セプテンバー

2005年05月01日(日) 22時13分
自分で決めたことだ。悲しむことはない。


あたしは自分にそう言い聞かせ、まぶたを閉じた。

『セプテンバー』

意味もなく声に出してみる。

9月−
毎年、この月になると何かが終わってしまう気がする。
それと同時に、何かをあきらめるにはいい季節だということも−

何かを選びとるためには、何かを手放さなくてはならない。
彼を失う代わりに、彼の子供を宿したことも。
後悔はしない。
エゴでもかまわない。
今までも大丈夫だったのだ
これからも今までどおり、しなやかに思うまま、生きてみせる。

大丈夫だ−

たとえ彼がそう言ってくれなくとも。


永の中からあたしが消えても、根付いた感触は消えることはないんだろう。

サンディーリードの歌声が軽やかに、この店に響く。
まるで、あたしの想いを飲み込むように
のびやかに、何も気にしないほどの声で。

『環がいちばんだよ』
抱きしめて彼はほおずりした。

『いいなぁ、環は』
何度も、何度も。

『一緒にいるとほっとするよ』
迷うことなく。


−もう永はいない−


記憶と想いを断ち切るように、あたしはいそいでまぶたを閉じた。
カウンターのダウンライトを受け止めながら。

進むことも、戻ることもできない想い−
止まることなく動く現実−
思い出すのは、心を奪われる感覚に酔っていた日々。

始めたのは永だった
だから終わりにするのも永なのかもしれない。


−あの場所にはもうかえれない−

ペダル

2005年05月01日(日) 22時15分
『今、病院なんだ。今日で最後の通院だよ』

永からメールが入った。
何往復かやりとりして、あたしは店を飛び出した。


あの病院だ−
あたしが入院していた病院−

あの時間この辺りで行けるのは、あの病院しかない。


自転車のペダルを思いきり踏んであたしは病院に向かった。

外科−。

あたしが診てもらった整形外科のとなりだ。
走ってはいけないというのに、あたしはぐるぐると病院内を走った。


外科の待ち合いの椅子
そこに永がいた。

『店は…?』

永は目をまあるくして訊いてきた。

『まかせてきたよ』

ややあって
『どうしてここだと分かった?』

あたしは、永から目をそらさず、息をはずませながら

『わかんない、わかんないけど、ここだと思ったんだ』


−沈黙が流れた。
それを断ち切るように永がこっちを見て

『子供は…?妊娠したの…?』

少し考えたあと、なぜかあたしは

『うん、たぶん』

もう検査薬で反応は出たというのに、ここで言うべきじゃない。
そう思ってあたしは言葉を濁らせた。

椅子にそっと腰をおろし、黙ったまま、永が呼ばれるのを待つ。
となりに座る永は、どことなく他人のようだった。

『…、永さん?…さん?』
永が呼ばれた。
そして、あたしはひとりで永を待つ。

10分ほど経っただろうか−
包帯が取れた手で永は出てきた。

『飯、行くか?』
あたしは少しおどろいて

『うん』
とこたえた。


ふたりで駐車場まで歩く−
道ゆく人が見れば何の問題もない恋人同士なんだろう。
無理やりに手をつないで、あたしはゆっくり歩いた。
あたしの好きになった永は、つないだ手の先には居ない。

