がついた。
鈴木秀子先生のエニアグラムの本でタイプ4であることがわかった。
その後、意識訓練が効いてきて
無感動な代わりに苦しみでもあまりなんとも思わなくなってきた。
そして、夏と秋で7つの習慣とTQを見つけた。
無感動で自分の大切なことすら記憶喪失なため、TQで価値観を決めることは出来なかった。
高校1年の時の目標は言葉としては覚えていたため、
能率手帳として、それを達成することだけをフランクリン・プランナーに求めるようになった。
自己啓発関係で健康増進薬、能力向上用の機器も見付けて
元の自分の能力に戻すために使うようになった。
■学校時代
具合の悪さ、価値観や意思の無さのために受験どころでなく、
希望の大学は行けなかったが、
能率手帳として、予定どうりに任務を遂行することは出来るようになった。
相当に辛いことでも予定に入れたことを何も感じずに出来るようになった。
高校1年の時の目標だけでなく、覚えている範囲で昔の自分が願っていたことを
達成することも日常のミッションとなった。
左脳的な頭の回転では自己啓発用の機器や薬のおかげで
高校1年の自分に近いレベルまで戻ってきた・・・かもしれない。
(高校1年の感覚が記憶に無いので判断しかねるが)
辛いことを何も感じずにこなせる自分+目標を見つけたおかげで
2001年夏〜2002年夏はほぼ0の状態から相当の速度で
ゲームプログラム作業やゲームの企画についての向上、資料集めが出来たと自負している。
それもプランナーに書いたことを何も感じずにロボのように取り組めたことと、
自分用に予定管理ツールを確立できて来たことが大きかったように思う。
(年中ほぼ毎日の朝と昼の決められた時間に鉄棒逆上がり150回、ランニング 4000〜6000M、
腹筋腕立て背筋 150回*3セット、
C++の本の理解&実践+仲間集め+内容決め>ゲーム完成 で 2ヶ月かかったかどうか
C++の本の理解&実践だけなら1ヶ月もかけてないと思う)
この時期に個人コンサルタントの方に出会い、大手のプロですら
期限内にはまず無理な目標に挑んだが、
技術が足り無すぎたのと、目標に見合うレベルのメンバーを集めれなかったこと、
特に目標と目標の達成イメージが明確に繋がっていなかったことが期限以内に達成出来なかった理由。
結局、期限以内に普通のゲームが出来て終わり。
期限が短い目標にしては当時の自分にはあまりに重すぎた・・・
むしろ、プロになってからも含めての長い期限を取るか、
期限を考えずにきちんと目標を固めるべきであったと思う。
自分が無かったため、知り合いに奨められた遊びにそのままはまり、どん底。
リレーのように繋げる目標をいくつか定めておけば、結果がどうであれがんばり続けることが出来たように思う。
プランナーを能率良く&本当に自分のために使うのは難しい・・・
当時としては、A〜CのA課題をほとんど取り組めていたように思う(予定どうりに動けるロボだから)
セミナーを受けれる地域の方はうまく使えているのだろうか・・・