劇作・演出、童話の創作活動の傍ら、人材交流に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

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佐野語郎プロフィール

1944(昭和19)年1月23日、神奈川県横須賀市生まれ。
早稲田大学第一文学部文学科演劇専修卒。
劇作家・演出家、童話作家。日本演劇学会会友。演劇ユニット 東京ドラマポケット代表。 主な戯曲に、「街頭のリア王」「ドンキホーテ、森にあらわる」「DIARY―追想●アンネ・フランク」「冥界の三人姉妹」「音楽演劇 オフィーリアのかけら」「Shadows〜シャドウズ〈夏の夜の夢〉に遊ぶ人々〜」「全体演劇 わがジャンヌ、わがお七」「ミニオペラ 悲戀〜ハムレットとオフィーリア」ほか多数。出版に、「まあくん おひるね」「まあくん おしっこ じゃー」(偕成社)、「ほしのこピッカル」(ひさかたチャイルド)、「サンタさんへのてがみ(読み聞かせ えいご えほん5)」(くもん出版)ほか、雑誌掲載多数。 日本演劇学会・研究発表に、「神奈川総合高等学校類型科目『基礎演技』の教育実践」(日本大学)「単位制総合高校における演劇の授業」(関西学院大学)「戯曲にみる聴覚効果と音楽演劇の多層性」(大手前大学)「演技の自立性と舞台制作の実践例」(日本橋学館大学)「演劇ユニットの形成過程と共同体としての特質」(大阪市立大学)「『全体演劇わがジャンヌ、わがお七』の創造過程と上演の意味」(慶應義塾大学)ほか。
わが編著書〜平積みされる新刊本と献本先からの反応 / 2019年09月15日(日)
 発行日2019年8月30日、発売日9月3日。初版3,000部、全国発売。北は北海道から南は沖縄までの主要大型書店に配本された。東京では、三省堂書店本店が演劇書売り場にPOPを掲示して置いてくれていた。八重洲ブックセンターは他の書店同様にオペラコーナーだ。紀伊國屋書店本店の場合、オペラ関係は別館売り場になるので、本館の演劇書コーナーにも置いてくれるように頼んでおいたがどうなるか…。発行:幻冬舎メディアコンサルティング/発売:幻冬舎。
 単行本としては数十年前の児童書以来である。前回は出版社からの依頼、今回は個人出版という違いはあるが、書店に置かれる自著を眺める機会が巡ってきたのは感慨深い。「あとがきに代えて」に次のように書いた。
 …この『雪女とオフィーリア、そしてクローディアス〜東京ミニオペラカンパニーの挑戦』の出版企画に踏み切った理由はこの本の冒頭「はじめに」に書いたが、もう一つ、類書がほとんど無いことにある。たしかに、脚本や楽譜の一部と上演記録を主な内容とする本が売れに売れるという見込みは薄いだろう。しかしだからといって出版に値しないということにはならない。音楽劇の新たな世界、ミニオペラというジャンルの可能性、そうしたことに関心を抱く読者がきっとおられると思うからだ。また、個人出版とはいえ商業出版には、普遍性が問われる。個人を超えた芸術の世界、それを共有する人々の営みや思考がこの本にはある。その普遍性があるとすれば、「書店の一冊」としての価値は確かなものになる。東京ミニオペラカンパニーの公演に参加され素晴らしい舞台を実現させた出演者・演奏家・スタッフの皆さん、この本のために寄稿のペンを執ってくださった方々に感謝申し上げたい。
 個人出版の費用はいわゆる持ち出しだが、多額の出費を負担してもなおそこに意味を見出したからこその出版である。佐野個人を超えて「東京ミニオペラカンパニー」に結集した人たちの営為と各人の思いを残すこと、上記に述べた「音楽劇の新たな世界」を提示することにある。関係者からの喜びの声とともに、献本先からの賛辞が連日のように寄せられている。そのお一人、毛利三彌先生(成城大学名誉教授)は特に有難かった。
 大阪に数日行っていて帰ったら、ご本「雪女とオフィーリア、そしてクローディアス」を頂いていました。ありがとうございます。企画から、ずいぶん早くにできましたね。上演の記録を残すことの重要性は、ギリ研の本を作って、改めて感じています。自分たちだけの問題のように思っていましたが、演劇史にとっての資料の保存はやはり重要なことで、いつどんなときに役立つかわからなくても、あるのとないのとでは、雲泥の差になります。立派なご本になって、このような果敢な挑戦の軌跡を残しておくことができたこと、ご同慶の至りです。おめでとう!そしてもういちどありがとう!※「ギリ研」…東京大学ギリシャ悲劇研究会。
 毛利先生は、『古代ギリシャ 遥かな呼び声にひかれて』(2019年3月/論創社刊)の編者で、かつての東京大学ギリシャ悲劇研究会の活動記録をまとめられたので、この『雪女とオフィーリア、そしてクローディアス〜東京ミニオペラカンパニーの挑戦』に共感を覚えられたのだと思う。
 「出版」というものの広がりと意義を改めて感じている。
 
   
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個人出版の企画と実現〜東京ミニオペラカンパニーの挑戦〜 / 2019年07月30日(火)
 2015年秋「東京ミニオペラカンパニー」というオペラユニットを立ち上げて以来、『悲戀〜ハムレットとオフィーリア』(2016年9月/虎ノ門・JTアートホールアフィニス)、『雪女の恋』(2019年2月/上野・東京文化会館小ホール)と、当初の予定通り公演を実現することができた。代表を引き受けて下さった声楽家の宮部小牧氏(ソプラノ)藪内俊弥氏(バリトン)をはじめとする音楽家の方たちと参集してくださったスタッフの皆さん、そして後援・マネジメント担当東京二期会事務局によるサポートのお陰である。
 今、初めての個人出版(出版費用は著者、製作と広報は出版社、初版3000部の商業出版)の校了を目前にしている。書名は「雪女とオフィーリア、そしてクローディアス 東京ミニオペラカンパニーの挑戦」(幻冬舎ルネッサンス新社/8月刊)。全ての原稿を添付送信し終えたのが先月末、初校ゲラが編集部から送られてきたのが今月中旬、著者校正を経て再校ゲラが届いたのが下旬、更なる著者校正を送ったのが数日前。まもなく最終ゲラ(3校)が送付されるだろうが、それに対するチェックを済ませば「校了」となり、8月末の刊行に向けて印刷所に送られる運びとなる。
この企画について北参道の出版社社屋へ出向いて相談し出版契約を結んだのは昨年夏、まだ『雪女の恋』が稽古に入る前だった。オペラ台本および楽譜はすでに完成していたし、上演記録と寄稿文を加えれば「東京ミニオペラカンパニーの仕事」全容がまとまる。脚本と主な楽譜と舞台写真を含む上演記録、論評とアンケートまでを一冊に収めた本は類書がほとんどないし、「ミニオペラ」という新たなジャンルの紹介という点でも出版価値はあると編集部も判断したようだ。
 順調な滑り出しではあったが、書籍のページ数にかなり余裕があると分かって、新作脚本を加えることにした。長年温めていた「ハムレットの母親と叔父」を主人公にした芝居である。当初は演劇用の戯曲として書く予定だったが、この機会に喜歌劇として構想することにした。王族たちはオペラ、廷臣たちはミュージカル風、民衆たちは演劇(芝居・ソング・ダンス)という三層構造の作品である。
 『雪女の恋』の上演準備と並行して執筆することになったため、思いのほか時間を要した。稽古場の確保とスケジュール作成、公演チラシやポスターの製作、プログラムの編集や様々な連絡事務などに追われ、劇構成を練り上げるのが精いっぱいだった。公演当日に出版案内のチラシを配布したが、書き下ろし脚本『クローディアスなのか、ガートルードなのか』に取り掛かれたのは公演後。脱稿したのは三か月後の6月、刊行時期は大幅に遅れたのである。
 この出版の実現も、公演に参加してくださった方々の協力によるものである。なぜなら、著者執筆の原稿は脚本を中心に書籍全体の二分の一の分量で、残りの半分は寄稿文であり上演記録であるからだ。貴重な一冊を上梓できることに感謝の念で一杯である。
 
