結果にこだわれ。そして結果にこだわるな。(花島)
2018.12.12 [Wed] 17:50

「結果にこだわれ。そして結果にこだわるな。」
このタイトルを見て「花島は何を言っているのだ。とうとうおかしくなったか。」
そう思っただろうか。
確かにタイトルだけみると矛盾している。
でも僕が言いたいのはこういうことだ。
例えばAさん、Bさんがいたとする。
まずこの2名の言動を観察してみよう。
【期末テスト初日の社会が終わり、期末テスト2日目に向けて自習をしているときの休憩時の場面】
@Aさんの場合
Aさん「□2の(1)の答えなんて書いた?」
友達「内閣ってかいたよ」
Aさん「あー間違えた!じゃ□3の(5)は?」
友達「あれわからなかった」
Aさん「あれ難しかったよね〜、じゃあ□3のその次の問題は?」
どうでしょう。
Aさんは頑張った期末の結果が気になるようで、結果にこだわっていると言えますよね。
ABさんの場合
ひたすら期末2日目の勉強をしているだけです。
質問内容も、明日のテストの内容だけです。
どうでしょう。
Bさんも明日の結果にこだわって一生懸命勉強している様子が伺えます。

どちらも結果にこだわっていると言えますが、違いは何でしょうか。
それはAさんは過去の結果にこだわっている。
一方、Bさんは未来の結果にこだわっている。
ということです。
過去の結果は変えられません。
だからいくら過去のことを話したってなにも変わりません。
しかし未来は変えることができます。
過去の失敗を踏まえて、未来の結果にこだわり続けることで未来は良い方向へ変わっていきます。
Bさんは、必ずやテストで大躍進を遂げる時がくるでしょう。
つまりタイトルをわかりやすくすると
これから行われるテストの結果には本気でこだわり勉強して、そして終わったテストに関してはそこから次へのヒントを見つけたら、その結果にはこだわらずに、また次のテストだけを見つめて勉強していかなければいけない。
そういう意味です。
受験生は毎日毎日塾に来て、必死に自分自身と戦っています。
その未来を自分で切り開こうとする姿はとても頼もしく、日々大人へと成長していく様子を感じています。
一方、帰るときは、「このコーラ、リボンにしていいですか!!」と私の飲みかけのコーラのラベルを楽しそうにリボンにしていきます。

この時は、まだまだ子供の純粋でかわいい姿をのぞかせます。
どちらも本当に素敵な生徒たちの姿だと日々感じています。
そして誰もいなくなった教室でコーラのリボンを見つめながら
「紐を引っ張るだけでほんとにリボンになるんだな。すごいな。」
と感心し、僕もリボンひとつで楽しめる子供のような気持ちをずっと持ち続けたいな、と思いました。
さらにコーラを見つめること3秒。
「でも、これラベルがしわくちゃになっただけに見えなくもないよな。」
と思った自分が悲しくなりました。
僕はもう子供のころの気持ちをなくしてしまったのだろうか・・・

三者面談(花島)
2018.11.08 [Thu] 21:20

現在受験生は3者面談を行っている。
受験までの残り3か月半を受験生本人が最も良い形で過ごせるようにするにはどうすればよいかを話題の中心に面談を行っている。
すでに実力、内申ともに合格圏に達している生徒。
内申は不足しているが、実力的には合格する力がある生徒。
逆に内申は十分だが、実力がまだ足りない生徒。
そして、内申、実力ともにまだ志望校まで届いていない生徒。
現在置かれている成績の状況だけでもこのように様々だ。
性格だってそれぞれ違う。
生徒一人ひとりが残りの時間を一番良い形で過ごすにはどんな話をしたらいいか。
それをよく考えて話し合う。
つまり内容の同じ面談など一つもないということだ。
そして、残り3か月半を有意義に過ごすためには、本人の真剣な気持ちが絶対に必要不可欠だ。
絶対に○○高校へ受かりたい!
絶対に偏差値をここまで上げたい!
そういうゆるぎない気持ちがない限り、いくら周りが頑張っても伸びる成績はたかが知れている。
そしてその気持ちを生み出すことができるのもやはり本人しかいない。
今の時点で合格圏内に入っていない生徒に対しては、我々の力不足であったことも重々承知であり申し訳ない気持ちでいっぱいであるが、それでも残り3か月で本人に変わってもらうため厳しい言葉もかけた。
そして、面談の途中で流れた君の涙。
それは予想以上に志望校との差があることを知ったショックの涙だろうか?
僕に厳しいことを言われて流した涙?
それとも、これまでの自分自身の不甲斐なさを突き付けられた悔し涙なのかな?
あの時の君の気持ちは僕にはわからない。
そしてもしかしたら君自身もなぜ流れた涙なのかわかっていないのかもしれない。
それでも、これまでおちゃらけた姿しか見たことがなかった君からあふれた涙は、君の中に熱い気持ちがある証拠だと信じている。
いいか。
君が受験に向けて頑張っても、頑張らなくても、志望校に合格しても、そうでなくても僕らも、お母さんもお父さんも何も変わらない。
変わるのは君自身の人生なんだ。
厳しいけどね。
だったら周りの目を気にするなよ。
周りの言うことだって気にするな。
君自身が本気なら、どうすればいいか誰に言われなくたってわかるはずだ。
あの時、涙がどうしてもあふれてきて、そして照れた君は笑って誤魔化そうとして、でも止まらない涙は誤魔化せなくて・・・

君の気持ちは僕にしっかり伝わった。
初めて僕に見せてくれたその涙は志望校へのパスポートだ。
これから一緒に走り抜けていこう。

盆土産(花島)
2018.11.05 [Mon] 16:23

前回の緑成会日記で、中2国語のテスト範囲の『言葉の力』を話題にとりあげたが、もう一つ、三浦哲郎の『盆土産』もテスト範囲であった。
実は、この「盆土産」は僕が中学生の時の教科書にも載っていた。
だから塾の先生を始めた時に、盆土産をみて『ああ、懐かしいなあ』と感じたのを今でも覚えている。
東京に出稼ぎに行っているお父さんが『えんびフライ(エビフライのこと)』を買ってくる話で、皆さん(お母さん、お父さん)の中にもこの話が記憶にある方がいらっしゃるかもしれない。
そこで、この「盆土産」はいったいいつから国語の教科書に収録されているのか気になり調べてみた。
すると
光村図書『国語2』
昭和62年
平成2年
平成18年
平成24年
平成28年
となっていた。
教科書は4年ごとに改定されるので、平成6年、平成10年、平成14年発行の教科書では省かれたことになるが、平成18年の教科書で見事に復活を果たしている。
そして、最初に載ったのが昭和62年ということで、私が中学2年生の時とちょうど一致する。
また、自分が中学の頃使っていた教科書が、今三郷市のみんなが使っている国語の教科書『光村図書』と同じだということも分かった。
さて、この盆土産。
なぜ子供だった僕の心にこれほど印象的に残っているのか。
それはひとえに、「えんびフライ」があまりにおいしそうに描写されていたからだ。
まず、この当時、冷凍保存が簡単にできるものはなく、父は六尾のえんびフライを、電車の中で、寝ずに数時間ごとにドライアイスを交換しながらやっとの思いで家族のもとに運んでくる。
この時点で、えんびフライの貴重さがすごく伝わってくる。
そしてとどめは以下の描写だ。
揚げたてのえびフライは、口の中に入れると、しゃおっ、というような音を立てた。かむと、緻密な肉の中で前歯がかすかにきしむような、いい歯応えで、この辺りでくるみ味といっているえもいわれないうまさが口の中に広がった。