それでも、いつか心を開いてくれたら−

心地いい風を全身で受けながら

空を仰いで、いつものようにまぶたを閉じた。

はじまりの文字

2005年05月01日(日) 22時17分
温度の高すぎる愛情にはなじまない。

あたしも永もどこか、そういうところがある。

永とご飯を食べて、あたしは一旦家に戻った。
眼をあわせることも、キスをすることも避けていた。


そして家に戻るとメールが入る。
恋人としての誘いではなく、セックスのお誘いのようなものだった。

彼はあたしを愛していないと言った。

あたしは構わないとこたえる。


高速の下で待っている永、車に乗り込むあたし。

ここからは、あたしは神経を持ってはいけない。
思考も感覚も何もかも麻痺させよう。

そう自分に言い聞かせた。


お腹に子供がいる−

『どこに行く?』
と訊かれ

『公園』
とこたえた。

つまらなさそうな顔をして、永は車を走らせた。

しばらく走っているうちに、ホテルに入っていく車。

あたしは何も言わなかった。永もまた、何も言わなかった。


ラブホテルは雨の日の匂いがする。湿っていてわびしい匂い−
その空気を身体いっぱいで吸い込んで
あたしは永にキスをした。1年前の2人が閉じたまぶたの裏に映る。

愛のないセックス−

あたしに愛があればいい。

どちらにしても、あたしは捨てられる。

このお腹の子供ごと。


眠りにつく永の横であたしは思った。
子供が産まれたら、この人の名前のはじまりの一文字をもらおう。

きっと女の子だ。
いい匂いのする女の子。
どちらにしても赤ちゃんの匂いはいいと思う。

なんの飾り気もなく、そして秘密の匂いはしない。

すべりだいの月

2005年05月01日(日) 22時18分
もう、永は誰にも止められない。


相手と自分のあいだに横たわる夜−。

それを、日々模索することを、わずらわしく想ってしまったら
たぶんもうおしまいなんだろう。

少なくとも永は『原因はそっちにある』と言うだろう。


そんなことばかりを考えていた。


会っているあいだは、甘い時間なんてものはなかった。


永は自転車の置いてある場所まであたしを送り、あたしはそのまま永と別れた。
そして、そのまま永は雲のようにどこかに流れてしまった。



秋の気配。

夜が長くなってきている−

一年でいちばん夜が長い日に、息子は生まれた。
そして、生まれてきた息子はなぜかよく夜空を見上げる。
去年の誕生日には、月の絵本を贈った。

今年は何にしよう−
子供を迎えに行く途中で、ふとそんなことを考えたりした。


その夜−

店を閉めた後であたしは散歩に出る。
月も星もない夜、歩きながらあたしは、ひどく自分が孤独であるように感じた。


しばらく月を見ていない−


子供が言うような、−すべりだいみたいな−上弦の月を。

ひつじ雲

2005年05月01日(日) 22時20分
ふと、永の置いていった携帯が目についた。
ダイヤルロックをかけてある。

永が出て行ったあと、残されたのは、この小さな端末だけだった。

それ解除して、あたしは中を見る−

出ていった日の昼に、あの見慣れた電話番号。
永は、その女のひとに誘いをかけていた。
元嫁へのメール−


『やっぱり気のせいじゃなかったんだ』

裏切りがくっきりと形を持ったのか、思わずひとりごとのように呟いた。
あたしは言葉をうしなうばかりで、目を細めてそれをじっと見ていた。
表情は、文字を追うごとに歪んでいくのが分かる。