   
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新作オペラ『雪女の恋』制作過程11<公演を終えて> / 2019年06月30日(日)
 あちこちからかかるブラボーの声、呼び戻されるように繰り返されるカーテンコール。客席からロビーに出て来られる来場者に挨拶をする。西洋比較演劇研究会の仲間も駆けつけてくれていて、短い会話を交わす。この瞬間、芸術的時間空間を共有できたひと時こそ私にとって大きな歓びである。
 東京文化会館を退館後、徒歩数分の料理店で「打ち上げ」が行われる。心地よい疲労感と解放感を仲間とともに味わうこのひと時が待っているからこそ、半世紀以上も舞台にかかわり続けて来られたといってもよい。

 本番翌日には、東京二期会事務局大門さんからの報告メールが送信される。
入場者数は一般 461 学生22 招待券24
合計 507名 座席数649なので 78.36% 
18:30 開演 (休憩19:31−19:47) 20:50終演
当日券
A 6,000円×5枚=30,000円
B 4,000円×16枚=64,000円
学生 3000円×1枚=3,000円
計 97,000円
月曜日という平日公演としては、上々の入りだそうである。

 当日のアンケート用紙に記入する時間のなかった方から次々とメールによる「感想」が寄せられた。

…あれだけの内容を新たに作り出し、曲をつけ、演奏家や歌い手の皆さんがチームになって仕上げていく過程がどれほどたいへんなものか私には想像できませんが、内容は悲しいものでありながら、心が潤い、豊かになったように感じました。日本の伝説に基づいているのに、雰囲気はギリシャ悲劇のようで、音楽も西洋的な響がして、せりふや動きも精選されている。私はオペラというものを観たことは一度しかありませんが、今回特に男性お二人の発声がとても聞き取りやすくてびっくりしました。衣裳もとても素敵でした。今回一回だけの上演ではもったいないので、これからも何度も再演していただきたいと思います。(Y)
…日本語の台詞、小規模で舞台装置のないシンプルなオペラは私には初体験でそれだけに新鮮でした。公演で何より驚きましたのは演者の方々の歌唱力の素晴らしさで大掛かりな装置のない中、それだけに「ブラボー」の一言でした。シンプルな舞台での演技という点では日本の能に通じる点もあるのではと思いました。オペラにはドイツ在住中には何度も出かけました。私どもが住んでおりましたデュッセルドルフには立派なオペラハウスがありまして市がその運営を補助しておりました関係からチケット代も安かったのです。でも演目はもちろん日本語ではなく、イタリア語やドイツ語でしたので見に行く前には日本から持っていきましたオペラの本で「オベンキョウ」しなければなりませんでした。舞台も大きく装置も大掛かりで登場人物も多く、オーケストラは舞台の客席寄りの低いボックスの中で客席からはほとんど見えませんでした。帰国後も友人に誘われて何度か外国からくるオペラには出かけましたが、それらはいずれも形式は私がドイツで見ましたものと同じでした。このようなわけで昨日のオペラは本当に異質で「見てよかった!」と思います。(G)
…「オペラは、総合芸術である」ということを実感したひと時でした。
日本のオペラを有料で鑑賞するのは初めてのことですが、「雪女の恋」の初演に立ち会うことができたのは、私の音楽人生の中でも記念碑的なことになるのではないかと思います。企画、脚本、作曲、演出、指揮、演奏、歌唱のいずれもが高い技量で力を発揮し、全てが混然一体となって素晴らしい音楽劇となっていました。オーケストラの構成もよかったと思います。幻想的な表現には、やはりフルートはいいですね。
今回の演奏を聴いていて、二重唱や三重唱の美しいハーモニーが、魔笛のそれを思い出させるほどでした。このオペラがスタンダードとなって今後長きに亘って演奏されることを願っています。このような演奏に触れることができて、私自身本当に幸せな時間を過ごすことができました。ありがとうございました。(K)

 このようなお客様からの声に接するとプロデューサーとしての充実感に満たされるし、何より初めて仕事を共にした仲間(指揮者の佐藤啓充氏)から寄せられた言葉―『…新作オペラの初演、良い台本と良い作曲、歌手・合唱・オーケストラ、そしてお客様の感動、すべてが揃うことは本当にまれです。…』―に深い感動を覚えるのだった。

 「東京ミニオペラカンパニー」というオペラユニットを結成した当初の目的が果たせたので、いわば、第一期の活動はこれをもって終了となる。関係者から「再演」の希望も出ているので、第二期の活動がいずれ始まるかもしれない。
 
   
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新作オペラ『雪女の恋』制作過程11<本番/第二幕> / 2019年05月01日(水)
<休憩>後、客席のざわめきが収まったころマエストロが再び登場すると、待ちかねたかのように温かい拍手が送られた。第五場「山の神、恋に裁断を下す『三年目、雪女に戻るべし』」のタクトが振られる。
 ヒトを逃がして命を救い ヒトを慕いお山を捨てる 掟破りは 許されぬ
 わたしは 女 ゆきおんな 恋も命の 雪の精 恋の炎は 消せませぬ  

 命を懸けた妹の 恋の炎は消せませぬ 真の恋なら かなえてあげたい
山の神はこゆきと姉ふぶきの捨て身の訴えを前に、ついに裁断を下す。
 お山と下界は別世界 雪女と里人は異なる命 別れる運命
 人里降りて三年目 月が一夜で欠ける年 天空の満月が新月に変わる夜 里の女の姿は消えて もとの雪女に変わるべし その夜 こゆきは お山に戻る
雷鳴の響きで神の姿は消え、やがて合唱が浮かび上がって、第六場「こゆき、里女小夜になり 弥助と幸せな暮らしを送る」が歌われる。
舞台は大詰め<運命の夜>のクライマックスを迎える。よちよち歩き始めたわが子の手を引きながら登場する主人公。「眠らせ唄」を歌う姿に母の幸せがあふれるが、それもこぼれて消えてゆく。里女小夜となって弥助と結ばれはしたが、三年目「別れる運命」を迎えていたのだ。弥助も気づいていた、女房が実は雪女こゆきであることを。気づいていたが別れが怖くて言い出せなかったのだ。嘆き葛藤する二人。追い詰められた中で、こゆきはつぶやく。そして歌う。弥助もその歌に唱和する。
 掟は掟 運命は変えられない でも 心は心 掟に縛られない
 心は 運命も動かせる
 小夜は消える 運命だから こゆきはお山に帰る 掟だから
 でも わたしと弥助は 別れない
 こゆきの心に 弥助がいる 弥助の心に こゆきがいる
 こゆきと弥助は 変わらず夫婦
 運命を超えて 二人は結ばれる
里女小夜から再び雪女の姿に変わったこゆきと弥助は空間を超えて歌い合う。
 弥助は命を懸けてお山へ来てくれた こゆきは命を懸けて人里へ来てくれた
 嫁になれて 幸せだった 嫁にできて 幸せだった
 いっしょに生きて幸せだった ふたりのいとし子
 お願い 幸せに この手で 幸せに
 お願い 必ず 必ず 幸せに
第七場「『三年目』が訪れ苦悩する二人 人里と山奥、運命を超え愛は貫かれる」はこうして終わり、第八場「人里に舞う雪 山奥にふぶく雪」の合唱が甦り終演となる。
カーテンコールとなった瞬間、『ブラボー!』の声と大きな拍手で会場全体が包まれた。
ソリスト、コーラス、マエストロ、オーケストラ、そして、作曲家と作者も舞台から聴衆の皆さんに黙礼して、無事に公演は幕を閉じることができた。
 