この物語は、本来亡くなった母や、祖父にお供えするはずのえびフライを自分たちが食べてしまったのかもしれないといったいろいろな解釈ができる深い話なのだが、中学生の僕はそんなことよりもとにかくこのえびフライの旨すぎる描写にただただ心奪われていた。
国語の時間なのに口の中によだれが出てきた。
とくに『しゃおっ』の音がやばい。
そして、家に帰り、僕は母に言った。
中2の僕『エビフライ食べたい!』
母『だってあんたエビ嫌いでしょ。アレルギーだし顔かゆくなるよ』
中2の僕『多分大丈夫だから食べたい!』
そんなわがままを言って夕食にエビフライを作ってもらった。
そして夕食。
エビフライを口に入れる。
『しゃおっ・・・・・・』
とは音がしなかった。
その時点で、もうエビに興味がなくなった。
もともとエビは嫌いなので、あとは作ってもらったエビをとにかく完食しなければいけないというただただ厳しい現実だけが残った。
頑張って衣と、エビの半分くらいを食べた(飲み込んだ)があとは残してしまった。
今となっては、母にはただただ申し訳ない。
そして数時間後、僕の体は赤くなってかゆくなった。
僕には後悔だけが残った。
実にあほだったな、と我ながら思う。
ただ、こんなこともあって、僕は『盆土産』という作品がとても心の中に残っている。

目まぐるしく世の中が変化する今、子供たちと、大人との間に共通の話題を作ることはなかなか難しい。
そういう意味では『盆土産』は貴重な作品かもしれない。
保護者のみなさん、もし「盆土産」を子供の時に習った記憶があるようでしたら、お子様の教科書を開いてみてはどうでしょうか。
懐かしい思い出が蘇ったり、子供との会話のきっかけになったりするかもしれません。

言葉の力(花島)
2018.10.29 [Mon] 22:43

先日の中2の中間テスト。
国語のテスト範囲に『言葉の力』という文章題が入っていた。
要約すると

ある染色家が素晴らしい桜色の着物を見せてくれる。
そして、この色は何からとったのかと聞くと「桜からです」と答えた。
素人の私は、それを聞いて桜の花びらを煮詰めて色を取り出したのだろうと考えたのだが、実際は違った。
この色は、あのごつごつした桜の木の皮を煮詰めて取り出したものだったのだ。
そして私は思った。
桜の花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクでもあるのだと。
そして桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかったのだということを。
言葉も同じだ。
ある人が発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いた時に同じように美しいとは限らない。
それは言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものではなく、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまい、人間全体がささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。
桜の花びら一つ一つは、言葉の一つ一つだと同じだということだ。

とこんな感じの内容である。
例えば努力をしたことのない人に「努力は裏切らない」と言われてもピンとこないだろう。
しかし、自分の尊敬する人や、イチロー、羽生結弦に「努力は裏切らない」と言われればその言葉はずっしりと響くはずだ。
私もよく子供たちに生活面や勉強面のアドバイスや注意をすることがある。
しかし、それがうまく伝わらない時は、言葉の問題ではなくそれを発する私自身に問題があるということだと感じた。
いつの日か、私も力のある言葉を発せられるような、そんな人間になれるよう日々精進しなければと思った。
以上。

なんか今日はすごく固い日記になってしまい申し訳ありません。
みんなも素敵な言葉を発せられるような魅力ある大人になってね!

シャーペンが嫌い(花島)
2018.10.25 [Thu] 22:35

僕にはみんなが当たり前に使っている文房具の中に苦手なものが2つある。
その一つははシャーペン(シャープペンシル)である。
シャーペンが嫌いな理由@
すぐ折れる
シャーペンが嫌いな理由A
芯を入れるのが大変
まず、@だが、僕が使うと、とにかくすぐ折れる。
いつもは生徒の横で指導する時はマイ鉛筆を使うのだが、ちょうど鉛筆がそばにないときは生徒のシャーペンをちょっと拝借する時がある。
先日も、とある生徒Aが数学の質問をもって僕のところに来た。

生徒A『先生!この2次関数の問題がわかりません』
僕『どれどれ、ああこれね。ちょっとシャーペン借りるね』
僕『これはね、ここが、こう』
ポキッ←シャーペンが折れる音
僕『これはここが』
ポキッ
僕『これはこ』
ポキッ
僕『これh』
ポキッ
僕『ふんがーーーー!』
10秒で4回芯を折った。
昨日に限らずこれは日常茶飯事である。
よく世の中の人はあんな繊細な筆記用具を使う気になれるものだ。
みんな折れないように慎重に書いているのだろうか?
僕はもっと力づよく鉛筆でガシガシ書きたいのだ。
そしてA
なぜシャーペンの芯はあんなに入れにくいのだろうか。
そもそもシャーペンの芯を、芯のケースから取り出すだけで一苦労だ。
一本取り出したいのに三本くらい出てくる。
余計に出てきた二本を慎重にケースに戻そうとする。
そしてうまく入らず机に落とす。
机からシャーペンの芯をとるのがまた一苦労。
なんとか机からシャーペンの芯をとり、ケースに戻したものの、机の上にシャーペンの芯の跡がつく。
そして必要な一本を針の穴を通すようにシャーペンに入れる。
よくみんなこんな大変なことを当たり前のようにできるなと感心する。
鉛筆なら、芯が減ったら電動鉛筆削りに突っ込むだけだ。
こういうわけで僕はシャーペンが嫌いなのである。
僕だけだろうか?

そして苦手な文房具2つ目。
これは文房具といえるかどうかは疑問だが、今の中高生が当たり前に使っているものだ。
それは、ルーズリーフである。
昔はルーズリーフではなくノートだった。
しかし今の中高生はなぜかルーズリーフなのだ。
9割の生徒がルーズリーフのような気がする。
しかもファイルに閉じてノートのようにしているのではなく、袋に紙が入った状態でそこから1枚1枚取り出して使っている。
丁寧に細かい字を書いていき、いっぱいになるとまた袋から1枚だして・・・
これまた先日、別の生徒の質問に答えている時。

僕『あとはこれを計算して答えを出すだけだから計算してね』
生徒B『はい!』
生徒は慎重に細かい字で計算をしている。
僕『ここに計算用紙が沢山あるからここにもっと大きく書きなよ』
生徒B『結構です』
僕『ふんがーーーー!』
僕はもっと大きな字でバシバシ計算をしたいのだ。
ノートやいらない裏紙なら、バシバシ計算して、いっぱいになったらすぐにページをバシッとめくりまた計算を再開出来る。
こういうわけでルーズリーフが苦手である。
僕だけだろうか?