ぐるぐると廻る思考。
解けていきながら、別の場所で縺れていくような感覚だった。


気が狂いそうだった。
眠れない、食べれない、精神も身体も不安定になる。
理不尽な想いで胸がいっぱいだった。

想いは、ちぎれたまま悲鳴をあげる−


夜中−

いきなり激痛が走り
出血を起こす。
あわてて病院に行き、切迫流産だと言われ、その夜は病室で過ごした。

翌日は、午前のうちに家に戻った。
鏡を見ると、蒼白い顔をしている。
血色はまったくない病的な白を帯びた肌になっていた。

『どうしたの?!その顔色!』
伊織が驚いて訊いてきた。

『ん、ちょっと負担が大きいかもしれない』
ややあって

『…永は?』
少しの沈黙のあと

『うん、永にメール拒否されてるから伝えてないよ』


言葉が出ないのか、伊織は口を開いて何か言おうとしたものの
そのまま首を大きく振った。


家に戻り、横たわっていると永からメールが入った。

『一緒に居たくない』

拒否することをやめても、なおも永は繰り返す。


お腹が少し痛む−


メールをやりとりしながら、あたしはゆっくりお腹をなでて

『大丈夫』

と何度も繰り返した。


少しだけ開けた窓から、あまい陽だまりが枕もとに落ちてくる−
眠りにゆっくり落ちていく自分−

窓の外には流れるひつじ雲−


目が醒めなければどんなにいいだろうか−と。

あいづちの方法

2005年05月05日(木) 13時43分
『時間がとまる感じってわかる?』

マリナであゆみが聞いてきた。

『いつもそう感じてるかも、あたし』

ややあって
『環といるとそんな感じがするんだよ』

いったい何が言いたいんだろうと思いながら
ふうん、とあいづちをうって、あたしはミルクティがなみなみと入ったカップに口をつけ
カウンターにぺたりと頬をつける。

『どうするの?』
あゆみが訊いてきた。

しばらく黙ったあと、うつむきながらあたしは
『好きなんだ』

ややあって
『思い通りにならなかったから、思い通りにして彼は満足であって虚しいんだろね』
あゆみがぽつりと言う。


『あたしが全てを思い通りにしてたみたいな言い方だな』
むっとした顔であたしが言うと

『ごめんごめん、けど、変わったよね、少なくともあたしはそう思うよ』

ややあって
『惚れてたんだ』

ふふ−とあゆみが笑う。

『あたしでも、環のことがわからないんだもの、彼も戸惑ったと思うよ』
黙るあたしに

『愛した女にすることじゃないけどね。まして子供もいるんだし』
あゆみはバッグから煙草ケースを取り出して、ガラムに火をつけながら、うつむいて、そう言った。


煙草を吸う、あゆみをじっと見つめる。
あゆみは、まるで麻薬を吸うような煙草の吸い方をする。

ゆっくり身体の中を浸していくような−

プライヴェート

2005年05月05日(木) 13時47分
目を閉じながら、ぱちぱちと音を立てて煙が立ちのぼる。
独特のその香りをとなりで感じながら、あたしはぼんやりしていた。


『あまい?』
なにげなくあたしが訊いた。

『あまいよ』

ややあって
『結婚はしたのか?』
マリナのマスターが訊いてきた。

『してない、するつもりだったんだけど』

避けられてたのかねぇ…とあゆみが呟く。

『おまえは母性が強すぎるんだよ』
マスターがあたしの眼をじっと見て言う。

『そう、守られたいより守りたい気持ちが強いのよ』

あゆみがマスターの言葉につけたした。
『そう、だから何しても許されると思う』

なんで、こういうときは決まって、この2人はそろって色々言うのか
そして、うなずいてしまう自分に嫌気がさした。


ケニー・Gが流れる。
どうして、この人の曲は、人のプライベートな部分をひりひりさせるんだろう。
胸にしみこんでくる感じがする。

『ちゃんと好きだったんだよ』

マスターは、少しあたしに目をやったあと、かたづけを済ませて、ほうきを取り出しながら
『男として愛せてたか?尊敬できてたか?』

ややあって
『わからないよ』
とあたしはこたえる。


『だろ?彼が男として本気でお前と子供を愛してたのなら元嫁んとこにはいかないだろ』
つきささるような言葉に、あたしは眼を閉じた。

思考が絡んでいくような解けていくような、妙な感覚だった。

『つまり、全力だと言いながら、結局は全力じゃなかったんだってことだ』
マスターが言ったあとで、あゆみがため息をついて

『ま、環の思うままにやってみなよ。本気なんでしょ』
はい、話はこれでおしまい−とあゆみはレモンティーを飲みほした。

あゆみと大阪駅で別れて、あたしは家路についた。

欠片

2005年05月05日(木) 13時47分
部屋に入っておもむろにパソコンの電源を入れてみた。

無機質な生活から抜け出た暮らしをしてた分
それはとても、まあたらしい感覚だった。
かたかたと音を立てて、それにつられて画面がうごく。
かちゃり、とマウスをたたいて、ぬくもりのないその画面をながめた。

時間を巻き戻せたらどんなにいいだろうか。
生まれてきて、今まで一度もそんなことを思ったことがなかったはずなのに
あたしは、ふいにそう思った。


身体が少し不調になって、ようやく落ち着いた頃
永からメールが入る。

『仕事はやく終わりそうだから寄ろうかな』

あたしは点滴に行った後、少し公園を散歩していつもの場所で寝そべっていた。
何往復しているうちに、永の言葉が変わっていくのに気づく。


『ご飯にいこう』

そうメールを送ると
『できない女に会いにいくのは時間がもったいない。遊べる女のとこに行くよ』

胸が軋んだ−

硝子を爪でひっかくような音を立てて。
あたしに与えれる限りの屈辱を与え続ける永−

−俺をこうしたのはお前だ−

永はメールでそう言っていた。
そして会えることになったものの永のメールは遠慮なく胸につきささる。


『着いた、今から1分で来い』

『1分したら帰る』

そして、あたしは永とホテルに行き
人形になった−
お腹に子供がいなければ感情は失くしていただろう。
笑うことだけは覚えていた。

永の身体は少し、まるみを帯びていた。
自堕落に過ごしているのだろう−
そして、あたしの知らない匂いがした。
他の女のひとを抱いたということが漠然とした本能で感じる。