   
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新作オペラ『雪女の恋』制作過程10<本番/第一幕> / 2019年04月12日(金)
 客席の雰囲気は、開演前のロビーの期待感そのままに温かさに満ちていた。照明が落ちて一瞬の静寂が訪れる。登場するマエストロに光が当たり、大きな拍手が送られる。オーケストラメンバー=ピアノ・ヴァイオリン・チェロ・フルート・ハープ=の眼が指揮者のタクトに集まる。オペラ『雪女の恋』のテーマが流れ出す。聴衆はその豊かな音楽の世界に入ってゆく。
 女声コーラスの…雪やこんこん 雪こんこん…の美しい調べに、男声コーラス…山の里には ゆきがふる…が加わり、合唱は大きなうねりとなって会場いっぱいに広がる。第一幕第一場「人里に舞う雪 山奥にふぶく雪」の始まり―合唱は物語の「語り手」である。山の掟<聖なる山を侵す人間を追い払え、命を奪え>が山の神のアリアと雪女姉妹の重唱によって歌われる。
 第二場「雪女こゆき、里の若者弥助と出会う」に移る。主人公こゆきが、山に迷い込んだ里人弥助と出会うが殺せない。『命が惜しくばお山へ来るな!』と逃がしてしまう。『助けてくれて、ありがとう』弥助の澄んだ目が忘れられないこゆき。
 そんな妹に不安を感じる姉ふぶき。恋に落ちれば、山の掟・雪女の務め「人を凍らせ、命を奪う」が果たせなくなるからだ。第三場「こゆき、弥助を思う 姉ふぶき、恋に落ちる妹を思う」である。
 そこへ<凍死>の恐怖に負けずこゆきに会いたい思いに突き動かされた弥助がやってくる。動揺するこゆき。姉の不安が的中しこゆきは恋に落ちる。ふぶきは、妹を守るためにも山の掟に従うためにも、里人弥助を凍死させようとする。こゆきは気を失った弥助の前に飛び出し救おうとする。第四場「弥助、こゆきを求めて現れる 掟をめぐって争う姉と妹」は、こゆきの『わたしは 弥助が大切 雪女 捨てたい!』という悲痛な叫びで終わる。
 後奏のタクトが結ばれ暗転になると、一気に拍手が沸き起こり、<休憩>に入る。
 
   
Posted at 19:30 / 創作活動 / この記事のURL
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新作オペラ『雪女の恋』制作過程9<本番当日開演前> / 2019年04月01日(月)
 ついに“怒涛の一日”が始まる。東京文化会館入館と同時に、制作と舞台スタッフは分刻みのタイムスケジュールで動き始める。地下の楽屋回りと階上の舞台とで同時に作業が進行する。舞台監督の統括の下、ピアノの調律が終わり、美術・照明スタッフの建て込み・シュートが始まる。衣裳・ヘアメイク担当が各部屋で準備する。出演者・演奏家が楽屋入りする…。
 制作担当の私は二期会事務局スタッフと連携しながら、ロビー設営・配布物(プログラム・アンケートほか)の準備に取り掛かる。お昼ごろ、ロビー奥に「ミニ書展」が設置される。今夜上演されるオペラの歌詞が三人の書家によって見事に作品化されたのだ。(この三点の書は、昨秋、上野・東京都美術館「奎星展」で展示されている)

【佐野語郎作『雪女の恋』より】
 星のすべてが こゆきに変わる
  舞い散る雪が 弥助をつつむ  成田誠一
             
 掟は掟 運命は 変えられない
心は心 掟に縛られない
心は 運命も 動かせる    菅田和萌

 月が一夜で欠ける年
天空の満月がたちまち新月に 変わる夜  畠中一美
 
 午後からはゲネプロ。演出家はスコアをもとに照明家と最終的な打合せを済ませる。出演者・演奏家が定位置に着き、指揮者のタクトでスタートする。アンコールの段取りもきちんと行われるので、台本作者としての私も少しだけステージに立って一礼する。
 いよいよ18:00、定刻通り開場となる。当日売りのチケットもかなり出て、小ホールのロビーはお客様でいっぱいになる。開演までの時間を「ミニ書展」を鑑賞したり、「贈り花」に見入ったりして、まもなく始まる音楽劇に期待を寄せている様子がうかがえる。
 
   
Posted at 02:12 / 創作活動 / この記事のURL
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新作オペラ『雪女の恋』制作過程8<会場内の公演広報・衣裳合わせ・通し稽古> / 2019年03月12日(火)
 2月に入り本番まで4週間を切ると、チケット販売の動きが慌ただしくなる。チケット取扱いの「二期会チケットセンター/東京文化会館チケットサービス」への問合せやチケット申込みが活発になるとともに、主催者サイドによる<手売りチケット>も追加の必要が出てきて、制作担当の私も忙しくなる。公演会場の東京文化会館のロビーには大ホール・小ホール催事のラックが設置されており、わが『雪女の恋』のチラシも収められる。続いて壁面には公演間近となったポスターも掲示され、電子パネルには公演情報が掲示される。
 一方、稽古場では稽古の合間に「衣裳合わせ」が行われる。ポスター撮影のために昨年仕上げが済んでいた主役こゆき以外の衣裳が製作されていたのだ。稽古場は、オケ音楽稽古・キャスト稽古・合唱稽古それぞれ別々の施設で進められてきたが、本番の月に入ると、キャストと合唱の合同稽古、そしてオケメンバーがさらに加わった「三者合同稽古」が実施され、本番前日の通し稽古(東京文化会館リハーサル室B)を迎える。
 東京文化会館事務室前の荷物棚には、各音楽団体から配送された段ボール箱がずらっと並んでいる。わが東京ミニオペラカンパニーのものも到着しており、所定の場所に収められている。公演当日に配布されるプログラム・アンケート用紙・関係者出演のコンサートチラシなどだ。
 さて、明日は本番。朝から夜まで怒涛の一日になる。
 
   
Posted at 12:35 / 創作活動 / この記事のURL
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新作オペラ『雪女の恋』制作過程7<キャスト・合唱・オケ音楽稽古> / 2019年01月29日(火)
 稽古場が確定すると、立ち稽古に備えて「模型舞台」が提出される。演出プランに基づき装置家が会場の寸法に合わせ設計した作品で、それによって出演者全員とスタッフおよび広報関係者が舞台のイメージを共有する。
 昨年11月からソリストを対象とする「キャスト稽古」が先行して始まったが、年が明けると<立ち稽古>の段階に入った。それまでの指揮者による歌唱指導およびピアニスト(=作曲家)による演奏に加えて、演出家によるミザンセーヌ(楽譜に沿った舞台の動き)と演技指導がシーンごとに行われる。それらを受けて何度も繰り返されるソリストたちの歌唱と演技。1月も後半になると、暗譜が進みヴォーカルスコアが手から離れる。ソリストたちは「歌手」から「人物」に変わっていく。雪女・里人 ・山の神が歌い動き、稽古場に<雪女の恋の世界>が繰り広げられる。
 コーラスメンバー12名の「合唱稽古」もスタートした。ここでも指揮者とピアニストが指導に当たる。『ゆきやこんこん ゆきこんこん やまのさとには ゆきがふる…』女声の柔らかく美しい合唱が広がり、男声の魅力的な声がわき起こり、混声合唱になって冬山に吹きすさぶ雪の世界がたち現れる。やがて、そこへ劇の人物が現れる…。
あらためて、合唱の美しさ、声楽の魅力を感じさせられるひと時だ。
 そして、小編成オーケストラ5名の「オケ音楽稽古」も始められる。ヴァイオリンとチェロ、フルートにハープ、ピアノが奏でる音楽の豊かさと迫力に圧倒される。後半の七場は、フルートのソロパート「子守唄」から始まる。その温かく優しい音色は、聴衆の心を主人公の内面にゆっくりと導く。フルートが笛なら、ハープは琵琶か琴。あの“流れ下りせり上がる”ような独特なグリッサンド奏法は美しく流麗な響きを醸し出す。
 2月はいよいよ公演を迎える月になる。キャスト・合唱・オーケストラによる「合同稽古」、「通し稽古」、「ゲネプロ」、「本番」へと進んでゆく。
 