なぜみんなシャーペンやルーズリーフin袋なのだろうか。
これがナウいのだろうか。
これがナウなヤングってやつなのだろうか。
よく考えろみんな。
本当に使いやすいか?
周りに流されて使いやすいと勘違いしているだけじゃないか?

新三郷教室では先日まで生徒が筆記用具を忘れた場合や、先生が使用する場合シャーペンを貸し出していた。
しかしこういうわけで、先日、そのシャーペンを全部奥の倉庫にしまい、今は鉛筆になっている。
僕が他の先生の許可を得ずに勝手にやった。
他の先生もそう思っているはずだから。
きっとシャーペンから鉛筆になったことで『塾長、鉛筆になってやりやすくなりましたよ!』とほかの先生も喜んでくれるに違いない。

そしてこの前、三浦先生がこう言った。
三浦先生『シャーペンはどこにありますか?』
僕『鉛筆ならそこにあります』
三浦先生『鉛筆でなくシャーペンはどこにありますか?』
僕『え?あ、この奥に隠してあります。今出しますね・・・』

シャーペンが苦手なのはやっぱり僕だけかもしれない・・・

中間テスト(花島)
2018.10.18 [Thu] 15:06

2学期の中間テスト、残すは北中だけとなった。
他の中学では続々と中間テストが返却されてきている。
英語が苦手だったAくん。
1学期中間、1学期期末、2学期中間と
41→78→91と恐ろしい頑張りだ。
数学が苦手だったBさん。
32→72→89。
一人一人書きたいことはあるが、やはり一番大切なのは、本人の意思。
それさえあれば不可能と思えることも実現することができる。
それを彼らは教えてくれる。
まだ北中の中間テストがあるので、全学校の中間テストが終わるまで僕らは授業に集中いたします。
もうしばらく緑成会日記の更新をお待ちください。

おまけ💛
生徒は休み時間や授業後に時々僕らにスマホを向けている時があります。
その時は何をやっているのかわかりませんが、いろいろ勝手に加工されます。
更新を楽しみにしていてくれている緑成会日記ファンの皆様、しばらく日記更新がないお詫びに今日は、生徒にとられた貴重なオフショットをお届けします。
お楽しみください。
※気分が悪くなった方、申し訳ありません。


はなし〇編

机の上に食生活の乱れが感じられます。


はや〇先生編

つかの間の休み時間、突然の撮影でも、最後はポーズをとってくれる優しい 〇やし先生。

理科と社会(花島)
2018.10.05 [Fri] 16:56

緑成会では高校受験に必要な主要5科目を指導している。
しかし一概に5教科と言っても、英数国と理社ではその特性が大きく異なっている。
もし5科目とも苦手な生徒がいるとしよう。
数学で2次方程式の範囲を完璧にしようと思ったら、これまで習った計算、文章を式に直す力など様々な能力が問われその積み重ねがあってやっと2次方程式の範囲が完璧になる。つまりその範囲の知識だけで高得点をとることは比較的難しい。
英語、国語も同様だ。
しかし理社は違う。
例えば社会の範囲が室町時代だったとしよう。
かなり細かいことまで含めてもすべての知識がプリント2枚くらいに収まってしまう。
この範囲だけひたすら勉強し知識を入れて、この範囲だけの問題をひたすら解いても大した時間はかからない。
つまり室町時代だけは完璧という状態にすることが出来る。
おそらくはどんなに社会が苦手な生徒でも、室町時代だけは偏差値75の人に匹敵するという状況にだってすることができるはずだ。
理科も同様。
そうすると、その範囲限定ではあるが、面白いように問題が解ける。
どの教材を見ても解けるし、どの模試の問題を見ても解ける。
こうなると、さらに室町時代だけは極めたいという欲が出てくる。
場合によっては、高校入試で問われない内容まで知りたくなる。
ここまでくると当然学校のテストでは物凄い点数がとれるだろう。
しかし大した労力ではない。
私自身も、中学の頃、歴史が大の苦手だった。
中2までは30点くらいをとっていた記憶もある。
しかしあるとき、鎌倉時代だけを繰り返した結果、鎌倉時代だけを極めたという経験をした。
(鎌倉幕府を極めた話は以前にもこの緑成会日記のどこかで書いた記憶があるが。)
ここまでくると、鎌倉時代だけは興味を持ち始め、中2で高校の日本史の教科書まで読んだりしていた。
そして鎌倉時代限定であればテストでも98点くらいはいつもとれるようになった。
歴史の点数が取れるという感覚をつかんだ私は、他の時代も極めたいという欲がでてきた。
こうして室町時代、戦国時代とひとつひとつ学んでいった。
英数理と違い、やった範囲だけは完璧になっていくのでどんどんできるようになっているという実感を得ることができた。
そして、歴史だけは得意と言える状況になると、今度は地理、公民も極めて『社会は得意だ』と言えるようになりたい自分がいた。
そして、上記で書いた比較的成績を上げるのに時間がかかる科目の英語も私は苦手ではあったが、一番の苦手の社会を得意科目にしたという自信から、次に苦手な英語も克服できるという自信につながり、克服していった。

このやり方が一番いいかと聞かれればそれはわからないが、もし5科目全て苦手であり、勉強しているのに効果を実感できないという人は、まずは社会、または理科の1分野だけ極めてみるという方法で得点をとれるという感覚を味わうのがとてもいいのではないかなと思っている。
どうだろうか。

【補足】
文中に英数国は成績を上げるのが難しいと書きましたが、理社に比べると一瞬で得意範囲を作るのが難しいということであり、しっかり学んでいけば英数国も必ず成績は上がります。
点数を取れるとはどういうことかという感覚がまだない人は、そのきっかけづくりに理社の一分野を極めてみてはどうかというすすめのつもりで書きました。

Where there's a will, there's a way.(花島)
2018.10.03 [Wed] 21:36

現在は中間テストに向け対策の真っ最中だ。
中2の社会(歴史)では、アメリカの南北戦争などがテスト範囲に含まれている。
この南北戦争に勝利したリンカンは、奴隷解放宣言をし「人民の人民のための人民による政治」という有名な言葉を残した。
そしてリンカンはほかにも有名な言葉を残していて、その一つがこれだ。
Where there's a will, there's a way.
意志あるところに道は開ける。

どんなに困難な道でもそれをやり遂げる意志さえあれば必ず道は開けるという意味の言葉だ。

例えば、ずっとご飯を食べていない人と、満腹の人を無人島に放置し、「食料を自分で見つけなさい」と指示をしたとする。
そして3日後。
どちらが多くの食料を集めるだろうか。
結果は言うまでもない。
もし、満腹の人にだけ、ナイフやロープなどの便利な道具を持たせるというハンデを与えたとしてもやはり勝つのはずっとご飯を食べていない人だろう。
この違いは、自分から本当に望んでやっているのか、他人からやらされているのかという違いだ。
まさに意志あるところに道は開けるである。
さて、勉強でも同じですよね。
志望校に受かりたい、成績を上げたいと必死に思っている人と、そうでない人。
自ら望んで知識を吸収したいと思っている人と、無理やり吸収させられている人。
そこには大きな差がでる。
その差は、どんな教材を使うか、誰に教わるか、どこで勉強するか、そんなものでは埋まらない。
意思は自らの中からしか湧き出てこないものだ。
緑成会に通う生徒はもう一度その意思を確認してほしい。

