劇作・演出、童話の創作活動の傍ら、人材交流に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

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デリケート・バランス(中) / 2006年08月11日(金)
東京オリンピック後の1960年代後半、大学は学園紛争の渦の中にあった。キャンパスには闘争スローガンの立看板が林立し、校舎はバリケードで封鎖されていた。大学とは何か、体制とは何か、学生は権力とどう対峙すべきか…。学生運動は、フランスの五月革命を含め、若者たちの「異議申し立て」となって、世界的な広がりを見せていた。そうした時代を肌で感じながら、私はアルバイト先と大学の教室と芝居の稽古場をコマネズミのように動き回っている存在だった。
学費は日本育英会の奨学金によって納め、生活費は条件のいいアルバイトで賄うことで、生計を立てた。授業は専門の演劇よりも、むしろ、哲学・歴史学・心理学・経済学・生物学・古典などの教養科目に「大学」を感じた。だが、精神的なエネルギーのほとんどは、演劇活動に注ぎこんだ。早朝の牛乳配達、昼間の受講、夕方から深夜までの稽古(稽古のない日は、劇場通い)。それが一つの生活パターンだった。
少年時代から「まず、どうやって食うか」が頭を占めていた私は、生活の糧を得ることを優先した上で、「生きる自由」を確保しようとした。自分の置かれた経済的環境では、それが最良の選択であり、A「食べること」とB「生きること」との均衡・調和は、私の内部で確固たるものだった。
しかし、その信じて疑わなかった生き方は「ある舞台」を観て大きく揺らぎ、確固たるバランスは崩れ去った。
その舞台とは、7/10のブログ記事「自分の拠って立つ所への愛T(前)」で触れた三好十郎作『炎の人ーゴッホ小伝ー』(文化座公演)だった。今、改めて戯曲を手に取りページを繰っていると、作者の人物に対する深く強い愛情と芸術への厳しい認識が台詞の一つ一つから伝わってくる。
私のそれまでの「確固たるバランス」が崩されたのは、2景の「ハアグの画室」のある場面でだった。






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