   
Posted at 22:34 / 創作活動 / この記事のURL
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新作オペラ『雪女の恋』制作過程6<稽古場の確保> / 2018年12月30日(日)
 東京ミニオペラカンパニーvol.2『雪女の恋』二幕の上演に向けて、徐々にだが着実に態勢づくりが進められている。音楽家・舞台スタッフの理解と協力のお蔭だが、プロデューサーとしては「稽古場の確保」が喫緊の課題である。ソリスト4名・コーラス12名に加えて、指揮者・演出家・オーケストラ5名の日程と時間帯調整は至難の業だが、制作サポートに就いてくださったソリスト藪内俊弥氏の粘り強い尽力によってその「稽古日程」が確定された。今度は制作者の出番である。
 年明けに、立ち稽古・合唱音楽稽古・オケ音楽練習がスタートを切り、合同稽古も控えている。確定された稽古日程に対する「稽古場の確保」は急務となり、都内の施設に電話をかけまくり、予約が取れるとすぐに使用料の支払い・承認書の受け取りに走った。どちらの施設にもピアノがあることや、こちらの条件に合った広さがなければならない。少人数のキャスト稽古、合唱音楽稽古、全体の合同稽古、それぞれ異なる広さが求められるのだ。藪内氏による情報にも助けられ、北区の施設、葛飾区にあるコンサートホールの練習室・リハーサル室、東京文化会館リハーサル室、ほとんどの稽古場を抑えることができた。
 残ったのは、オケ音楽練習用の稽古場である。音楽関係者が利用する施設には、アップライトではあってもピアノはまずあるし、ヴァイオリン・チェロ・フルートは奏者が持参できる。問題は、ハープであった。ハープの備品がある施設はほとんど無い。レンタル業者に依頼する(搬入・設置・搬出も含めて)し、複数回の練習に対応してもらうと、相当の費用が掛かる。いきおい、公共施設以外にも当たるしかなかった。
 そして、「カノン音楽教室(綾瀬)」に行きついた。そこにはハープを教授するスタジオがあり、5人の練習にも十分なホールもあった。ハープの貸与と練習場の使用が同時に可能となったのである。また、教室主宰者がフルート奏者でもあることから、音楽家の利用には理解があり親切な対応をしてくださったので心強い思いだった。
これで、全日程の稽古を進められることになり、安心して年を越せそうである。
 
   
Posted at 20:21 / 創作活動 / この記事のURL
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新作オペラ『雪女の恋』制作過程5<公演案内DMとロビー書展> / 2018年11月30日(金)
 公演チラシが完成すると、印刷物として関係者に配布される。私も300名分のDM発送の準備に取り掛かる。年賀状のやり取りをしている友人・知己たちへの公演案内である。
 今回は案内状に一筆添える必要がある。19歳から始めて半世紀を超える上演活動の大きな節目とするため、また時期的にも年末年始の挨拶も兼ねるので、個人的なメッセージを一人一人に送りたいのだ。一筆とはいえ、言葉を通した会話である。これを数百人に向けて書くのには、一日や二日では無理で一週間は掛かる。投函してからしばらくして通帳(チケット代金の振込先)を開くと、入金額と氏名の印字が確認される。すぐさまチケットを郵送するのだが、その際には会場の座席表も同封する。全指定席にしたため、その方の座席が一目で分かるように印をつける。
 演劇からオペラへとジャンルは移ったが、ライフワークとしての上演活動が「芸術を通した人間の集会」というモットーを胸に抱き続けてきた。かつて「民衆演劇」を世に問うてきた先人たちがいる。ロマン・ロラン『民衆劇論』(大杉栄訳『民衆芸術論』)、ジャン・ヴィラール「国立民衆劇場」、ベルトルト・ブレヒト「叙事詩的演劇」、宮本研(『明治の柩』『ザ・パイロット』『美しきものの伝説』)…学生時代に出会った書籍や舞台、そして戯曲の手ほどきを受けた劇作家から受けた影響は私の上演活動の核になっている。来年2月、ホールのロビーで、人々はどんな語らいをするのだろう。
 さて、ロビーといえば、当日「雪女の恋」にちなんだミニ書展がその一角で催される。「奎星会」の役員を務められている成田誠一氏と門下生お二人の書が展示されるのだ。成田先生には、前回公演の「悲戀〜ハムレットとオフィーリア」の題字をお願いした。『今回、台本にある詞章を素材に書いてみたい』というお言葉を頂き、二行および三行の詩句を三点お送りしたら、すべて作品にする、とのことだった。今月初め、その作品が東京都美術館での「奎星展」に出品された。美しく・たおやか・力強い書たちであった。それらは、別々の展示コーナーに掛けられていたのだが、東京文化会館小ホールのロビーでは、三作がまとまって「雪女の恋」の世界を表出することとなる。ホール内では「歌劇」、ロビーでは「書」によって、人間の魂と美が深く描かれる。
 