されるがままだった。


そして、あたしはホテルを出たあとで

『ご飯にいこう』

と、永を誘った。

『いかない』
永は眼も合わせなかった。


風が少し強かった。
空はうすい灰色がかったおれんじ色で
ひつじ雲がちぎれながら浮かんでいる。

1年前、あたしが泣けなくなって仰いだ空とおなじいろ−

あたしは泣けなくなった。

散らかったままの想い。


なくしてしまった大切な
欠片は見つからない。

フレーバー

2005年05月18日(水) 8時32分
23時−
メールチェックをしていると
受信はしたものの未読なままのメールを見つけた。

しばらく開いていなかったパソコン。見覚えのあるアドレスがあった。


『もしかして…』


開いたメールはあたしを2年前に巻き戻す−
静かに、音も立てずに手招きする過去−
そして、もう行くまいと決めていた『あの場所』に行くことになる。


電車に揺られているあいだ、複雑に絡んだ今がゆっくりほどけていく感じがした。
そこにいまさら意味がないことも、何かが変わるわけでもないことも
充分すぎるほど知っていたし、それでも自分の眼で確かめてみたかった。


まだ時間あるな−


本屋に入って、少しうろうろしてから表に出ると、車が滑り込むようになめらかに止まる。
ガラス越しには、なつかしい顔があった。
ためらうことなく助手席に乗り込んだ。


『ひさしぶり』

そこには悠が居た。

あたしは、その言葉に顔を歪ませて
『ん、もういないかと思ってた』

ややあって
『色々あったんだよ』
そうか、とあたしはため息をついた。

窓の外をながめていると

『香水、おなじもの使ってる?』
と悠が訊いてきた。



『うん、そうよ。なんで?』
少し黙ったあと、悠は

『胸が痛むな。俺を反省させる匂いだ』
くすくす笑ってそう言った。そして、あたしをじっと見つめたあと

『もう会えないかと思ってた』

穏やかな笑顔で、あたしの髪をそっと撫でる。
目を閉じて、あたしは黙った。

『飲みに行くか』

悠が前を見つめながらぽつりと言う。
うん、とあたしはこたえ悠の大学院の駐車場に車をとめた。
そして、ゆっくり歩く。

グラスの底

2005年05月18日(水) 8時36分
『環、変わったな』
ややあって
『そう?みんなそう言うんだけど、あんまり分からないんだな』
悠が繰り返して、変わった、とひとりごとのように言う。

そしてバーの扉を開けて、馬蹄のかたちをしたカウンターのまんなかに座った。


『俺、ジンバック。環は?』
悠をじっと見たあと

『飲んだら駄目なんだ』
ややあって

『ん?なんで?』
僅かにためらって、小さく息をついて


『妊娠してるの』

そのままで悠があたしの言葉を飲み込もうとしているのが分かる。


『なにがあった?』
まっすぐな眼であたしに訊いてきた。

『いろいろ。けど言葉にできるほど、もう元気がないの』
ややあって
『じゃあ、あたしもジンバックください』


はっと振り返る悠に、あたしはひとさし指を立てて

『1杯だけね』と、つけたした。


『ずっと、どこかに残ってて』
グラスを持ち上げて悠が口をひらく。

『そうね、あたしが友達のラインを越えたからこんなことになったんだよね』
ぽつりとあたしが言う。


『でも、なんていうのかな、時間を巻き戻して、かたづける感じがしていいかもしれない』
どういうこと?とたずねる悠に

『こういうの』
とグラスを持ち上げて言葉にした。


悠は少し遠くに目をやって

『ああ、そうかもしれないな。今なら穏やかな気持ちでお前とも話せるよ』
見つめあってお互いにふふ−と笑う。


『俺、変わった、きっかけはお前だよ。あれから変わったんだ』

そう、とあたしはこたえ、出されたフードに箸をのばす。
『あたしはどうだろう。彼に変わらないって言われたよ』

生まれ持ったものは変わらない、と。


『どうだろうな…お前ってさ、好きになる部分が嫌いになる傾向があるんだよな』

ややあって
『うん、なんとなくわかる、それ。』


おかわり、と悠がグラスをバーテンさんに渡して
『同じ部分にふたつの感情が入り込めるんだよ、みんなそうだけどお前の場合は特にそう』


言葉がつまりそうになるあたしに

『でも、お前はそれでいいんだよ、それでいい。』

あたしがたいして納得できないまま、悠はひとりで−うん−とうなずいた。




透明な液体のなか

グラスの底のライムがゆっくり揺れる−
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