リンカンは、歴史に名前を残すほど偉大で成功した人物であるが、一方、アメリカでもっとも失敗した人とも言われている。

幼いころに親を亡くし、姉をなくし、婚約者もすぐに亡くし、自分のビジネスも何度も失敗している。
さらには長く生きられないといわれる病気にも苦しむ。
しかしそんな彼には常に意思があり、その都度立ち上がり、そして成功を収めた。
最後に、君たちにも伝わるのではないかというリンカンの数々の言葉を紹介して今日の日記を終えたいと思う。

転んでしまったことなど気にする必要はない。
そこからどうやって立ち上がるかが大事なのだ。

君の決心が本当に固いものなら、もうすでに希望の半分は実現している。
夢を実現させるのだという強い決意こそが、何にもまして重要であることを決して忘れてはならない。

私の歩みは遅いが、歩んだ道を引き返すことはない。

待っているだけの人達にも何かが起こるかもしれないが、それは努力した人達の残り物だけである。

今日出来ることを、明日に残すな

出典エイブラハム・リンカーンの名言

つっこみ(花島)
2018.09.28 [Fri] 19:37

前回は林先生が緑成会日記を担当した。
林先生は投稿前こういっていた。
「前半は面白いことを書こうと努力した跡が見られると思いますが、あまり面白さはないかもしれません。」
ということで、生徒たちに面白かったか聞いて「林先生はもっと面白いはず」という意見があれば、さらにリベンジしてもらおうかと思う。
なお、私も林先生の意見と同じで、勉強のモチベーションを上げるには、まずは膨大な量の勉強をいやいやでもこなして、成績を上げるしかないと思っている。
そしてその記事の中で「スマホを取り上げられた」という内容があったので、それつながりで今日は書いてみようと思う。

緑成会では基本的に休憩が5分しかない。
だから休憩というよりも、次の授業への準備と思ってもらいたい。
ただし、休憩の5分以内ならスマホをいじってもかまわない。
みんなその5分で必死にラインの新着チェックなどをしている。
しかし先日、5分を過ぎても手にスマホを持っているお方がいた。
「おい、チャイムなったからスマホをしまって」
『すみません、ちょうどいましまうところでした』
こんなやり取りをしたが、僕は連帯責任として、その日僕の授業の生徒全員のスマホを回収することにした。
そして休憩のたびに僕のところへスマホを取りに来て自分の机に戻り、チャイムが鳴る前にはまた僕のところに来てスマホを預け、また席に戻り授業を受けるというシステムだ。
そしてその日生徒たちは休み時間のたびに、僕のところへスマホを取りに来て各自の席に戻り、授業が始まる前にはまた僕のところへ来てスマホを預けていた。
「とても素直な子供たちだな」とひそかに思っていた。
そして最後の授業が終わりスマホを取りに来た一人の生徒が言った。
「これ参勤交代ですか」
なかなか鋭いつっこみで感心した。
彼は、1学期まで社会が苦手だったが、夏期講習を通じて社会の偏差値を大きく上げた生徒であった。
『確かに!いい突っ込み!連帯責任というところで「五人組」か!というつっこみも欲しかったけどな笑』
と私は大人げない対応をした。
きっと彼も成績が上がったことで社会のモチベーションが上がってきたのだろう。
内心そいういうつっこみをしてくれた生徒たちの成長を感じてとてもすがすがしい気分になった夜の一コマであった。
そして同時にこうも思った「こういうつっこみをたくさんしてくれるととても助かる。緑成会日記的に笑」

なんか面白いこと書いて!(林)
2018.09.26 [Wed] 14:22

なんか面白いこと書いて!

花島室長から無茶振りを受けてしまった。

「なんか面白いこと話して!」「なんか面白いことして!」と言われれることは度々あるが、その都度『iPhoneXのアニ文字という機能を林が使うと、必ずサルがしゃくれる話』をしたりとか、『大塚愛さんのさくらんぼ』や『いきものがかりの気まぐれロマンティック』を歌うなどして切り抜けてきた。

しかし塾の日記で面白い記事を書いてくれとなると悩ましい。以前好きなアニメについて語った記事や、好きな歌手のライブに行ってはしゃいだことを書いた記事をボツにされたこともあり、書けるネタが無い。

なので今回はひとまず、勉強のモチベーションを上げる方法について林が考えていることを話そうと思う。

結論から話すと、勉強に対するモチベーションを上げるには成績を上げることが不可欠だと考えている。

勉強しなきゃ成績は上がらないのに、成績を上げないと勉強のモチベーションは上がっていかない。おかしなことを言っていると思っただろうが、少し思い当たることがある人もいるかもしれない。

少し林が中学に通っていた頃の話をしたいと思う。
林はとにかく英語が出来ない中学生だった。
定期テストで30点台とか40点台を取るのが普通だった。
そもそも英語自体が嫌いだった。Be動詞だの不定詞だの、知らない言葉と一緒に意味の分からない文法を教えられ、単語は読めもしないから覚えるのに一苦労だし、グループや二人一組でやる会話練習(?)みたいなやつは特に嫌いだった。当然英語を勉強するモチベーションなんか全くなかった。

そんな林を見かねた林母がある時、部屋のドアをバタン!と開け、中学英語の参考書を林にブン投げ、パソコンやゲーム機と携帯電話を全て回収し、定期テストの英語で80点以上を取らないとこいつらを燃やす、と脅された。

流石に人質を取られてしまったらやるしか無かった。平均40点のガキにいきなり80点を取れなんて無茶苦茶だったが、オタクからパソコンを取ったら何も残らない。必死で勉強した。やる気が出ないなんて言っていられない。

平日は部活が終わってから2時間、土日は4時間ずつくらい勉強したと思う。嫌いな英語の先生にも頼った。そんな生活を2週間続けて受けた定期テストで林は85点を取った。俺天才だなって思ったけど、同じ範囲だけ週20時間も勉強したらそらそのくらいいくよね。パソコン達も無事に生還した。

そこから林は英語の勉強が嫌いではなくなった。1回85点を取ったら次は90点を目指したくなったし、何より基礎が少し分かったから勉強の効率が上がっていちいち前に戻ることが減ったからストレスも減ったのだ。

この経験を踏まえてもう一度言うが、林は、勉強のモチベーションを上げるには成績を上げるというのが1番早くて不可欠なことだと考えている。

そしてその為には、苦手科目に時間を多く使って本気で集中して取り組み、実際に点数を上げるのがいいと思う。定期テストだったら学校のワークとノートと教科書を使って勉強するだけでもかなり効果が出るはずだ。