   
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卒業50年、早稲田で過ごした二日に思う / 2018年10月27日(土)
 10月19日金曜日夕刻、高田馬場駅から久しぶりに低料金の「早大正門行き」のバスに揺られて、大学のキャンパスに入った。哲学・歴史学・心理学など一般教養科目、演劇史・戯曲研究・演劇概論など専門科目を学んだ文学部キャンパスは徒歩5分ほど離れており、こちらの本部キャンパスには、大学図書館(現・會津八一記念博物館)と坪内博士記念演劇博物館以外の建物にはあまり入らなかった。この日、8号館(現・法学学術院)を初めて訪れた。「オペラ学研究会」の例会に参加するためだった。日本演劇学会分科会西洋比較演劇研究会の仲間で私の上演活動に理解を示される森佳子氏が会の代表者だったことと、今回の新作オペラ公演の宣伝も兼ねてのことだった。
【発表報告】
1. 実際の発表経過
「悲戀〜ハムレットとオフィーリア」に関する話が終わったところで、DVD上映となる。
発表時間の関係上、Prologue『お城で生まれた恋』ホレーシオ・侍女から始めてScene2の後半「オフィーリア『王子さまに、何が…』/ハムレット『生きるか、消えるか』」で止めることになった。参会者からの質問・意見に対応しながら、U「雪女の恋」および新作ミニオペラ制作の現状にも触れて終わる。
2. 例会出席者からの意見と感想
・(DVD上映直後)『今、後悔している。なんでこれを観なかったんだろうって。この公演があることを知っていたら必ず行っていたのに。』
・シェイクスピア劇のオペラはヴェルディをはじめ何人かが挑んでいるが、成功作というものがない。『ハムレット』全体をオペラ化するのではなく、このように、人物を絞って構成する方法があることを知って面白いと思った。
・日本を素材とするオペラは『修善寺物語』などいくつか書かれているが、『夕鶴』だけがヒットしたに過ぎない。それも戯曲のセリフに忠実に対応する作曲になっている。
・演劇畑の方がオペラ台本を書かれ、作曲家と綿密に連絡を取り合いながら作品を練り上げて行かれたというのは、注目に値する。
・他。
 出席者は、代表の森佳子氏(パリ第四大学・音楽学修士/日本大学非常勤講師・文学博士)、会の主導者丸本隆氏(早稲田大学名誉教授)、運営委員の添田里子氏(昭和女子大学名誉教授)、岡田恒雄氏(明星大学教授)、新作オペラ研究者で、少人数だったが充実した会となった。
 ☆閉会後、添田里子さんと旧知の岡田恒雄氏が「雪女の恋」のチケットA席を買い求めてくださった。また、近くのレストラン(高田牧舎)で二次会が開かれ、ざっくばらんな話が広がって楽しい会食となった。
 10月21日日曜日午前、再び「学バス」に揺られて、早大正門前に降り立った。第53回ホームカミングデー、卒業後50年の卒業生としての参加である。25年の際には同期生とも顔を合わせたが、この最後のホームカミングデーはひとり後期高齢者となる身を振り返り感慨にふけることにしていた。記念式典会場は事前の抽選で、私は大隈講堂小講堂の当選となっていた。大講堂で執り行われる檀上の様子をスクリーンで眺めるわけだが、ゆったり座席に腰かけられてのことなので「良し」とすべきなのだろう。「都の西北」を高吟して式典は終わる。
 他の参会者は、三々五々、キャンパス内に立ち並ぶ模擬店へ向かっていった。稲門祭が同時開催されていて、学生諸君が「大大先輩方」に声をかけサークル運営資金の足しにしようという仕組みである。こちらは早々と引き揚げ、東西線早稲田駅から日本橋経由で都営浅草線に乗り換え帰宅した。オペラ公演「雪女の恋」のポスター撮影を翌日午前中に控えていたし、やることが山積していたからである。
 金曜日・日曜日と、母校に帰ったわけだが、演劇科を出て半世紀演劇を続けてきたことが「オペラ学研究会での発表者」につながっているし、健康で過ごしていることが「卒業50年ホームカミングデーの参加者」にもなれたことを思うと、進学が簡単でなかった時代に早稲田に身を置けた幸せ、恩師・先輩方から受けた恩、亡き母の無私の愛が胸に迫ってくるのだった。
 
   
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新作オペラ『雪女の恋』制作過程4<公演チラシとホームページ> / 2018年09月30日(日)
 オペラに限らず、公演準備の重要な仕事の一つに「広報宣伝」がある。観客・聴衆一般に公演内容を知らせ、集客につなげる方法手段である。従来からのアナログ媒体はいわゆる公演チラシ(フライヤー)であり、近年のデジタル媒体はホームページになる。
 チラシは、劇場に置かれたりDMで郵送されたりする一枚の紙である。それは公演日時や会場、公演内容や出演者・スタッフ、チケット取扱い先などを知らせる印刷物なのだが、その目的以外に、その公演に臨む制作者の意図や姿勢、創造される作品世界の表徴が示されている。それだけに、プロデューサーとしては、公演チラシのデザインには神経を使う。そこに、劇世界の入り口があるからだ。
 今回のオペラ『雪女の恋〜ニ幕〜』の場合も、「画面」のイメージ=山奥に降りしきる雪とタイトル文字=書家によるダイナミックな墨痕は決まっていた。題字は知己の島津碧ー氏に依頼し、出来上がった書を持参して「チラシデザイン打合せ」に臨んだ。東京二期会事務局・大門千寿子さんに紹介されたデザイナー・坂本伸二氏は、こちらの意図を理解され、後日、さのオフィスにおいて見せて頂いた作品は見事なものだった。これでお客様を作品世界に案内できると安堵と満足感に浸ったものである。デザインが確定した後は文字原稿の配置やフォントの調整になるが、原稿自体の変更もあり、校了は印刷所への入稿ぎりぎりとなった。
 ホームページ(ウエブサイト)は、ネット社会ならではのツールだ。パソコンやスマホを利用する者にとっては、欠かせない情報の交換の場となる。東京ミニオペラカンパニーもHPのアドレスを持っている。公演チラシにもこのアドレスが掲載されているので動画や静止画・関係者の情報なども発信できるし、アクセスしてくれる方はその情報画面を閲覧しコメント・問合せも寄せられる。ホームページは前回の公演vol.1『悲戀〜ハムレットとオフィーリア(一幕)』(2016虎ノ門JTアートホールアフィニス)の際に立ち上げたが、このサイト制作を担ったのは、高橋早苗さんである。私が以前舞台系講師を務めていた神奈川総合高校の出身で、情報・広告会社勤務の傍ら、こちらの要望をメモに取りそれを画面上にきちんと反映してくださっている。 
 
   
Posted at 10:53 / 創作活動 / この記事のURL
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新作オペラ『雪女の恋』制作過程3<楽譜と台本> / 2018年08月27日(月)
 作曲家とのやり取りによって脚本としての確定稿は上がったが、それを基にスコアの仕上げに掛かる過程で、音楽上また歌唱上の条件から書かれている詞の一字一句通りには行かなくなり、作曲家によって、助詞の変更や詞の一部削除や修正がなされる。それがある程度進んだ段階で「譜面と詞との摺り合わせ」が必要となり、それを経て完成台本と楽譜が確定されるのだ。

 7月11日「台本と楽譜の摺り合わせ会合」が持たれた。台本作者と作曲者の他に、この会合をリードするオペラ演出家およびソリスト代表が参加した。原詞と符合していない各小節の点検、意見交換による修正、そして確定。それを譜面の1ページずつに対して行うので、かなりの時間を要する。
 7月17日上演台本の完成。演出家とのやり取りによって、詞自体の字句のみでなく、表記・形式の統一までがなされた。確認のため、作曲家に「完成台本」を添付送信する。
 7月27日楽譜(ヴォーカルスコア)の完成。同時に、台本(45ページ両面A4横組み)および楽譜(212ページ両面縦組み)が簡易印刷に回される。

 8月4日馬込オフィスに台本・楽譜各70部が配送される。ソリスト・舞台スタッフにレターパックで順次発送する。

 台本・楽譜は、11月から始まる稽古までに、混声合唱メンバーや演奏家(+伴奏譜面)はじめ関係者にも渡されることになる。
 9月には公演チラシの印刷と納品、10月1日チケット発売日と予定はめじろ押しだが、その準備は着実に進められている。
 東京ミニオペラカンパニーvol.2『雪女の恋〜ニ幕〜』公演日は、来年の2月25日(月)開演18:30、上野・東京文化会館小ホールである。
 
   
Posted at 17:51 / 創作活動 / この記事のURL
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窓外の風景〜大ガラス一枚隔てた静寂 / 2018年07月29日(日)
 芸術のために、創作するために、生きる人生――生きるためには、暮らしてゆくためには、仕事に勤しまなければならない。無名の演劇人にもリーダーとしての責任があり、生活者としての老人にも現実をしのぎ切るエネルギーが求められる。
 鳥が止まり木で羽を休めるように、束の間の休息に身を置くことがある。一人だけのエアポケットのような時間だ。新宿の街外れの蕎麦屋。座る席はいつも決まって往来に面した窓側の一角。先ほどまでのざわめきが嘘のように遠のいて、窓外の雑踏は行きかう人々や車たちの無声映画に変わる。都会で味わえる静寂と安らぎ、それを与えてくれるのが、店内と街頭を仕切る一枚の大ガラスなのだ。注文するのは、のどを潤す一杯のビール。ざるそばと天ぷら。そして1合瓶の熱燗。
 銀座・三原橋近くの古いビルの二階にイワシ料理の居酒屋があった。庶民には優しい値段で魚と酒が楽しめた。その晴海通りに面した窓外の風景も格別だった。夜のしじまを流れる人波と車の光…大ガラス一枚がもたらす趣のある映像と心の安らぎ。ああ、それが無くなってしまっていたのだ。跡地には工事中のがれきの山だけが残されていた。その日、居場所を一つ失った心持になって中央通りに戻り新橋方面に向かった。銀座八丁目まで来たとき、『そうだ、あの頃(19〜20歳・貿易会社勤務)も見ていたこの目抜き通りを見下ろしながら一杯やろう!』と、天ぷら屋に入った。夕食時間には少し早かったっが、「涼風御膳」なるものを頼み、ひとときの贅沢を味わった。料理そのものは、蕎麦にしろこの老舗の天ぷらにしろ特段上等なものではないが、窓外の風景を眺めながらの食事は贅沢なものであるに違いない。
 渋谷は、ハチ公銅像近くのホテル内のカフェである。時おり息子二人と食事をともにするのだが、待ち合わせ場所に長男が指定したのがここだった。先日、改めて立ち寄ったら、運よく窓側のカウンター席が空いていた。例によって生ビールをゴクリとやった。小腹が空いていたので小さなピザを注文した。都会の雑踏と言えば当世は渋谷のスクランブル交差点だろう。世の中の慌ただしさを窓越しに眺めながら、この日も日頃の疲れを癒してくれる「静寂」に身を置いていた。明日から再び演劇人として、生活者として生きるスイッチを切り替えられるように。
 
   
Posted at 19:46 / 随想 / この記事のURL
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演劇批評の場を支え続ける〜斎藤偕子・毛利三彌教授の実践〜 / 2018年06月29日(金)
 早稲田大学文学部へ進学したのは、演劇理論や演劇史を学ぶためだった。高校時代、そして、卒業後3年間羽田空港で肉体労働に従事しながら私は演劇活動に身を投じていたので、演劇の実際については自らの経験の積み重ねによって会得しようと考えていた。その1965年以降の激動の数十年は、翻訳劇や創作劇の公演を横須賀・横浜・東京で主催していたのだが、改めて演劇に関する理論面での刺激が欲しくなっていた。
 ちょうどその頃、知遇を得た毛利先生から「西洋比較演劇研究会(日本演劇学会分科会)」へのお誘いがあった。私は、渡りに船で、月1回の例会に参加させていただくようになった。会場は、成城大学の会議室で、成城の毛利先生と慶応義塾の斎藤先生を中心に、豊かな知見を持った教授たちが見守る中、若手の演劇研究者たちが活発な議論を展開していた。そこは私にとって「第二の大学」となり、新たな人脈作りと交流の場となったのである。
 現在の「西洋比較演劇研究会」は、当時の若手が今は中堅となって運営されているが、毛利先生と齋藤先生の信頼厚いタッグは今も力強く組まれている。去る6月18日、成城大学で「AMDの会」が開催された。この会は「西洋比較演劇研究会」の前身で、演劇研究論文・翻訳・舞台の合評とシンポジウムなどを機関誌に掲載していたのだが、その足跡をまとめた本が出版された。「演劇を問う、批評を問う―ある演劇研究集団の試み」平井正子(※成城大学名誉教授)編・論創社刊、帯に「斎藤偕子傘寿記念出版」とある。「AMDの会」は、<モダン・ドラマの会>で、大学人ばかりでなく演出家や俳優、舞台スタッフなど演劇人も参加してその時々の舞台の批評をする場となっていたようだ。上掲の本の巻頭言で毛利先生は次のように述べている。
 …演劇上演の成立に観客が不可欠要素であると言いながら、…世に行われている演劇批評では、集合的な観客の反応/批評が具体的に示されることは稀で、それが批評家の意識に登ることさえ滅多にない。舞台に対する複数観客の集合的批評は、通常の、一人の批評家の反応を記す演劇批評とはまったく異なるものとなるに違いないが、たとえば、観客間で対立する反応がされたとき、それを上演後の批評として公にするにはどうすればいいか。…<AMD>や西洋比較演劇研究会の例会では、舞台合評や、特別な主題による討論会をしばしば開催したが、そこでは沸騰した議論の見られるのが常であった。そして、それをいつも先導していたのは斎藤さんで、彼女が、特に演劇批評のあり方に関心を持っていたのは、演劇研究者として大学で教える傍ら、著名な演劇批評家として健筆をふるっていたことから、当然であるとも言えるだろう。…
 ところで、「AMDの会」は久しぶりに再開され、先日の会では、翻訳家・演出家の石澤秀二氏<劇作家・田中千禾夫をめぐって>を柱に、演劇現場に身を置く人や大学教員たちの活発な意見が飛び交い、会の終了後は、飲み物と軽食を楽しみながら交流と語らいが続けられた。かつての演劇青年たちの髪にも白いものが混じってきたが、次回のテーマについて熱い発言が止まることはなかった。
 
   
Posted at 17:33 / 日本演劇学会 / この記事のURL
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シルバーパスは銀色に輝く〜明日への責任があって〜 / 2018年05月31日(木)
 70歳を迎えたある日、バスの車内広告で「東京都シルバーパス」を知った。70歳以上の都民で一定限度以上の収入がある者は、2万510円納入すれば交付される。都営地下鉄(浅草線・三田線・大江戸線・新宿線)は全線フリー、都内を走るバス(都営・民間)も1年間乗り放題だ。バスに乗車する際、このパスを運転士に提示する高齢者をよく見かけるようになった、かく言う私もそのご同僚である。
 50年前高度経済成長期、友人たちは大会社・中堅企業の戦士として働き通し定年を迎えて、現在は老後をゆったり過ごしている。あくせく外出する必要もないので、「パス」を購入するには及ばないだろう。しかし、演劇をライフワークに選んだ変わり者には退職金もなければ年金は雀の涙、生活は極めて不安定である。毎日のように都内をあちこちと動き回って「掛け持ち非常勤講師」を務めなければならない。いきおい交通費もばかにならない。加えてその行動範囲をカバーする交通機関の50%以上は都営地下鉄とバスということもあって、購入金額2万510円を軽く超える年間利用率となるのは必然。動き回る爺様にはうってつけの「パス」なのである。
 住まいおよび事務所から徒歩1,2分、都営浅草線の馬込駅と東急バスのバス停「馬込駅前」がある。車を持たない身ゆえにこれまでも駅の近くを居住条件としてきたが、老体には優しい距離だ。
 都営浅草線は、五反田・泉岳寺・新橋・東銀座・日本橋・浅草橋など、ほとんど毎日のように利用する。JR山手線に乗り換え、渋谷・新宿・高田馬場・池袋・西日暮里・錦糸町などで下車する。また、神保町に出掛ける際に利用する三田線をはじめ、大江戸線・新宿線もスポット的に利用する。都営地下鉄と並んで、バスも日常的な「足」だ。五反田駅前のスーパーで食材を買い込むと、すぐに始発バス停の東急バスに乗り込み10分、馬込駅前で降りる。雨模様でも傘なしで帰宅できる。都営バスも例えば新橋駅前から国立国会図書館へ往復する際に便利だ。新橋駅からは都営浅草線に連絡しているので、シルバーバスは「水戸ご老公の印籠」となる。
 昨年9月に更新して9か月経ち、「パス」は利用頻度数の高さのために薄汚れてきた。しかし、芝居バカの老人を生き生きさせるために「わが友」は銀色に輝いているのだ。 人間は、他者から求められる存在でなくなればその存在を失う。分刻みの生活については議論があるところだろうが、明日への責任がある状況は社会的レーゾンデートルを保証していることにもなる。そして「明日への責任」には、具体的に翌日に予定がある、というだけでなく、自分たちの亡きあと、それに続く人たちへの責任がある、という二つの意味があるだろう。
 