そして苦手の克服は他の科目の勉強のモチベーションにも繋がり、受験勉強やテスト勉強が嫌だ、という感情も少しは薄れてくる。いいことしかない。

10月半ば以降に中間テストを控えている人はスマホを人質に、頑張ってみよう。スマホが燃えたらごめんね。

プリント(花島)
2018.09.24 [Mon] 13:40

林先生が、久々の日記に大変苦戦しているようです。
ここまで先延ばしにしているのだから相当面白い日記が出来上がることでしょう。
みなさん、今度の林先生の日記楽しみにしていてください笑
ということで、今日も花島が。

僕は、必要に応じてプリントを作ることがある。
今年の夏期講習でも、理社は教材の問題だけでは知識としては不十分と判断し、まとめの重要な部分を消したプリントを作ってみんなに覚えてもらった。
僕は重要だと感じたところは全部消していくので、花島作成のプリントは、ほとんど全消し状態になることも少なくはない。
そうなると、ほぼノーヒントで解かなければいけない問題も多々あるので生徒にとっては本当に大変である。
作っている私自身も「本当にこれ解けるか?」と思うことすらある見事な消しっぷりだ。

そして、現在、2学期中間に向けて、新たなプリント作成に取り掛かっている。
「シャー、シャー」←僕が修正テープで重要個所を消している音。
ある生徒が少し離れたところから不安そうに眺めている。

「シャー、シャー・・・・・・シャーーーーーーーーーーーーーー」←僕が一気に修正テープで消している音。
別の生徒も少し離れたところから恨めしそうな目で僕の手の動きを見ている。

生徒はもう感じているのだろう。
僕が何やらプリントを作り出しているということを。
そして、ほとんど全消しプリントが出来上がることを。
そしてそれを自分たちが中間テスト対策で解かなければいけない羽目になるだろうことを・・・

その通り!
今僕は、英語教科書ガイドの日本語訳以外をひたすら消しまくっている。
つ💛ま💛り💛 
みんなはテスト範囲の英語教科書全文を、日本語だけみて書けるようにしないといけない運命なのだ。
単語は全部覚えた。
文法も完璧。
過去学年の文法も夏期講習と土曜講座でやりまくっているのでOK。
これで点数はある程度とれると思うが、念には念を。
ということで、皆さんにはテスト対策の最後には、教科書全文を書けるようにしてもらいます。
誰一人例外はありません。
全員です

コンプレックス(花島)
2018.09.21 [Fri] 13:16

ほんとは今日の日記は林先生が書く予定だった。
しかし、まさかの日記未完成という醜態をさらしたので、今日も私が書くことにしよう!
さて、なにをかこうかな。

人はそれぞれ多かれ少なかれコンプレックスを抱えている。
僕のコンプレックスの一つはガニ股(O脚)だ。
僕の場合、それがひどいため、新品の靴も数か月履くとかかとの端だけ削れて酷いことになる。

※参考資料・・・数か月履いた僕の靴

この状態の靴をたまにわざと左右逆に掃くと、削れていない方が削れていくので、なんだか鉛筆を削っているような快感を得られる。(ガニ股あるある。たぶん・・・)

これを書きながらふと思った。
ガニ股とO脚って同じなのかな?
そこで今からgoogle先生に聞いてみようと思う。
・・・
・・・
結果がでました。

O脚→膝頭が内側を向いている。反り腰でお尻が大きい。
ガニ股→膝頭が外側を向いている。お尻が小さく男性に多い。
と書いてある。
あ、O脚とガニ股は違うんだね。
また一つ豆知識を覚えた。
これを読むと、ガニ股のほうがお尻が小さく男性に多いと書いてある。
どちらかというとお尻は小さいほうがかっこいいのでO脚よりはガニ股のほうがいいな、と思った。
僕はどちらなんだろう。
そう思って、スーツの裾を上げて膝を見てみた。
「膝頭が内側を向いている・・・」
残念ながら僕はどうやらO脚のようだ。
確かにお尻も大きい気がするしな。納得。
しかし、コンプレックスも見方によっては僕だけの特徴ともいえる。
何事も前向きに行かないと楽しくない。
ということで今度は、「O脚 長所」で検索してみる。
・・・
・・・

見た目だけじゃない!O脚がもたらすデメリットとは

「O脚 長所」で検索しているのに検索結果の一番上にデメリットが出てきた。
恐るべしO脚。
その後も、「O脚 メリット」「O脚 いいところ」「O脚でよかったこと」「O脚 意外と悪くない」「O脚も損ばかりではない」・・・
と基準を下げつつひたすら検索するも、いいところは一切見つからなかった・・・

そしてここまで書いておいてなんだが、今僕はO脚のメリットを探す以上に、この緑成会日記の着地点を探している。
僕はいつも、緑成会日記を書くとき、着地点を考えず、とりあえず閃いたことを書き始め、どんどん話が膨らんでしまい収集がつかなくなることが多々ある。
どうして僕はO脚の話なんかかいちゃったのだろう。。。



あ、そうだ!

今日の僕の日記のように、着地点を先に考えないまま文を書き始めるというのは、受験作文では絶対にやってはいけません。
絶対にです。
先に、始まりから終わりまでの流れが頭に出来ている状態で作文を書き始めないと、時間もかかるし、なにより内容がまとまりません。
埼玉県入試の国語では必ず作文が出題されますし、ここはどんな国語が苦手な生徒でも高得点をとることができる部分です。