   
Posted at 03:47 / 随想 / この記事のURL
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新作オペラ『雪女の恋』制作過程2<脚本A> / 2018年04月30日(月)
 私の演劇上演には音楽が欠かせない。もちろん演劇の中心は俳優の演技であるが、演劇作品全体に占める音楽の位置は重要でしかも大きな存在だ。近年上演した「音楽演劇」「全体演劇」という冠が付いた劇作品では、劇世界を開き登場人物を操る「神」の役割や、中世のフランス北東部と近世江戸との往還、その時間と空間を変転させる働きを担っている。しかし、それらは劇を動かす働きはしても、あくまでも俳優の演技の外側に位置する存在であった。
 東京ミニオペラカンパニーvol.2『雪女の恋〜ニ幕〜』は、ストレートプレイではなく、オペラ作品である。つまり、俳優から歌手へセリフから歌唱へと表現の主体が変わるとともに全編に音楽が流れることになる。演劇では外側にあった音楽が、歌劇では内側というよりど真ん中に存在することになる。
 オペラは、演劇ではなくクラシック音楽の範疇に分類されている。私は演劇人であり、また音楽界に身を置いたこともないので、クラシック音楽の構造や表現に対しては不案内だ。そのため、新作を手掛けるにあたっては、作曲家の全面的な協力を仰がねばならない。
 構想から2年、書き上げた第一稿は一応オペラ脚本の体裁にはなっている。付曲されることを前提としているため、散文ではなく韻文で、セリフではなく歌詞で…厳密な押韻ではなくとも…書かれている。また、「始め・中・終わり」のドラマも内蔵している。しかしそれは作曲家の眼から見ると、劇形式ではあっても音楽表現の構造にはなっていなかったようだ。
 私がドラマを構想するとき劇中劇の構造になることが多い。ギリシャ古典劇で生まれた「コロス(舞唱団)」が物語る世界が入れ子細工のようになって主要人物が登場したり、主人公の幻想が過去の現実を呼び寄せたりする。今回の『雪女の恋〜ニ幕〜』も、混声合唱団が昔話の世界を開き、雪の精と人間のドラマを進める役割を担っている。当初、この「合唱」に演劇の<群読>表現を用い、(劇中劇としての)アリアや重唱と対比させようとした。しかし、演劇の<語り>と音楽の歌唱表現とのつながりは音楽構成の流れにおいて問題があり、劇中劇の構造は生かしながらも最終的には「合唱」は<群読>ではなく<男声/女声/合唱>という声楽表現に落ち着くこととなった。
 また、演劇では必要最小限のセリフで進めるが、音楽では構成上同じ言葉=歌詞がリフレインされることが一般的だ。しかし同時に、ある曲が後になって繰り返されることは少ない。その場面で同じメロディが流れる必然性がある場合に限られる。雪女の姉妹が相手に念を押すような歌詞(前の場面にも出てきた)などは省かれることになった。昨年から今年にかけて細部の修正を合わせると、決定稿まで八稿を数えただろう。
 作曲家・鳥井俊之氏は、辛抱強く私の意図をくみ取って作曲に当たられ、なんとか上演可能なオペラ脚本(=リブレット)になるまで導いてくださった。
 
   
Posted at 21:26 / 創作活動 / この記事のURL
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新作オペラ『雪女の恋』制作過程1<脚本@> / 2018年03月10日(土)
 古代に始まる「叙情詩・叙事詩・劇詩」の文芸分野は、時代が下ると「詩」「小説」「戯曲」となって独自のフィールドを形成していくが、詩人が小説を書き、小説家が戯曲を、劇作家が詩を書くことは洋の東西を問わず珍しいことではない。わが日本でも島崎藤村(詩→小説)、三島由紀夫(小説/戯曲)、三好十郎(詩→戯曲)らは自らのその時の創作欲に応じた表現ジャンルを選んでいる。
 筆者も三十代に童話創作に打ち込んだ時期があったが、二十代から今日まで継続してきたのは演劇であり、その上演活動の中で劇作と演出を担ってきた。そして、数年前にオペラ関係者との出会いがあったことで、舞台劇から歌劇に創作の場をシフトすることになった。
 戯曲は文学であるが、演劇という劇場芸術においては脚本と呼ばれ俳優の手に渡るときには台本となる。そこに書かれた人物の対話(=台詞)は俳優の演技表現の基になるものだが、歌劇では脚本はリブレットとも呼ばれ、台詞ならぬ歌詞およびその詞に付曲された楽譜によってオペラ歌手は歌い演じることになる。いきおい文学的要素より音楽的要素の比重がはるかに大きくなる。必然的に、オペラの創作においては、脚本家は作曲家との協働作業を求められることにもなるので、舞台劇脚本における自分一人の創作作業とは異なるものとなる。
 日本の創作オペラの代表作に『オペラ 夕鶴』(作:木下順二/作曲:團伊玖磨)があるが、これは舞台劇『夕鶴』で音楽を担当した團伊玖磨による戯曲のオペラ化である。戦後の名作劇だったこともあり、劇の台詞を最大限に尊重しつつ作曲した苦労は並大抵ではなかったろう。「オペラ『夕鶴』の15年」團伊玖磨〜1966年2月12日東京文化会館・上演プログラム)筆者にとって、主人公つうを演じた伊藤京子の美しさとリリック・ソプラノの歌唱の豊かさは印象的だったが、写実的なことばをベルカント唱法で聴くことに違和感を覚えたのも事実だった。「どんなことばも、みんなうたってしまう不自然さ」が、《夕鶴》のなかにはある。(「夕鶴の音楽」木村重雄〜同上プログラム)
 さて、筆者が今回書き上げた『雪女の恋〜ニ幕〜』は、当初からオペラ脚本として創作された作品である。したがって、そこに書かれた言葉はセリフではなく、ソリストの独唱(詠唱)や重唱および混声合唱団のコーラスのための「詞」である。つまり、付曲されることを前提として考えられた言葉になる。『オペラ 夕鶴』の場合と違って、作曲家とのやり取りを繰り返しながら脚本の執筆を進めることになるわけだが、まず始めの第一稿は、脚本家サイドだけによる創作だ。
 「雪女」を題材にした音楽劇を構想したのは数年前になる。東京ミニオペラカンバニ―vol.1『悲戀〜ハムレットとオフィーリア(一幕)』と並行するように、次回公演の作品として下準備を始めた。「雪女」に関する民話・伝説の資料を国立国会図書館に何度か出向いて数十冊の書籍から該当ページのコピーを取り、それを物語の構成別・内容別に分類し、その中から適切なものを絞り込んでいった。それはイソップ寓話と同様に「〇〇と△△が出会って、〜なった」という程度の骨組みだけのエピソードである。これを念頭に置きながらも、まったく新しい作品世界を構築しなけらばならないと同時に、前回の公演に出演したソリスト4名に充てた役を設定するという「座付け作者」およびプロデューサーとしての創作上の前提も必須条件だ。
 基礎資料の整理後は、オリジナル作品としてのエピソードの列挙や劇としてのプロット立てに取り掛かる。新鮮な発想や印象的な場面を生み出すには、書斎を出て非日常的な時間・空間に身を置くことが望ましい。毎月、近場の温泉宿に一人一泊旅。深夜に起き出してパソコンに向かい、車内書斎として往復のグリーン車内を利用して執筆する。
さて、なんとか第一稿を脱稿したら、すぐさま作曲家へ郵送する。それからが「劇脚本」が「オペラ脚本」へ変わっていく道程である。
 