今日の僕の日記は、失敗例です。

それを知ってもらいたく今日の日記を書いてみました。。。

ということにしてください。

なんとか着地できたかな?笑

語彙力(花島)
2018.09.19 [Wed] 14:43

前回お伝えした緑成会日記(ギャグ編)は今度の林先生に任せるとして、今日はもう一つ勉強にまつわる話をしたい。
国語。
これは英数国理社の5科目の中でも非常に教えるのが難しい科目である。
漢文、古文などは英語と同じようにある程度知識を積み上げていけば理解しできるようになる。
しかしメインの現代文(文章題)がとてもやっかいだ。
いや、文章題を教えるのが難しいと言っても、教えてすぐにできるようになる人と、できるようになるまでに時間がかかる人がいる。
この違いはどこからくるかというと、知っている語句の量である。
語句は知っていて、文章を読んで内容はよくわかるが、答えが出ないというタイプ。
こういう生徒は解き方を教えて、練習を30題くらい積むとできるようになってくる。
しかし、語彙力がない生徒の場合、文章の内容がわからないのでそうはいかない。
例えば
『トーマスは日本語がとても達者で、彼の車は相当年季が入っている。』
という文があるとする。
この文から読み取れることとしては
@トーマスは日本語がとても上手なので、昔から日本にいるか、または日本語をこれまでよく勉強してきていること。
A彼の車はとても古いということ。
なのだが、『達者』『年季』という語句を知らないと、トーマスという名前くらいしかわからない。
そういう場合、『達者』『年季』という語句から教えて覚えてもらわないといけないのでどんな文章を読んでも理解できるという状態にするまでにはとても時間がかかる。
また、『木がゆさゆさと揺れている』『紙がひらひらと落ちていく』といったものも同じで、
『木がゆさゆさと揺れている』からは、木がとても大きいこと、そしてゆっくる揺れていること、風が強い様子など、
『紙がひらひらと落ちていく』からは、紙がゆっくり落ちていくこと、風はあまり吹いていないことなど
が読み取れるのだが、『ゆさゆさ』『ひらひら』の語句をしらないとそうは理解できない。
塾で教える国語とは、日常で使う語句は知っているという前提なのだ。
極端に言うと、単語がわからない人が国語の文章を見ると
『太郎は〇〇をしたから△△になって、とても××だった。』
と見えるわけで、これでは内容理解はおろか、当然問題は解けない。
塾ではそういう場合も、語句の意味を教えて覚えてもらうようにしてはいるが、本来語彙力は日常の生活でつけてくるべきだし、つけていくべきものだ。
そうしないととてもではないが覚えきれないし使いこなせない。
日常のお母さん、お父さんとの会話の中で、漫画の中のセリフで、テレビの中で、知らない日本語に出会うことはたくさんあるだろう。
そのたびに、その意味を調べて欲しい。
「調べるったって、辞書ないし、いつも持ち歩いているわけでもないし」
って声が聞こえてきそうだが、今きみの手が握りしめているものはなんだ?
スマホ。
これにわからない語句を入れて検索すればすぐ意味がでてくるだろ。
いつもあれだけの文字数をラインなどに打ち込んでいるわけだから、単語ひとつ検索するのはたやすいことだろう。
社会だって、理科だって、わからないことがあればすぐスマホで調べればなんだって出てくる。
スマホだって使い道を間違えなければこんな便利で勉強に役立つものはない。
是非しっかり活用して、日々語彙力を増やしてほしい。
特に小学生はまだまだ高校受験まで時間があるのだから、その癖をつけることの効果は計り知れない。
そして中3だってまだ遅くない。
昨日理科の質問で「『ほたるこうとう』って何ですか?」と聞いてきたキミ。
わからないことを質問してくるそのやる気は大いに認める。
だが、それは「けいこうとう(蛍光灯)」だ笑
よろしくたのむ。


一枚一枚紙を積み上げるように(花島)
2018.09.17 [Mon] 13:33

今年の夏の高校野球。
結果は大阪桐蔭の優勝で幕を閉じた。
史上初の春夏連覇を2回という記録のおまけつきだ。
まさに絶対王者。
最強だ。
先日のテニスでの大坂なおみの優勝といい
毎年年末に発表される今年の漢字は「大」で決まりじゃないかと思っている。
そして、話は戻り今年の夏の高校野球。
秋田の金足農業も話題をさらった一校だ。
全国から選手を集められる私立と違い、地元出身の選手だけを鍛え、甲子園の決勝まで上り詰めた。
まさに努力の賜物だ。
そしてさらにもう一校、注目を集めた学校があった。
それは三重県の白山高校である。
この学校は、2007年から2016年まで10年連続予選1回戦負けだったという。
だが2017年の予選ではなんとか2回勝つことが出来、そして2018年の夏の大会で、いきなり三重県大会で優勝。
晴れて甲子園行きの切符を手にした学校だ。
この学校がある町は田舎であり、5年前には部員が5人しかいない状態だったという。
そして学校への電車は2時間に1本しか来ない、そんな中にあるという。
しかし、この11年間のどこかのタイミングからか、監督は生徒を必死に頑張らせ、選手たちはそれについてきたのだと思う。
頑張っても頑張ってもなかなか予選の一回戦さえ勝てない年が続く・・・
しかし、僕は思うのだ。
同じ予選一回戦負けでもその内容は毎年少しずつ違ってきていたのではないかと。
例えば、負けはしたが昨年よりエラーが減った。
例えば、負けはしたが昨年よりヒットの本数が多かった。
例えば、負けはしたが、昨年より失点が減り、得点が増えた。
など。
必死の努力を続けて迎えた2017年。
その成果が少しだが結果にあらわれてくる。
それが予選で2勝できたことだ。
そして2018年。
誰もが予想だにしなかった白山高校の快進撃が続き、三重県大会優勝。
まさにドラマであり、奇跡と言われた。
でも僕はこれは決して奇跡ではないと思っている。
紙を1枚積み上げてそこに乗っても見える景色は変わらない。
もう1枚紙を積み上げてそこに乗っても見える景色は変わらない。
そして3枚目、4枚目・・・と積み上げてそこに乗ってみても前回と景色は変わらない。
そうやって変わらぬ景色が続いていく。
199枚目と200枚目の景色は何も変わらないだろう。
そして紙を積み上げていった人は思う。
いくら紙を積み上げても見える景色が変わっていないと。
でも、ここで1枚の紙に乗った時の景色と、200枚目の紙に乗った時の景色を比べてみると、少し景色が変化していることに気が付くはずだ。
毎日の成長というのはこのように小さすぎて変化が見えないものなのだ。
それでも確かに高くなっている。
キミの目の前に高い壁があるとする。
その景色の向こうを見るにはまだ高さが足りない。
だからまだまだ紙を積み重ねていく。
今日も1枚、明日も1枚・・・と。
やがて、うっすらと壁の向こうの光が見えてきて、ついには壁の向こうをはっきり見ることが出来る高さに到達するだろう。
それが白山高校の野球で言えば勝つということであり、甲子園に出場するということなのだ。
紙を積み重ねてきた白山高校が甲子園に出場したのは決して奇跡ではないし、奇跡だと思いたくない。
でも高い壁の向こうの景色を見ることが出来たと思ったら、またさらに向こうに高い壁がありその向こうは見えないというのが人生というものだ。
白山高校だって、やっと来た甲子園での1回戦では10対0という大敗を喫し甲子園をあとにした。
つまり、高い壁の向こうを見ることが出来たと思ったら、またさらに高い壁があったということだ。
でも、やがて白山高校は甲子園での勝利をつかむこともできるだろう。
1枚1枚これからも紙を積み重ねていけば。
11年間の努力で、結果には現れなくても中身が変わり、予選で2回勝つという小さな結果が表れ、甲子園に出場するという大きな結果が表れた。

かなりの長文になってしまったが、これは塾の日記だ。
だから何が言いたいかもうわかると思う。
勉強も同じだということだ。
例えば歴史の語句を覚えたとする。
テストを受けた。
「座」と書くべきところを「株仲間」と書いてしまった。
当然×だ。
点数は上がらない。
でも、「座」と「株仲間」は時代が違うだけで内容は似たようなものだ。
空欄での×や、全然関係ない答えを書いての×とは明らかに中身が違う。
例えば一次関数の勉強をしたとする。
教材では全問正解できたとする。
しかし、あるときテストでほかの問題と混じって予期せぬ一次関数が突然出てきたとする。
「あー!これどうやってやるんだっけな。たしかあの教材では全問正解できていた問題だよな。あー思い出せない」
当然×だ。
でも、「なんだこりゃ。見たこともないし何を言っているのかさっぱりわからない」というのとは違う。
紙を積み重ねるように、勉強という努力を続けているものの、壁の向こうが見えていない状態だ。
引き続き努力を重ねて行けばいい。
しばらくは結果が見えなくても、キミは成長している。
いつか必ず壁の高さを超えることができる。
×が〇に変わる日が来る。
でもその瞬間が訪れるのは、勉強という努力を積み重ねた人だけ。
紙を1枚1枚積み重ねるように。。。

【最後に】
「監督はどんな人ですか?」という質問に対し白山高校のある選手はこう答えた。
『教えるのは上手い。まあ怒ると怖いけど。まあ一番好きな先生やな』
先生にとって最高の誉め言葉ではないだろうか。
私も生徒たちにこう言ってもらえるような先生を目指していきたい。


【ほんとに最後に】
ここ最近、真面目路線の日記になっており、緑成会日記(ギャグ編)を楽しみにしている方には大変申し訳ない。
どうも夏期講習の余韻がまだ残っていて、みんなの姿をみているとついつい内容が緑成会日記(真面目編)になってしまうのだ。
そろそろギャグ編も再開しますのでお楽しみに。
今日は長文お付き合いくださいましてありがとうございました

それぞれの道(花島)
2018.09.14 [Fri] 16:25

昨日第4回の北辰テストが返却された。
結果をみてどうだっただろうか。
前回の第3回と比べて
上がった子
変わらなかった子
下がってしまった子
いろいろいるだろう。
ここでは簡単にではあるが、緑成会での第3回と第4回での変化を書いてみる。
※緑成会では生徒によって受講する科目もそれぞれですので、各科目で生徒数は異なっています。

国語
上がった 9人
下がった 1人
変わらず 3人

数学
上がった 22人
下がった 9人
変わらず 6人

社会
上がった 15人
下がった 5人
変わらず 1人

理科
上がった 24人
下がった 7人
変わらず 1人

英語
上がった 14人
下がった 8人
変わらず 3人

となっている。
全員過去最高を目指してやってきたが、なかなか現実は厳しい。
これは我々の力不足だ。
本当に申し訳ない。
今回の結果を見て、かなり落ち込んでいた生徒もいた。
その生徒は決してさぼっていたわけではなく、本気の本気で取り組んだ生徒だった。
だからこそ私たちも今回の北辰でどうしてもブレイクさせたかった。
しかしそうはならなかった。
その姿を見ていると本当に心が締め付けられる思いだった。。。
しかし、このまま歩みを止めるわけにはいかない。
どうすればいいか。
第5回の北辰に向けてやるしかないだろう。
この夏蓄えた知識は絶対に無駄ではない。
現在も、みんな土曜の夏期講習復習テストでやり直しを頑張っている。
何度も上塗り上塗りを繰り返していけば5回、6回の北辰ではさらなる飛躍ができるはずだ。
みんなの結果を見ていると、5回の北辰に向けてやらなければいけないことは様々だ。
基本を落としている場合、まだまだ夏期講習の教材を繰り返す。
夏期講習の教材が完璧なら、早い段階で予習を仕上げ、全国の過去問など総合問題で力を養う。
中1から夏前までは、みんな同じように仲良く進んできた。
しかしここからは、各自、目標によって進むレールが異なってくる。
同じ場所にいても、みんなそれぞれの進路に分かれ既に歩き始めているのだ。
僕らも一喜一憂している暇はない。
既にみているのは、そしてみなければいけないのは5回の北辰テスト、そして2学期の中間テスト。
そこで各自の最高を残すことだけ。
最後に夢を叶えられるのは、成功し続ける人ではない。
最後に夢を叶えられるのは、失敗しても立ち上がり、本気の本気で努力し続けられる人だけなのだから。
頑張ろうね!お互い。

キミがいれば(花島)
2018.09.12 [Wed] 14:46

名探偵コナンの映画を見ていると、クライマックスの場面でよく流れる曲がある。
それが「キミがいれば」という曲である。
これが流れると興奮は最高潮なのであるが、その曲の中に
月と太陽なら私は月 キミがいれば輝けるよ
という歌詞がある。
僕は塾の講師なので、いろんなことをつい自分の立場に置き換えてしまうのだが、これを聞くたびに、思うことがある。
生徒が輝いて初めて僕ら講師が輝くのだと。
緑成会の講師は、君たちが輝くためならできることは何でもするだろう。
みんなの心にきれいな虹をかけるために
そして輝かせるために






キミがいれば
歌:  伊織
作詞: 高柳恋
作曲: 大野克夫

うつむくその背中に
痛い雨が突き刺さる
祈る想いで見ていた

この世にもしも傘が
たったひとつだとしても
捜してキミに渡すよ

なにもできないけどキミの代わり
濡れるくらいわけもないさ

お願い その悩みを
どうか私に打ち明けて

必ず朝は来るさ
終わらない雨もないね
だから自分を信じて

月と太陽なら私は月
キミがいれば輝けるよ

ひとりで背負わないで
気づいて私がいること

もうすぐその心に
きれいな虹が架かるから

もうすぐその心に
きれいな虹が架かるから

大坂なおみ選手(花島)
2018.09.10 [Mon] 15:00

『大坂なおみが初優勝!日本人初の四大大会制覇!』
皆さんもご存知であるかと思うが、先日このニュースが世間に明るい話題をもたらした。
優勝後のインタビューで「今後成し遂げたい夢は?」という質問に対し、大坂なおみ選手は
『いつか成し遂げたい夢はありますが、私にはその前に小さな目標が沢山あります。目の前の一試合一試合を勝ち抜くことに全力を尽くしたい』
と答えていた。
どんな大きな目標があっても、いきなりそこに到達は出来ない。
逆に、目の前の小さな目標を全力でクリアしていけば、いつか大きな目標にたどり着く。
そういう意味だと思う。
この考え方は、みんなの勉強においても同じだ。
みんなの夢は何ですか?
第一志望の高校に受かる事?
それとももっと先の
警察官になる事?
医者になる事?
総理大臣になる事?
学校の先生になる事?
ユーチューバー?笑
いずれにせよ、どんな強い思いがあってもいきなりそこへはたどり着けない。
そこに向かう一歩一歩の階段をしっかり踏み外さないよう全力で上っていかなければいけない。
学校の小テスト。そして今塾で毎週行っている通常授業のテスト、そして夏期講習の復習テスト。
これらが今みんなの目の前にある小さな目標だ。
この目標に、全力で取り組み、絶対に再テストをためずに毎週進んでいくこと。
そうすれば、次の目標である中間テストではよい結果を残せるだろうし、北辰テストだってよい結果を残せるだろう。
そして、その一歩一歩を継続していけば、高校の合格、さらには将来の夢へだってたどり着けるはずだ。
時々は、階段の一番上を眺めてみることもいいだろう。
しかし、そこばかり見ていても一段も階段を上ることはできない。
目標を定めたら、まずは目の前の一段に全力で立ち向かってほしい。