   
Posted at 20:14 / 創作活動 / この記事のURL
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(続)超個人的「一泊一人旅」の研究 / 2018年02月06日(火)
 前回の「超個人的「一泊一人旅」の研究」(ブログ掲載<随想>2016年11月20日)に引き続いての第二弾である。
 住居や仕事場を離れて温泉場で過ごす時間は贅沢なものだが、私の場合は、大方は「仕事」が目的である。近代以降の大作家先生のように定宿にて連泊し大傑作を書き上げるというのではなく、一泊のささやかな投宿ではあるけれど、気分転換以上のものにはなっている。取り掛かっている創作上のメモや担当する朗読講座のプランを書き残すのだ。それは、眠りが覚めた真夜中に起き出してPCに向かったり、東京への帰路、特急列車やグリーン車座席の小テーブル上でタブレットの「メモ帳」に記入したり、いわば動く書斎として利用している。
 最近はひと月に1回は出かけるペース。もちろん経済的に余裕があるわけではないので、出費は15,000程度となる。遠い地域だと往復の交通費がかかるので、いきおい箱根・湯河原・熱海が多くなる。これまでは「伊東園ホテルズグループ」「ルートインホテルズグループ」「四季倶楽部グループ」の系列施設を利用してきたが、今年に入って新たに「箱根一の湯グループ」を続けて2回利用することになった。
 キッカケは、昨年の情報番組で老舗を蘇らせる若手経営者が紹介されていて興味を持ったことにある。寛永七年創業というこの旅館を塔ノ沢から仙石原・元箱根へと全7店まで発展させ、次々と開店した店は全て現代的な建物にしリーズナブルな料金でカップル・家族連れ・一人旅にも提供している。
 先月は、「塔ノ沢キャトルセゾン」を利用した。箱根湯本から温泉組合運営の周遊バスを利用すれば100円10分ほどで到着する(帰りは下り坂なので、湯本まで歩いた)。アクセスが便利なのが何よりで、その上、広々とした室内、早川渓谷の川音、ゆったりできる風呂。夕食はチェーン店ゆえ経費上、刺身など生ものはではなく蒸し物・焼き物になるが、朝食はなかなかのものである。特にスタッフが配膳してくれるのがいい。アルコールも含めた飲み物はセルフサービスで無料だ。「1室2名様」なら8,000円だが、一人旅なので12,000円ほどになるけれど、それでも満足感はある。
 昨日は、新宿バスタ(新宿駅南口前)を初めて利用した。4F・Bエリアのバス停から「新宿−箱根線・高速バス(小田急)」に乗り込んで、2時間。都心を抜けて神奈川県に入り、御殿場から箱根の山道を登っていく。「台ヶ岳」で下車するとそこは仙石原、「ススキの原一の湯」は徒歩1分。今回は会員用ネット予約で割安の情報をつかみ、昨年7月オープンしたばかり「1室2名様」おひとり様料金15,000円を「塔ノ沢キャトルセゾン」とほぼ同じ料金で宿泊できた。ここの売りは「客室露天風呂」で、ゆったりと朝湯を楽しませてもらったのが収穫だ。
 帰りは箱根湯本まで30分ほどのバス利用、そして、到着するやいなや小田急ロマンスカーに飛び乗った。新宿駅まで1時間33分、「車内書斎」で愛用のタブレットに「朗読講座の進行内容」を入力した。
 
   
Posted at 17:31 / 随想 / この記事のURL
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愛のある大人によって少年は青年になり大人になる / 2018年01月02日(火)
 元日、偶然『ニュー・シネマ・バラダイス』をTV番組<プレミアムシネマ>の一篇として久しぶりに観た。30年ほど前横浜の場末の名画座の狭い客席に座って以来、何回かこのイタリア映画(1988年公開のイタリア映画)には接していて、そのたびに胸を熱くする。
 戦後のイタリアの僻村。村民の唯一の娯楽施設の映画館(兼教会)を舞台に、職人気質の映画技師(アルフレード)と少年トトとの交流を中心に描く。青年になったトト(サルバトーレ)はなおも映画技師としてこの村に止まろうとするが、老技師は突き放す。「若いのだから外に出て道を探せ、村にいてはいけない、そして帰ってきてはいけない。人生はお前が観た映画とは違う、もっと困難なものだ!」愛する相手だからこそ、本人の成長のためにそばに置いておきたい心情を抑えて「ローマ行き」を命じたのだ。そして、愛を実感した者は、その信頼する相手に応えようとする。若者が自分にふさわしい道を選び進むには大人の一言、精神的な支えが必要なのである。
 この映画の時代背景と重なる時代に少年・青年時代を過ごした私も、多くの大人たちから言葉をかけられ親身になって接してもらえた。青年期になると、自分の将来が見えなくなることが多い。私は20歳の時、藁をもつかむ思いでテレビ業界の大人の方たちに相談し、その結果、銀座の貿易会社を辞めて大学受験に挑戦することになった。※ブログ/随想2012年10月10日「過去の小文より(2)昭和30年代の私」
 そして、受験勉強も追い込みの今から54年前の正月(前年の秋に「東京オリンピック」があった)、ある方から紹介されて、私はNHK(当時は内幸町)に隣接するビルの地下食堂でNHK職員の原安治さんに会っていた。『君はどういうことをやりたいのか』と問われ、19歳で上演した『逃散』(百姓一揆の一つ)を例に『人間臭い芝居を作りたい』と答えた。原さんは『君の言うことは全部わかった』と微笑まれた。授業料は日本育英会の奨学金で賄えるが、入学金の当てがなかった若者を心配した原さんは、『心配するな。それは用意する。君に投資するのではない。将来、後輩が困っている時には相談に乗ってやりなさい。』と言われた。
 その言葉は片時も忘れたことがない。早稲田を卒業した後、ライフワークとしての演劇活動に打ち込むとともに、神奈川総合高等学校の創立と同時に舞台系の授業を担当して、卒業生のあらゆる相談にも乗ってきた。現在、彼らは舞台装置家・演出スタッフ・女優・声優として活躍している。
 原さんは、『再会―中国残留孤児の歳月』をはじめ、昭和史を中心に様々なドキュメンタリー番組を制作し芸術祭優秀作品賞などを受賞された元NHKプロデューサーだが、福岡放送局長を務められた後、母校早稲田の客員教授として「ドキュメンタリー論」を担当されていたのを知って大隈講堂に隣接しているホテルのロビーでお会いできた。また、2012年夏、東京・両国シアターχ(カイ)提携公演『全体演劇 わがジャンヌ、わがお七』(制作・脚本・演出/佐野語郎)の際には駆け付けてくださり、私の教え子と一緒に写真に納まってくださった。

 昨年の晩秋、何枚か届いた喪中はがきの中に、恩人原安治さんの他界を知らせる奥様からの一葉があった。しばらく心に穴が開いたままだったが、思い直すことで前に進むことにした。私も後期高齢者目前となり、どれだけ今後仕事ができるかわからない、今与えられている役割を果たすとともに、懸案の創作に没頭しよう、と…。原さん晩年の著書『還らざる夏 二つの村の戦争と戦後 信州阿智村・平塚』2015年幻戯書房―を座右に置いて

 
   
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