良い傾向(花島)
2018.09.07 [Fri] 13:41

夏期講習から本気の本気で受験勉強に取り組み始めた人たちがたくさんいる。
だから講習前には理科・社会などは何にも知らない、そんな生徒もたくさんいた。
夏期講習最初の理科の授業で印象に残っているやりとりがある。
「Hは何の元素記号?」という質問に
『ポカリ』
と答えた生徒がいた。
「??ポカリ?ポカリってポカリスエットのこと?」
『そう』
衝撃的に面白かった。
まず絶対に受け狙いの答えではない。
そんな受けを狙う生徒ではないし、本気でこの夏、勉強に取り組もうとしているのを感じられる生徒だったからだ。
そもそも、受け狙いで『ポカリ』は出てこない。
もし受け狙いの答えだったらこの生徒は笑いの天才だ。
地理でも最初の授業ではこんなやり取りがあった。
「アメリカは何大陸にあるか?」
『アフリカ大陸』
「・・・」
歴史でも
「平安時代の次は何時代?」
『清』
「・・・」
まず国が違う。
夏期講習開始直後はこんな恐ろしいやり取りがあった。
しかし、彼らはみんな本気の本気という最も大切なものを持っていた。
夏の間、理科社会の知識をひたすら叩き込んだ。
決して厚い教材ではないが、問題を解くだけでなく、まとめ部分をほとんど塗りつぶしたプリントもすべて暗記していった。
間違いと正解を繰り返し、忘れて覚えてを繰り返し、どんどん知識を詰め込んでいった。
そして夏期講習の中盤を過ぎたあたりに、同じ生徒としたやり取りはこのようになった。
@「鎌倉時代の将軍を補佐する役職は?」
『管領』
「違う。それは室町時代の将軍を補佐する役職だ。でもイメージはあっている」
A「室町時代に行った貿易は?」
『勘合貿易か朱印船貿易・・・勘合貿易!』
「正解!」
B「江戸時代の同業者組合を何という?」
『座!』
「違う。それは室町時代の同業者組合。でもやはりイメージはあっている。」
C「平安時代初期の仏教といえば?」
『浄土信仰!』
「違う。それは平安時代中期の摂関政治のころ。でも近い。」
このように間違えはするものの、内容はかなり正解に近づいている。
そして、これまで学生の頃から数えると25年くらい中学生の勉強を見てきた僕には、これは社会が苦手な生徒が知識を急に詰め込んだ場合に起こる「あるある」であり、良い傾向の間違いだと知っていた。
歴史の苦手な生徒が急に知識を詰め込むと、言葉は出てくるのだが、時代がずれるのだ。
言葉と意味は覚えたけれど、その背後にある時代が一致しない。
だからこういった間違いを多発する。
しかし、このまま問題を解く、覚える、を繰り返していくと、だんだんと言葉と時代が一致してくるようになる。
だから大丈夫!
「ポカリのあなた!」
「アフリカ大陸のきみ!」
「清のそなた!」
『安心してください。(知識)入ってますよ!』
理科や社会ができるようになる過程にしっかり乗っていますよ!
その証拠に、9/2の北辰直前には、どうにか形になるところまできたじゃないか!
君たちはもうあの頃の君じゃないんやで!

真っ赤な目(花島)
2018.09.05 [Wed] 19:43

2学期が始まり、通常授業に戻ったものの、まだ夏休みのみんなの姿が思い浮かぶ。
夏期講習の後半で行った北辰の模擬テスト。
模擬テストとは言え、偏差値も出る。
その偏差値を見て目を真っ赤にした生徒がいた。
「これだけ頑張ったのに偏差値が上がっていない」
そう思い、こらえきれなくなってしまったのだろう。
しかしそれが現実だ。
受験というのは気持ちだけで突破できるほど甘くない。
そして努力は嘘をつかない。
ここまでの努力ではまだ足りなかったということだ。
でも、どうして目が真っ赤になったの?
しかもまだ本番前の模擬テストで。
それは、あなたが本気になったからだよ。
本気の本気で頑張ってみたからなんだよ。
だから悔しかったんだよね。
でも勉強はどのくらい本気の本気を重ねたかが大切なんだ。
君よりももう少し前から本気の本気になった人にはまだかなわない。
でも君はしっかり歩きだしている。
だからここでくじけないで本気の本気を積み重ねていくんだ。
積み重ねていけば必ず見たい景色は見えるから。
そして、あの時目を真っ赤にしたあなたなら必ずたどりつけると僕は確信している。
ここでくじけてはいけない。
勉強っていうのは、自分がどこまで積み重ねてきたのか。
それが目に見えないから辛いし、頑張れる人とくじけてしまう人がいる。
ダイエットのように、1日、1日の成果が見えないんだ。
でも、暗闇の中でも、いつか見える光を信じ歩き続けられた人だけが勝てる。
それが受験というものだ。
僕らも、君が『このまま行けばきっとたどり着ける』と思えるような授業をしていくから、どうか歩き続けてほしい。
君はもう一番大切な『本気の本気の気持ち』を持っているのだから。

人生最高の夏休み(花島)
2018.09.03 [Mon] 22:16

終わった。
7月から始まった夏期講習も9/29㈯で幕を閉じた。
思えば朝9時から夜の21時40分まで、毎日ひたすら問題集と格闘し続けた。
みんな本当によくやった。
1日1日、目の前の問題に立ち向かい続けた2か月間。
気が付けば本当にあっという間だった。
「もう曜日がわからない」
そんなことを笑いながら話す生徒がいた。
それはただただ勉強というものを繰り返す日々を必死で送っていた証拠。
半年後、自分の夢をかなえるために。
そして、この2か月間でみんなが得たのは知識だけではない。
12時間集中し続けるという勉強の基礎体力も知らず知らずに身につけた。
今日開始の通常授業で
「3時間があっという間に終わった」
と話してくれた生徒もいた。
これは勉強の基礎体力がついたからであり、3時間を集中できた人にしか言えないセリフである。
この集中力があれば、この先、同じ勉強時間でも2倍、3倍と密度の濃い勉強をすることが出来る。
『人生最高の夏休み』
ただただ勉強というものにだけ打ち込んだこの日々をそういうのは大げさかもしれない。
長い人生、もっと最高の夏休みというものが君たちの人生にあるのだろうし、そう願っている。
それでも、この夏休みがあったからこそ希望の高校へ進学でき、その先に本当の『人生最高の夏休み』があるのだとしたら、やはりこの夏も『人生最高の夏休み』だったのだと後で思い返すのかもしれない。
みんなのおかげで私たちも本当に充実した2か月を過ごさせてもらった。
全てを封印し、1日のすべてを勉強に賭けるみんなの姿は、本当に眩しく見えた。
遊びたい盛りの若人が自分の夢のためにすべてを賭ける姿はこんなにも素敵なものなのか。
あらためてそう感じさせてもらった。
そしてこれからも勉強だけの日々が続いていく。
人生最高の2学期だったと胸を張って言えるように。
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